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いじめられ癖は治らない

いま「イジメ」に遭っている人がいるなら
残念ながらイジメられ癖って治らないぞ、と言いたい。
よほどのことがないと、抜け出せないの。

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私は小学校6年生の時に親の転勤で転校してイジメに遭いました。
靴に砂がみっちり入っていたり大事な文房具を雪に埋められたり授業中に消しゴムのカスをずっと投げつけられたり

中学生になって1年の途中で転校することになったんだけど
転校先でまたイジメに遭いました

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イジメに遭ったことがあると自己肯定感が低くなって必要以上に卑屈になってしまう人が多くありませんか?
少なくとも私の自己肯定感は損なわれ(尚且つうちは毒親でフォローしてくれる人もいなかった)卑屈な思考しかできなくなりました。
卑屈な思考や自己肯定感の低さから出てしまう言葉って残念ながら相手をいらつかせることがあります。
そしてイジメや人間関係をうまくやれないという無限ループにはまっちゃいます。

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けどね、理由も大してないのに一度「ゴミクズ」のように扱われた人間が「他人から好かれる」なんて思考にたどり着くなんてエベレスト登頂並みに高い高いハードルだと思います。

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「私なんかと仲良くしてくれてありがとうね…」
事あるごとにこれ言っちゃう人いませんか?
もちろん、そういう出来事があった時にここぞというときのセリフなら違うんですが、友達に対して日常的に言っているとイジメられたことのない、ふつうにずっと人に囲まれてきた人並みに自分を肯定できている人からすると「いちいち何なんだろう…」
となってしまうわけですよ、ホントに。
これが度を過ぎてしまうと、嫌われます、嫌われる、というか面倒がられる?重たい?まぁそんな展開になります。
わたしこれで何度もしくじってます。

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少し仲良くしてくれた人との距離感もつかめないんですよね、結局
心のどこかで自分に対する自分の声が「お前なんかに友達ができるのか?」と問い続けてしまって自分で追い込むんですよね
イジメられてきた人にしか分からないと思います
そして人間は大体において「分からないこと」を怖がったり面倒がったりプラスには捉えません
なんでそんなこというの?と知的好奇心や理解へと変換してくれる人は稀でしょう(なので、そういう人と出会えたら大切にしようね)

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こういうことは情けないことにアラサーとなった今でも繰り返して、無意識に「私仲間外れにされてない☆」って言ったことが相手を傷つけてしまったこともあり(疎遠になる前に伝えられました、ほんと私自身言ったことすら覚えてないくらいの言葉だったんですけれど)よくないなぁと。
(いわく、「仲間外れをするような人間に見えたの?」という事で、結局その人のことを、自分の自信のなさから信頼していなかったんでしょうか)
こういう言動が抜けない限り「イジメられ癖」ってやつは抜けられず、トラブルを起こします。

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傷付いてもいい

周りを信じて

自分を信じて

これを呪文のように唱えながらなんとか生きていくしかないのかな。

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