ヤンデレは“悪趣味”か。
はじめに
ヤンデレという語を平たくいえば、「病的な愛」であると表現できる。人を愛するにあたって、ストーカー行為や監禁行為、またはライバル関係にある他のヒロインへのまさしく排他的な在り方というのを、私たちは病んでいると感じる、またはそう作者に仕向けられている。
だが、社会的因習の強かったとされるかつての封建的な日本の結婚観などと比較すると、法令上、問題のない範囲で、つまり独占欲の高さという視点のみであれば、果たして社会上、ことさらに問題視されるとは思えない。
病んでいると感じたからとて、具体的な物理的・精神的被害のない場合、警察ならびに病院等へヤンデレ的人物への対応を乞うというケースは、現実・作品を問わず、そう多くないだろう。
「恋」と「愛」
さて、話に封建制の上での結婚観が出たので、まずはそこから注目してみる。
私が注目したいのは戦前までと、大きく遡って明治以前の一般的な価値観である。そして、タイトルにもあるように、「悪趣味」という現代でも死語とは認めがたい烙印を、ひとつヤンデレに対し僭越ながら、しかしここはヤンデレに習って強権的に裁判するを目的とする。
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