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ジャイアントキリング~orangepekoe~

 「ケンカです!止めてください!」

夜の9時すぎ、通報が入った。ケンカの通報は、この交番に配属されてからは初めてだった。
「ケンカですって。どうします?」
奥の休憩所で寝っ転がってテレビを見ている先輩に聞いた。テレビでは、格闘技の試合の中継がやっていた。そろそろ、自分が楽しみにしていた試合が始まる頃なので、出来れば外に出たくなかった。先輩はテレビから一切目を離さないまま、「乱闘?」と聞いてきた。
「いえ」
「タイマン?」
「そうみたいです」
「お前、行って来いよ」
「はい」

「お前が怠慢(たいまん)じゃねぇか…」自分のセリフのくだらなさに軽く笑いながら交番を出た。ケンカのあった現場の花屋は交番の近所だったが、早く帰ってきたいと思い、自転車に乗った。

現場の花屋の前に着くと、ちょっとした人だかりが出来ていた。

「はい、すいません。通してください」

人だかりをかき分けて進んで行くと、二人の若者が殴り合っていた。
「ほぉ…」
本来ならばすぐに止めに入らなきゃいけないのだが、つい、足を止めて見てしまった。
「面白いな」
そんな言葉が、口をついて出た。やじうまも、「やめろ!」という空気じゃなく、ワクワクして見守っているという雰囲気が漂っていた。
その理由は、殴りあっている二人の体格差だった。あまりにも差がありすぎる。片方は百八十はくだらない。もう片方は、百六十ちょっとといったところだった。そして、大きい方のパンチは腰が入っている。空手だろうなと思った。それに比べ、小さい方のパンチは大振りで力任せ。明らかに素人のパンチだった。

それなのに、勝負は互角だった。雰囲気的には、やはり、小さい方が応援されている。人はやっぱり、ジャイアントキリングが好きなのだ。
すると、勝負が動いた。小さい方が、左手で大きい方の胸倉を掴んだ。
「あ、まずい」
その距離は、完全に空手の間合いだ。小さい方は、自ら危険エリアに入ったことになる。明らかに、自殺行為だった。
「あ!」
大きい方の拳が、小さい方の腹に下からもろに入り「ずん」とも「ぐん」とも言いがたい鈍い音をたて、小さい体が跳ね上がった。やじうまの中から「う…」だの「うわ…」だのという悲痛な声が聞こえてきた。

「おまわりさん、何してんの。とめてよ」
となりにいたカップルの、ちょっとギャルっぽい彼女にそう言われ、その子の顔を見て「あぁ、はい」と答えた。その時、

「ゴツッ!」

大きな、骨と骨がぶつかる音が聞こえ、やじうまから「おぉ…」という小さい感動の声が聞こえた。慌てて二人を見ると、大きい方が地面に倒れ、小さい方がそれを見下ろしていた。

「何!?どうなったの!?」カップルの彼氏の方に聞いた。
「小さい方のパンチが顔面に入って…それで、一撃でダウンです」
「まじかよ…」
やじうまがざわざわと盛り上がった。拍手をする者までいた。
「くっそ…KOの瞬間見逃した…」
そんな風に思っていると、「おい!」だの「やめろ!」だのという声が上がった。
「今度はなに!」
また、二人の方を見ると、小さい男が倒れている男に馬乗りになって、顔面を殴っていた。それを、別の少年が止めに入っていた。
「だから、止めろっつの!」
ギャルっぽい彼女に尻を蹴られ、「あぁ、はい」と慌てて少年たちに近づくと、間に入っていた少年が俺に気づいた。
「おい、警察だ、やばい!」
そう言って、馬乗りになっている少年を引きはがそうとしていたが、殴る手は止まらなかった。「どいて」と言って、間に入っていた少年をどかし、殴っている少年の脇に手を入れた。
「おい、やめろ」
そう言って、動きを止めた。その時、少年がこっちをにらみつけた。その目を見た時、背筋がゾクッとした。警官をやっていて、年下に対してこんな感覚を覚えたことが信じられなかった。
「警察だ、やめろ」
落ち着いてそう言ってみせたが、さっきの感覚に、自分自身で戸惑っていた。少年は、俺の手をふりほどくと、下を向き、「ふー、ふー」と深く呼吸をし、気持ちを落ち着かせ始めた。それを見て、少年から離れた。
「ほら、散って散って!」
周りの人だかりにそう言うと、やじうまはぞろぞろと散って行った。「お前も見てたじゃん…」という声がいくつか聞こえたが、聞こえていないことにした。

