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2022年の“ヤンデレ”予想

はじめに

思うに、現実であれ二次元コンテンツであれ、ヤンデレを主題とした市場はマイナーであると同時に、類似的個性であるところの「メンヘラ」が「地雷系ファッション」として視覚的イメージが確立されたのに対し、ヤンデレは全体的な雰囲気・色調によってのみ分類されている節があるなど、未だ盤石とは言い難い。

そこで私は、2021年段階におけるヤンデレ像を今一度整理整頓することで、2022年のヤンデレ文化の更なる発展に微力ながら本稿を捧げたいと思う。

なお、ヤンデレに関しての評論・考察は小説投稿サイト「カクヨム」において4作投稿済みであるため、よければそちらも参考にしていただきたい。

ヤンデレは市場に残るのか

まずもって論じられるべきはこの点かと思われる。
すなわち、2022年においてヤンデレがどのような歩みを見せるのかという問題以前に、そもそもヤンデレがコンテンツ市場に残るのか否かという問題がある。

ツンデレはそれ自体として愛好せずとも「何となく存在は知っている」というレベルで浸透しているように、少なくとも私は感じているが、一方でヤンデレを説明するにあたり、「メンヘラ」と対比してようやくその姿がみえてくる。
すなわち、ヤンデレは代表格となるキャラクターや作品に欠けるのだ。

『School Days』であげられることが多いが、こちらはバッドエンドに終始しており、ハッピーエンドにおいてヤンデレ描写が話題となっているわけではない。したがって私はヤンデレ以前からある「ファム・ファータル(魔性の女)」であると考える。
ヤンデレにはその視点の差によって、ハッピーエンド足り得るという「メリーバッドエンド」性がその根底にある。ここがストーカーとも若干異なる点である。

メリーバッドエンドという意味であれば、十二分に市場として人気を誇る可能性がある。
これは「どんでん返し」ものの人気を見ても分かることであり、また、メリーバッドエンドの古典的代表作として『マッチ売りの少女』や『フランダースの犬』、そして日本では『ごんぎつね』であるなど、読み手や作中人物の間でハッピーエンドとバッドエンドが揺れ動く物語は、長きにわたり関心を持たれているのだ。

一方でヤンデレそのものへの懸念点として、場合によっては、「(デート)DV」との類似性が感じられなくはない部分だ。
それを助長するかの如き作品は当然、市場から排斥され、結果、総合イメージにキズがつき、ヤンデレはその曖昧さゆえに、いずこかへ消え去ってゆくだろう。
したがって、如何なる媒体であっても、ヤンデレをメインに描写する際には、サスペンスであればいざ知らず、それが恋愛ものであるかぎりにおいては、純愛である部分を強調し、「メリーバッドエンド」にすることが肝心要である。

BL・百合作品の台頭

さて、上記ならびにそれまでの市場において、ヤンデレキャラクターは主としてヒロインの特徴であり、好意の相手は主人公である男性という構図が想定されていた。

しかし、「LGBTQ」への理解・社会参画等に伴って、「BL」作品や「百合(GL)」作品市場も一挙に拡大したと言える。
これには「オタク」文化の一般化も大いに関係している。それまで以前は哀しいかな、いずれも社会的弱者であり、マイノリティであった。
マイノリティという部分は残念ながら未だ解決したとは言い難いものの、そのようなバックボーンの類似性が、「オタク」市場において急速に発展したことに関係していないとは、私は思わない。

そしてこれらの作品の中では、マイノリティであるのを活かして、むしろ「二人だけの世界」を構築するというヤンデレの特質を発揮するコンテンツが注目されだしているのだ。
社会的な困難や個人的苦悩を解決するストーリー手段として、強烈な自我を放つ「ヤンデレ」が用いられている。
言うなれば、その風潮を逆輸入して、男女間の恋愛ものもヤンデレが注目されることも多くなっている。

曖昧であることの強味

さて、私は冒頭にヤンデレが典型例に欠けており、曖昧であることを述べた。しかし一方で、曖昧であればこそ、「ヤンデレとは一概には言えないけれど、でも似ているところは確かにある」ような作品を容認する余地が生まれるのは必然。『School Days』もそういう意味ではこの余地によって、市場を拡大したことだろう。

2021年に発売され、そして私が購入した小説に、原案・イラスト:「きただりょうま」先生/著:「穂積潜」先生の『見知らぬ女子高生に監禁された漫画家の話』がある。

(あらすじ・内容)
SNSを震撼させた超問題児JKがライトノベルで待望の書籍化!

「ここはどこだ?」 目を覚ますと見知らぬ天井、あたりに一切の明かりはなく、首には――首輪と鎖!?
ふいに灯る部屋の電灯。そこにいたのは包丁を携えた女子高生。JKと漫画家、二人の監禁ライフが幕を開ける!

本書はキャッチコピーでも本分でも「ヤンデレ」という語は使われていないが、「監禁」という題材や、包丁、そしてハイライトの消えたヒロインの瞳であるなど、ヤンデレを彷彿とさせるものが確認できる。
このように、ヤンデレと明言せずして、近いしものを描くものは確認できる。

2022年のヤンデレ―予想―

今後のヤンデレ描写には、それまでの「ファム・ファータル(魔性の女)」的な猟奇性・バッドエンド性ではなく、むしろ同性恋愛もの・ラブコメディジャンルにおいて、純愛的な、「エモい」ものとして扱われるだろうと思われる。

つまり、最初、主人公はヤンデレキャラの「病み」の部分に不安を覚えるも、「デレ」というギャップを知ることで、異性や社会通念を問わずして「二人だけの(愛の)世界」を形成するコンテンツが増えると私は想像する。

また、曖昧であるが故に、個々のキーワードを用いることで、あえてマイナーであるヤンデレ市場に特化するのではなく、幅広い解釈と顧客層を想定することが可能である。
それは『見知らぬ女子高生に監禁された漫画家の話』の原案が、Twitterに「きただ りょうま」先生がイラストを投稿したことに由来している事からも分かるように、SNSを介して幅広く展開してゆくきっかけとなる。

「世界か自分(ヒロイン)のいずれか」を選択するセカイ系から、異世界転生によって、自分が無双し新たな世界を構築するというような文脈の変遷など、メタ的に見て「エゴイスティック」とも言える流行性に注目してみても、ヤンデレのその自我の強さは受け入れられることと思われる。

したがって2022年においては、ヤンデレが確固たる一分野になる、もしくは主役キャラ・ヒロインとして量産される(ブランド化)というよりも、むしろ作品の方向性を決定づける舵取りとして用いられると考えられる。

やがてコンテンツの目的であるヤンデレではなく、そういった手段としてのヤンデレが通例化することによって、冒頭に掲載した拙論と重なる部分があるが、評価経済社会が本格的に訪れた際に、緩和された形式でのヤンデレ的な在り方や手段が、リアルにおいて用いられるということも私は予想している。

「評価経済社会」とは、貨幣と商品を交換し合う貨幣経済社会に対して、評価と影響を交換しあう経済形態により現代社会を説明しようとする考え方。

いずれにしても、ヤンデレに猟奇的な、「魔性の女」的な部分は、導入なしいは作中世界における「偏見」として処理され、社会に囚われない「純愛」への一つの道として模索される時代が来るだろう。

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