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私のそばにいないジブリ、私の知らなかったジブリ


小さい頃、ジブリ映画が怖かった。

特に「千と千尋の物語」。カオナシが暴れるのが嫌だった。
私の両親も中華を食べたら豚になっちゃうんじゃないかとか、
私の名前も誰かにとられちゃうんじゃないかとか。

ファンタジーの世界と現実の区別がなかなかつかなかった私にとって、
ジブリの作る世界観はとっても怖いものだった。

今でも怖いシーンはあるけれど。
大好きな「ハウルの動く城」は戦争シーンになると
未だに目を閉じてしまうものの、
10回以上観て、本も読んだ。
「千と千尋の物語」は、自分で考察記事を書くまでになった。


アメリカに留学してから気が付いたのは、
日本にいるときは「ジブリ」の存在はとっても近かったということ。

だって、なんとなく生きているだけで、
金曜ロードショーが定期的にジブリの映画を流してくれる。

三鷹に行けばジブリの美術館がある。
大きなショッピングモールにはどんぐり共和国があるし、
ジブリが好きなおばあちゃんの家には、
私とお母さんがあげたジブリのグッズがたくさん溢れていた。


アメリカに来てからジブリ映画のファンにはたくさん出会ったけれど、
日本のように気軽にジブリに触れることはできなくなった。

ストリーミングサービスでジブリ作品を観ることはなかなか難しい。
2000円払って観れる場所はあるけれど、観始めたら止まらない私にとって
映画をレンタルし始めるのは本当の地雷だと、経験済みである。

去年の末頃だっただろうか。
ジブリがNetflixで配信され始めると聞いた。

それからというもの、毎日のように楽しみにしては、
ロサンゼルスでできた友達みんなに
「日本人と観るジブリがいちばんだよ、一緒に観ようね」
なんて言ったりして、ずっとずっとそわそわしていた。

それなのに結局ジブリ映画がストリーミングされたのは
アメリカと日本とカナダを除いた国々で、
私のわくわくカウントダウンは失敗に終わって、大分落ち込んだりもした。


私からジブリは少し遠のいたけれど、
もちろんアメリカに来てよかったことはたくさんある。
気づいたこともたくさんある。

今まで「当たり前」だと思っていたものって、
案外気づいていなかっただけで、
とっても私の生活に欠かせないものだったのかなあ、
と、思ったり。

私の人生は別にジブリでできているわけではない。
多く見積もっても、1%くらいではないだろうか。

それでもなくなってみたらどこか寂しくて、
だからこそその価値に気づくことができたりして。

ないものを求めるのはとっても切ないけれど、
とても良い感情を得ることができた。

すべてを当たり前に享受してきたという事実は、少し情けなくもある。
それでも、22歳のうちに気づくことができて本当に良かった。


これはジブリ映画に限ったことではなかったり。
私の留学生活も早1年が経過して、
「こんなものがこんなに有難かったなんて」と思うことの連続で。

めんつゆが欲しいからってスーパーを4軒まわるなんて知らなかったし、
鰹節がほとんど売っていない世界があるなんて知らなかった。

ただの緑茶が欲しいだけなのに全部甘く味付けされていたり、
レモンサワーがない世界が存在するなんて考えたことがなかった。


留学をやめたくなることだってたくさんあるけれど、
私の心が心底ドMである限り、
「今我慢すれば、1年半後に感動の再会が待っている」
なんて思えちゃったりして。

その感動を素敵なものにしたいからこそ、
勉強を頑張れちゃったりして。


「当たり前」が「当たり前」でなくなった世界は不便であるけれど、
文句を言っていたって仕方がないのだから、
その不便な世界で精一杯、生きていくしかないのだ、私は。


今日も頑張ろう、そして、できたら明日も頑張ろう。

昨日の私も素敵だったけれど、
ないものの甘酸っぱい切なさに気づくことのできた今日の私は、
きっともっと素敵なのではないだろうか。

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