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仕事を呼ぶ「手」。

私の母の「手」は、大きい。
それはそれは大きい。
やなせたかし氏のアンパンマンに出てくる、クリームパンダちゃん に似て。
ムクっと大きい。

その昔、かの有名なピアニストのフジコヘミングさんが演奏するのをテレビで観て、
「みて!お母さんと一緒の手や!」
と母がやたら興奮していたのを覚えている。
確かに、フジコヘミングさんの手は、大きく力強い手だった。おおよそ、ピアニストなイメージの、指の長い細い綺麗な手を、大幅に裏切られた気分だった。あの大きな手で、美しく繊細なピアノの旋律を奏でていた。

似たような手をした母は、50年以上、手仕事をしている。その仕事もまたとても繊細だ。

陶器の上絵付け加工。
白地の陶器に、絵柄やロゴがデザインされた転写紙を貼る。1mmどころか、0.0mmの世界で、絵付をする。歪みやズレを極力少なく、絵柄の継ぎ目がわからない仕事をする。

私の生まれ育った町は、かつて陶器業が盛んで、大きな会社が幾つもあり、四六時中、窯の火はたえることなく、活気だっていた。
隣近所一通り、家にいながらにして、小さな子を持つ母親が軒並み「内職さん」として、陶器の転写貼りをしていた。

子育て中の母親たちが、小さな子をコロコロと遊ばせながら手仕事をする、育児と仕事との両立の構図がそこにあった。昭和の風景。

立体の器に、平面印刷の絵柄を貼っていく。転写紙のコートが熱によって伸びるため、器を少しお湯で温め、形状に合わせて、丁寧にゴムベラや指先で、シワや水分や小さなホコリが入らないよう、伸ばしながら貼っていく。

その際、器をあたため過ぎても、転写紙が貼り付き過ぎてデザインが部分的にのびてしまうし、冷た過ぎてもまた、転写紙が器に沿ってのびず貼り付かない。転写屋さんで印刷したてのものは、素材も柔らかいので、器はあまり温めてはいけなかったり、長らく倉庫にあったような古いものは、パサパサで硬化していて、器はかなり温めなければならないというように、その転写紙の質や、器の形状で都度かわっていく。季節によっても、だ。

その加減を感じとっていく。経験で。
丁寧、かつ、効率よく数を貼っていかなければいけない。


母のもとで、私も同じ仕事をし始めたのは、結婚して出産をしてからである。

かつて私がそう育ったように、
我が子をコロコロとお昼寝布団に寝かしあやしつつ、寝ている間、ご機嫌に遊んでいる間に手仕事をする。子どもの成長とともに、私の仕事時間は長くなり、今では朝から晩まで、近頃は土日も自宅で仕事をするほどだ。

お馴染みのラーメン鉢や牛丼どんぶり、ホテルのディナープレートやティーセット、イベントのグッズや、テーマパークの非売品プレート、高級ブランドの小物まで、あらゆる陶器の絵付を請け負う。

この山奥の工房で、ひっそりと、せっせことひとつひとつ手作業で絵付された陶器たちは、賑やかな都会へ、煌びやかでオシャレな街角で、すまして並んでいるのを想像する。
誰かの特別なプレゼントだとか、素敵なディナーを演出するだとか。きっと、一つ一つ手作業で絵付されていることなど、知られてはいないだろうけれど、それでも。

とても夢がある。

母は目が見えなくなるまで、あるいは手がいうことを利かなくなるまで、仕事をするという。まわりは徐々に、廃業していって、担い手もいない。地味で地道で単価も安い末端の古い仕事をこつこつやるよりか、どこかのパートへ出た方が、よっぽど稼ぎになるのだから。


「仕事が仕事を呼ぶ。丁寧で誠実な仕事をしていれば、自然と仕事はくるもんよ。」


母はある時、ニューヨークに本社のある有名ブランドの非売品小物をサンプル絵付した際、「これを貼った方にお願いしたい」と、ご指名で仕事を請け負い、1000個単位の仕事を100アイテム近く、1人で貼っていた時期がある。この田舎の山奥で、普通のおばちゃんが、ひっそりとこつこつ貼っているだろうことなど知らないだろう人が、その仕上がりに納得をし、GOを出したのだ。各種国際イベントで配られる○○製(ブランド)の陶製小物、セレブたちに配られたであろう陶製小物。

母の「仕事」が仕事を呼んだ。

決して明るみに出ることはない。けれど、着実に、丁寧な仕事をしていくこと。1つ○円みたいな、駄菓子よりも安い賃金だとしても…、同じスタンスで仕事をする。

大きな手。

繊細で、妥協のない仕事をする手。

ムクっと大きな手が、とてもかっこよく見える。稼ぎのためだけの仕事ではない、仕事をするための手。

技術伝承の手。

地場産業が衰退していく中。

あの大きな「手」が仕事を呼ぶかぎり。

そして、私の小さな「手」が、仕事を呼ぶようになるまでは。

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