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ヤンデレ評論まとめ

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noteに投稿したヤンデレ評論・考察をこちらにまとめましたので、よければお読みください! カクヨム:ヤンデレ小説・評論 https://kakuyomu.jp/users/Aya… もっと読む
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hololive3.0の衝撃波

 西暦79年の今日、ヴェスヴィオ火山は噴火した。  これにより、古代ローマ帝国における大都市ポンペイは瞬く間に火砕流に埋もれ、火山灰と共に今もその遺跡を確かめることができる。  一夜にして世界が変わるようなセンセーショナルな知らせ。地図から一つの都市が消える。  戦争の場合、なるほど都市としての機能が失われ、瓦礫の山と化すことは幾たびもあり、現在もそういった光景は世界中にみられる。  一方で、一夜で世界が変わるというのは、何も悲劇だけに用いる定型句ではない。確かに著名人の

ヤンデレという記号の現在

 まず最初に重要な、ヤンデレの現状を紹介すると、今日、ヤンデレというキャラ属性は、主として男性キャラに付与されているということだ。  言い換えれば、女性によって消費されることが多くなっているのである。なお、BLとしてではなく、女性主人公に対して、ヤンデレ男性が求愛する、というものだ。    女性キャラは今や「ヤンデレヒロイン」として確立されたものではなく、「ヤンデレ顔(目のハイライトが消えた表情)」という形で、ひとつの側面、主人公にみせる魅力となっている。  個々の作品は追っ

ヤンデレヒロインという発明

近頃の病んだヒロイン 近頃、ヤンデレキャラに追われるホラーゲーム「ラブラブスクールデイズ」が話題だ。本作ではゲーム世界に主人公が閉じこめられ、その機能を破壊せしめたヒロインに追われるというのが大まかなシナリオ。 ゲーム世界から出られないという設定自体は、ライトノベルやアニメをはじめ、非常に定番なものとなって久しい今日、もはや僕達はその非日常に違和感を覚えることはなく、ホラーゲーム的なハラハラドキドキは勿論、謎ときや別エンディング要素、そしてヒロインや声の可愛さを堪能するこ

ヤンデレという祈り。依存と束縛の否定

note書き初めということで、今年の抱負などを思い浮かべたが、それではどこか味気ない。 一年の計は元旦にあり。定番を否定するつもりはないけれども、旧体制を打倒してこそ、真の革命が成せるように、僕も否定すべきは、去年なのではないかと感じたのが先ほどのこと。 新たに樹立された王朝や政府というものは、往々にして先の政体を否定的に宣伝するものである。 なので、今年の第一回目のnoteでは、これまでの自身の柱のひとつであるヤンデレを否定しようと思う。 なお、この否定というプロセスのヒ

ヤンデレは“悪趣味”か。

はじめに ヤンデレという語を平たくいえば、「病的な愛」であると表現できる。人を愛するにあたって、ストーカー行為や監禁行為、またはライバル関係にある他のヒロインへのまさしく排他的な在り方というのを、私たちは病んでいると感じる、またはそう作者に仕向けられている。  だが、社会的因習の強かったとされるかつての封建的な日本の結婚観などと比較すると、法令上、問題のない範囲で、つまり独占欲の高さという視点のみであれば、果たして社会上、ことさらに問題視されるとは思えない。  病んでいると

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ヤンデレに至る病とその将来性

はじめにヤンデレという語が、「病み/病んでる」と「デレ」の合成語であり、それ故に、病的なまでに意中のキャラを愛している存在を意味することはよく知られるところである。 病的であることを表すのに用いられるのは、往々にしてその暴力性もしくは過度な嫉妬であり、視覚的には血が滴る包丁を持って、見開いた眼にはハイライトが消えているように描かれることが多い。 さて、私は以前、ストーカーとメンヘラとの違いを『<ヤンデレ>という文化資本』において検討してみたが、今回は、ヤンデレが「病的」と

カタストロフィズムと「ヤンデレ」

進化論としての青春ヤンデレという言葉は、病的な愛情表現やその状態を指す。 一般的にも、恋愛を自覚する者は「恋の病」を患っているが、ヤンデレはその症状が異なっている(と認識されている)。 人が恋をするとき、「春が来た」や「青春」と表現することもある。季節の「春」を示す言葉であったが、それが転じて、生涯において若く元気な時代、すなわち青年時代を指す言葉として用いられるようになった。 これは、古代中国における陰陽五行思想で、「春」は「青(緑)」が、「夏」は「朱(赤)」、「秋」は「

2022年の“ヤンデレ”予想

はじめに思うに、現実であれ二次元コンテンツであれ、ヤンデレを主題とした市場はマイナーであると同時に、類似的個性であるところの「メンヘラ」が「地雷系ファッション」として視覚的イメージが確立されたのに対し、ヤンデレは全体的な雰囲気・色調によってのみ分類されている節があるなど、未だ盤石とは言い難い。 そこで私は、2021年段階におけるヤンデレ像を今一度整理整頓することで、2022年のヤンデレ文化の更なる発展に微力ながら本稿を捧げたいと思う。 なお、ヤンデレに関しての評論・考察は