Yuka Seike

立教大学文学部文学科、英米文学専修。現在はカリフォルニア州ロサンゼルス、サンタモニカカ…

Yuka Seike

立教大学文学部文学科、英米文学専修。現在はカリフォルニア州ロサンゼルス、サンタモニカカレッジにて勉強中。3度の飯と旅が好き。初恋は活字。細胞の7割は餃子と生搾りレモンサワーです。

最近の記事

「大抵のことは寝たらなんとかなる」なんて

サマータイムが終わって、ロサンゼルスの日の入りが1時間早くなった。 夜の8時半になっても太陽が見えていた夏はもう終わり、今では夕方5時半になるとしっぽりと暗い街並みになっている。 夜はなんだか考え込んでしまう性分であるとは思っていたけれど、冬が近づくにつれてその夜の時間がどんどんと長くなっていって、ネガティブモードに入ってしまう日が続いてしまった。 小さい頃読んだ本か何かに「それでも朝は来る」とか「朝はみんなに平等に訪れる」なんて書いてあったけれど、小さかった私は「なん

    • 引き篭りの浴衣、花火の呪縛、生ぬるいハイボール

      私にとって、花火大会は呪縛だ。 きっと花火大会って、家の涼しいクーラーにさよならを言ってでも、お気に入りの夜のバラエティ番組のリアルタイムを諦めてでも行きたい、「最高の夏のイベント」。 だってこれを機会に好きな人をデートに誘えちゃったり、気になるあの子の浴衣姿を見てキュン♡なんてこともできちゃったりするんだから。 通りには美味しい屋台が立ち並んで、普段なら鬱陶しい人混みだって「風物詩」の一言に変化する。 日本の湿っぽい暑さに対して100%の愛を送る人なんていつもなら皆

      • 扉を開けたじゃがいもからは、自由の香りがした

        23年間、たくさんの恋愛をしてきた。 きっとそんなことは自慢にはならないかもしれないけれど、少なくともひとつは良かったことがある。 それは、日本では様々な年代・セクシュアリティの人と、アメリカに来てからは様々な人種の人と恋をしてきたことで、無駄に恋愛やデートスポットに詳しくなったということ。 「彼はヒンドゥー教だからベジタリアンのお店を調べよう」「彼女はお洒落なインテリアが好きだから、雰囲気にこだわろう」「日本好きのドイツ人の彼には、私の好きな日本食を紹介しようかな」

        • 貶しあうのが本当の友情だと思っていた10代の私へ

          こんにちは。清家です。 10代の頃の自分の言動を思い出して枕を押し付けながら叫びたくなることはよくあるけれど、そんなのも青春だ、と思うのは甘えでしょうか。 「なんであんなことしたんだろう?」「よく恥ずかしげもなくあんなことが言えたものだ」なんて思ったりすることはあるけれど、過去は過去。 バック・トゥー・ザ・フューチャーの世界での「未来」をはるかに過ぎた2020年だけれど、いまだにデロリアンは開発されていない世の中だから、受け入れていくしかないのです。 たくさんの後悔も

        「大抵のことは寝たらなんとかなる」なんて

          人種差別に疎い日本人だからこそ、考えなければいけないこと

          アメリカでは5月25日に黒人男性のGeorge Floydさんが白人警察官に殺害されてから、現在までずっと抗議活動が続いています。 ミネソタ州、ミネアポリス。「偽造紙幣を持っている男がいる」と通報を受けた警察は、現場に駆けつけるとすぐさま容疑をかけられたGeorge Floydさんを拘束した。彼の首に膝をついて彼を拘束していた白人警官は、「息ができない」と何度も繰り返す彼の言葉を聞くことはなかった。 8分46秒もの間息をすることさえ許されなかった彼は、そのまま息を引き取った

          人種差別に疎い日本人だからこそ、考えなければいけないこと

          留学をして、帰属意識がからっぽになってしまった話

          「大学=通わせてもらっている場所」だと思っていた。 私は立教大学に在籍している。 その中で3年間の休学をして、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるサンタモニカカレッジでジャーナリズムを勉強しているところ。 COVID-19が蔓延するにつれて、もちろんカレッジは休校になった。 3月16日からだっただろうか。 カレッジから「来週から数週間学校はお休みになります」という連絡がきたとき、それは水曜日の夕方であったと思う。 その時私は午前のメディアのクラスを受け終わったところ。

          留学をして、帰属意識がからっぽになってしまった話

          私のそばにいないジブリ、私の知らなかったジブリ

          小さい頃、ジブリ映画が怖かった。 特に「千と千尋の物語」。カオナシが暴れるのが嫌だった。 私の両親も中華を食べたら豚になっちゃうんじゃないかとか、 私の名前も誰かにとられちゃうんじゃないかとか。 ファンタジーの世界と現実の区別がなかなかつかなかった私にとって、 ジブリの作る世界観はとっても怖いものだった。 今でも怖いシーンはあるけれど。 大好きな「ハウルの動く城」は戦争シーンになると 未だに目を閉じてしまうものの、 10回以上観て、本も読んだ。 「千と千尋の物語」は、自

          私のそばにいないジブリ、私の知らなかったジブリ

          音楽って罪深い、と思うのです

          日常には、音が溢れています。 乗り物の音、他人の足音、鳥の鳴き声、風の葉音。 私は音楽を聴くのが好き。「好き」と言ってもそれは専門的な意味で好きなのではなく、音楽のジャンルに特段詳しいわけでも、音や曲の深みがわかるわけでもないけれど。 それでも「なんとなくこの曲が好きだなあ」という曲を素人なりにいっぱいいっぱい集めた自分のプレイリストを聴くだけで、毎日ハッピーになれる。それが私にとっての「好き」な音楽。 歩いている時、電車に乗っている時、お風呂に入っている時。気がつい

