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マイナス感情の価値観が違う人とはうまくいかない

私は常々「ネガティブな印象を持つものが違う人とはうまくいかない」
と思っています
これは裏を返せば「楽しいことが同じ人とは楽しく過ごせる!」
という言葉に反するものです

気の置けない友人や配偶者について私の周りには「不快に思うことについての価値観が似ている人」ばかりに恵まれています
逆に言うと「楽しい!」だけを共通項として関わった人とはうまくいきません

当たり前です

「自分がされて嫌なことは人にはしないようにしようね」と子供のころから幾度となく言われてきたことがある人は少なくないのではないでしょうか?
これってめちゃくちゃ危険なことで「自分にとっての嫌なこと」が相手も嫌だとは限りません
逆を言えば「自分は嫌ではないからこういう振る舞いをしている」ことが相手にとっては「嫌なこと」に当たることがあるからです

「楽しい」感情や「楽しい」時間を共有するのが良いことなのは学生までくらいかな?と思います
大人になると仕事やらほかのいろんなストレスがある中でいちいちプライベートで関わる人たちについてのストレスをためても仕方がないのです

とはいえ、私もどこかで「コミュニティに属していたい」という考えに支配をされていたんだなと最近思います

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他の記事にも目を通してくださった人がいれば私が「とある界隈のツイッター」でめちゃくちゃ忌み嫌われた感じのことがわかるかと思います
当時は「自分が我慢すればよかったんだ」とか「周りを巻き込むまいと黙っていたら相手は周りを巻き込んですごく不当だ」とか考えていました
これが皮肉なことに私が必死でやっていた「界隈」に流れている価値観が私とは到底あわなかったのだなと思いました
アカウントを削除してその界隈の人との関わりも経ってしまうと、過ぎ去った出来事を思い浮かべても、あの時は「片方の言い分しか聞かないのになんで一緒になってこっちを悪者にするんだ…!」とか「うまく取り繕えなかった自分が悪かったんだ」とか考えたり、そもそもアカウントやっていて人と交流していた時も「こういう振る舞いをしなきゃ…」「この人落ち込んでるから励まさなきゃ!」「集まりに呼んでもらえるようにアピらなきゃ!」とか考えまくってたみたいで…

結局アカウントをやっていることがストレスになっていたんですね
他記事でも何回か書いたと思いますがそもそものツイッターのとらえ方も違う界隈だったし、人と親しくできていないとダメかのような錯覚を覚えるような場所だったし、仲良しの人たちが内輪で会話してるのもTLで見えてしまってそこに入れていない自分を如実に示すようにも見えたし…あと、まぁなんとなく「一緒のコミュニティになっちゃったけどこの人私のこと苦手よな…私は好きだけど苦手がられてるよな…」とかも結構しっかり伝わってくる空気で、もうそれがストレスになっていましたね、笑える

で、決定的なのが「不快だな」と思う価値観がどうにも違うんだなーという事が何回かありました
それでもなんとか界隈の中で振り落とされないように…と思ってツイッターしていても結局ストレスにしかなりませんでした
「嫌なことを嫌だと言えない」「それはあんまり賛成ではないと言えない」その繰り返しで過度のストレスがたまっていたのだなぁとアカウント削除して時間が経って思いました

私は別の界隈のツイッターもやっていてそちらでは全然ストレスを感じることがないなぁ(たまに「え?」ってリプライが来ることはありますがまぁストレスになるほどでもないですな)と思って、なんとなく「NG」が同じような感覚の人が多い界隈なんだろうなぁと思いました

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話が逸れまくっちゃいましたが…
マイナスな価値観が違う人やコミュニティとうまくいかないのは「自分はこれで嫌な気持ちにならない」というような振る舞いが相手にとっての地雷になることがあるんだなぁ、と思ったわけです
更にいうと「私はこうされると納得する」「私はこうされると嬉しい!」と思ってやったことすら実は相手のマイナス地雷だったりして、もうその場合目も当てられないですよね、大事故ですね


ちなみに上記の界隈で自分の中では「よきけじめ」と思ったことが相手のドマイナス地雷でも踏み抜いたようでめちゃくちゃ悪い奴にされてしまった感じもあるので、まぁこの記事をフラっと読んだ人は私のような過ちを犯さない様にとおもうばかりです

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