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壁紙の自給自足を試みるために作品と向かい合う/2022-2-20

パソコンの壁紙問題

パソコンの壁紙を,自身の作品にしてみたいとふと感じることがある。

標準的に搭載された壁紙は,やはり雰囲気に合うしシンプルなため,ちょうど良い。しかし,何かが物足りない。

そう思い,何度か自身で撮影した写真を壁紙にしてみるが,何かが違う。

主張が強いような,弱いような。地味なような,派手なような。

パソコンの壁紙である以上,パソコンとしての利用には支障をきたさないシンプルなものである必要がある。しかし,かといって地味なものではダメだ。

私の作品であり,私のパソコンである以上は,私が思い描く画を壁紙にしたい。

そうして,私のパソコンの壁紙を自給自足するという試みが始まる。

作品とのダイアローグ

まずは,既存の作品を試してみる。だが,どうも何かしっくりとこない。

壁紙という枠組みに当てはめた途端に,その写真は何かが違うように感じる。

そうすればこの違和感を払拭できるだろうか。

そうして,私の気に入っている写真を何枚も試していると,何かと懐かしさが込み上げてくる。

自分のカメラを手にして間もない頃の写真から,徐々にカメラとの距離が開き始めた頃の写真,旧友と出かけた際の写真から,引っ越しの直前と直後の全く異なる景色。

今思えば,容量の関係で削除してしまったものや,HDDの故障により失われた写真が存外に多いことに気づく。

引っ越すことを想定していなかった頃の写真に思いを馳せながら,写真との対話を進めていく。

基本的に,私が撮る写真のほとんどはスナップだ。

何か準備をして写真を撮りに出かけることもある。しかし,基本的には散歩や出かける際にサブウェポンとして持ち歩いたカメラで風景を切り取るスナップショットが大半だ。

そのため,その頃に何をしていたのか,何を考えていたのかが,写真を見ていると一人思い出すことがある。

こうしてみると,引っ越して以降の写真とは対話をする機会がなかなかなかったような気がする。

そうして,さまざまに試してみた結果,多少はピンとくるものがあった。

しかし,ピンとは来たものの,これだ!といったものはあまりない。

壁紙ということを前提とした写真を撮るしかないのだろうか。

自給自足で作り始める

いつもなら,ここで諦めているところだが,今回は思い立ったが吉日だ。

早速散歩がてら写真を撮ることにする。

ちょうど,今の季節は,私の好きな梅の花が咲いている。何度か撮りはしたものの,今年の梅の花はこれだといったものはまだ撮ってていないことに気づく。

カメラは,PENTAX KS2だ。最近はFUJIFILM X100Fを使うことがほとんどになっている。X100Fは軽いし取り回しもしやすい,なおかつ撮って出しでもなかなか満足したものが撮影できる。

しかし,「今日は写真を撮る」という時には,KS2がやはり手に馴染む。重いため,普段は持ち出すのを躊躇うが,その分写真を撮ることを目的としている時には,その重さがちょうど良い。

そうして,私はカメラと本を持って散歩へと出かける。

散歩のために外に出ることも最近は少なく,基本的に家に篭る生活にシフトしているため,外の空気は新鮮だ。

本を持っていったはいいが,思いのほか寒く,ページを捲る指が固まりそうだったので,読書は数ページで断念する。

しかし,写真は満足いくものが撮れた。

家に帰り,現像をする。

現像したものを書き出し,どれが壁紙にふさわしいかを比較していく。

すると,これしかないと思えるものが1枚あった。

画像1

枝振りがよく,色鮮やかでありながら,過度に色鮮やかなわけではない。

朧げだが明確で力強い。

また,モニターの発色もなかなかどうしてちょうど良く,主張が強すぎることによって集中を落とすような感覚もない。

こうして,この写真を,メインモニターの壁紙に設定し,残りのディスプレイにはまた異なる写真を設定してみる。

iPadとiPhoneの壁紙も変更し,ひとまずはこれで満足だ。

予想以上に,自給自足は成功した。

また,思いがけず作品と対話する機会もあり,あらためて私に撮っての作品の立ち位置を認識することとなった。

次に撮る写真は,何の写真だろうか。

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