          音楽って罪深い、と思うのです

          「許されない」ことへの好奇心

          こんにちは。清家です。 Taylor Swiftの"22"という歌を知っていますか。 私がこの歌を初めて聴いたとき、「22歳になっている自分なんて想像できない」と思ったことを覚えています。 Forever21というファストファッションブランドはみなさんご存知でしょう。 私が初めてここで服を買ったのはおそらく高校1年生のころ。 当時15歳だったわたしは、永遠の21歳という意味を持つこの店で15歳の私が服を買っていることをおかしく思い、「6歳も年取ってどうすんだ」と

          「許されない」ことへの好奇心

          水不足のカリフォルニア、私の悔し涙で大歓喜

          こんにちは。清家です。 ロサンゼルスに来て1か月半が経ちました。時の流れははやいなあと思う日もあれば、なんだまだ1か月半しか経っていないのかと思う日もある。 目が覚めたとき自分の部屋ではない天井の景色に不自然さを覚えることもあれば、ぼーっと信号待ちをしているとき、またはバスの降車ボタンを押す瞬間、まるで生まれてからずっとこの街に住んでいたように感じることもあります。 1か月半。短いようで、実はとても長いのかもしれません。 たくさんの経験をしました。数えていたら日が暮れ

          水不足のカリフォルニア、私の悔し涙で大歓喜

          恋の終章

          同じ人と、24回目のデートをした。がんばれよ、と背中を押された。 私は今違う大陸にいて、これから始まる異国での7ヶ月に不安を募らせている。 最後まで掴めない関係だった。 つかず離れず、一定の距離を保つ私たちだった。 たまに踏み込み過ぎたときはどうしていいかわからなくなって、そしてきっとそれは私だけに湧いた感情ではなかった。 人は何故「恋人」という肩書きに2人を収めたがるのだろう。 去年までの私は完全に彼らと同じだったはずなのに、たった半年でこんなにわからなくなって

          恋の終章

          恋の序章

          高校生までの恋は甘酸っぱかった。 それこそ王道だけれどback numberや西野カナが似合うような、どこか小っ恥ずかしくて、それでも帰り道にスキップしてしまうような恋だった。 中学生までの恋はソフトなクッキーみたいなものだった。 コストコで配られている試食のような、少し気になってはいるけれども本気で買おうと思っているわけではない、そんな感じの恋だった。言うなればお試し。それがなければ買わないし、でもそこで本当に美味しかったらちょっと手を出してみようかな、というような。

          恋の序章

          私の自信を打ち砕いてくれて、どうも。

          こんにちは、清家です。 他人が自分に放った何気ない言葉を、何年も何年も忘れられないことってありますよね。 それは良い言葉であったり、悪い言葉であったり様々であるとは思いますが、結構それが自分の人格形成に与える影響って大きかったりすると思うんです。 今日は、私が摂食障害になりかけた話。 ▽「友達」からの噂私は決して良いスタイルではないです。 163センチの身長に対して、大学受験期などは運動を怠りすぎてマックス59キロぐらいまで上がったこともあります。 それでも高校2

          私の自信を打ち砕いてくれて、どうも。

          家族と他人の境界線を反復横跳びする話

          こんにちは。清家です。 みなさんにとって、家族揃ってご飯を食べることが日常ではなくなったのはいつですか。 私はもう覚えていません。思い出せないほど昔だったのか、それとも当たり前すぎてはなから意識したこともなかったのかもしれない。 21歳になった現在、多分私の家族が揃って食卓を囲むのは月に1回あるかないかぐらいなのではないでしょうか。 今日は、私が最近よく考える「家族」と「他人」の境界線について。 ▽家族への「無知」ひとつ屋根の下に暮らしているにも関わらず、私にとって

          家族と他人の境界線を反復横跳びする話

          好きの増加は嫌いの増加と比例する?

          こんにちは。清家です。 「あなたが好きなものはなんですか」と聞かれたら、みなさんはなんと答えますか? 私はたくさんあります。 映画、小説、旅行、英語、スペイン語、餃子、ハンバーガー、カレー、ピザ、こんにゃく、チョコレート、プルドポーク、家のベッド。 もっともっとあります。 では「あなたが好きな人は誰ですか」と聞かれたら、みなさんはなんと答えますか? 私には難しい。芸能人ならすっと出てきます。 大好きな友達もたくさんいる。でも「好きな人は誰ですか」と聞かれて、友達

          好きの増加は嫌いの増加と比例する?

          『ボヘミアン・ラプソディ』−救いようのない恋愛感情は、どこに居場所を見つけるか

          こんにちは。清家です。 私は映画を観るのが好き。 にも関わらずここ最近の忙しさのせいか、月2で映画館に通っていた以前の幸せな生活がもはや思い出せないほど映画と疎遠になっていく日々。 そんな私ですが、今更ながらやっと『ボヘミアン・ラプソディ』を観に行くことができました。 きっとこんなクイーンにわかが語るしょぼい感想なんて誰の興味もひかないはず。 なので今回は、この映画を観て湧いた救いようのない感情に対して、めちゃめちゃ静かに涙を流してしまった話でもさせてください。 事前

          『ボヘミアン・ラプソディ』−救いようのない恋愛感情は、どこに居場所を見つけるか