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侍に会いました。

藍染の作務衣の男。
のびた髪をひとつに束ね、頬はツヤツヤで、やけに健康そうな侍と出会った。
彼は「陽気な侍です」とにこりと名乗った。


ちかごろ、駅へ次女を迎えにいくと、見かけていた人だ。え、怪しい。

『話 ききます』
と書いたパネルを脇に置いて
駅前のベンチに座っていた。

その作務衣の男が目の前に現れて、共に街の未来について話すことになったのは、「街づくりワークショップ」へ人が集まらないからと声がかかり、出向いた先でのことだった。

あ。
あの怪しい『話ききます』の人だ。

怪しみながらも、変な人にとても興味があるのを隠せない私は、気がつけば彼にいろんな質問を投げかけ、見るからに食いついていた。

どうして駅前にいるの?
何してるの?
話してくる人いるの?
怪しまれたりしないの?
いったいあなたは何者なの?

侍とは名ばかりに、にこやかで穏やかな話し方の彼は、質問の一つ一つに気さくに答えてくれた。

ある女性との出会いが彼を変えたのだという。その女性を私も知っていた。
とても活動的な方で、赤ちゃんと母親をサポートするサロンなどを開催しておられた。娘が産まれたばかりのころに、私も参加したこともあったと思う。

彼女にその後、ガンが見つかり、闘病されていたのだという。彼は、彼女のその病と闘いながらも穏やかな姿勢に、
「本当に大切なことを学んだんです」
と語った。

当たり前のことがとても幸せなんだ、と。

ごはんが食べられること。
美味しいと感じられること。
朝が来るということ。
身体が起こせられるということ。
眠れるということ。
笑えるということ。
誰かと話せるということ。
誰かに触れられるということ。

人は産まれたときには、
「五体満足であればいい」 
「無事に産まれてきてくれればいい」
そう願って、ただただその命を願ったのだ。

生きていくうちに、それを忘れていってしまう。何者かにならればならないと、役割や意義を見出そうとする。そして、自分の価値をも見失ってしまったりする。

「こんな風でも生きていけるんだって、
    僕はみんなに思い出してほしいんです」

まるで「星の王子さま」みたいな心の彼が、絵空事には思えなかった。

街の未来を語るワークショップで、私は彼と、子どもたちが元気に遊び回れる街になるといい、と語り合い、盛り上がっていた。

駅前で『話ききます』をしていると、たくさんの若者が話に来るのだという。
彼らはほとんど、将来に不安を抱え、大人になることを躊躇い、窮屈な世の中で縮こまって、何者かになれずに絶望しているのだと。

子どものころから、きっとそうなのかもしれないね、と私たちは似たような想像をしていた。存分に遊び回って、転んだり、怪我をしたり、人とぶつかったり、笑いあったり、自然の中で、許されてきた子どもらしさを、今の大人や社会が奪っていってしまっているのかもしれないね、と。

口出しをせず、見ていてあげる大人や、
何かあったとき、そばにいてくれる大人や、
子どもたちが安心して遊ぶ場所と時間が
きっと、もっと必要だよね、と。

ワークショップでそんなことを発表したら、会場にいた年配の男性も女性も、子育て世代も高校生も、とても深く頷いて聞いてくれていた。 
「暇なシニアが見守ってあげられるよ」
「公園の草刈りやってあげるよ」
そんな声まで出ていた。

陽気な侍と、「嬉しいね」と笑った。

藍染の作務衣の男。
若者の強い味方になるかもしれない。
なんだかとても希望に見えた。

見た目、
怪しいのはあれだけど…。








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