 「あのぉ…」
さっき、間に入っていた少年が話しかけてきた。
「君は、友達?」
「えっと、強い方が友達で、負けた方が俺の先輩っす」
頭の悪い喋り方をするなぁと思いながら、「高校生?」と聞いた。「そうっす」と返ってきた。
そのとき、背中から、「お騒がせしてすいません」という声が聞こえてきた。振り返ると、小さい方の少年が頭を下げていた。至近距離で少年を見る。確かに身長は小さいが、体に厚みがあり、首や腕も太かった。ついでに言えば、顔つきも根性の入った顔つきをしている。人の精神は顔に出ると言うが、なるほど、これなら強いのも頷ける。

 そこで、倒れていた大柄な少年が体を起こした。「いてぇ…」と呟きながら顔を手で押さえた。
「おい、大丈夫か?」
声をかけると、大柄な少年がこっちを見た。小柄な少年も、彼を見た。すると、大柄な少年の顔から一気に血の気が引き、真っ青になった。
「う、うわ、うわぁ~~~~!」
そう、悲鳴のような声をあげ、走って逃げていってしまった。
「おい!ちょっと待て!」
追いかけようとしたが、小柄な少年が「あぁ、いや、待ってください」と腕を掴んできた。腕に伝わる力は、ものすごく強かった。手も分厚く、グローブでもはめているのかと思う程だった。
「先に手を出したのは俺です。俺が悪いんです」
そう言う少年の目は、さっきの恐ろしい目と違い、真っすぐで誠実な目だった。本気の反省が見て取れる。
「…できれば、おおごとにしないでいただけると助かります」
そう言って、また頭を下げた。一度、話を聞いてみようと思った。
「…なんで殴ったんだ?」
「それは…」と言うと、少年は何かを思い出し、「…あっ!」と叫んだあと、走り出した。
「なんだ、なんだ」と後を追いかけた。少年が地面にしゃがみこんだ。
「なにしてんだよ?」
「…これを、あいつが倒して、踏んづけやがったんです」
「これ?」

少年の背中から覗き込むと、横に倒れている鉢植えから土がこぼれ、真ん中から真っ二つに折れた白い花が転がっていた。少年は、こぼれた土を素手でかき集めていた。

「…え、これが原因?」
あの激しいケンカの原因が、花だと?
「おめー、こんなことでケンカすんじゃねーよ!」
拍子抜けして、思わずそう言ってしまった。
「は?」
少年がにらみつけてきた。さっきの「ゾクッ」がまた走った。
「…あ、いや、すまん」
少年は、また、土をかき集め始めた。

「あいつ、花大好きなんすよ」
少年の友達が話しかけてきた。
「いつも、あんな感じ?」
「そっすね、だいたい」
「そうか…」
しかし、戸惑った反面、ほっとした。にせずに済みそうだ。
「先輩っていうのは、学校の?」
「学校の…で、俺の部活のです」
「空手部?」
「あ、よくわかりましたね」
「さっきの勝負見てればな」
「へぇ~」と、感心したような目を向けてきた。
「で、あいつは何者だ?」
「何者…ってなんすか?」
「不良か?」
「いえ、花屋です」
「はな!?」
「はい、ここで、バイトしてて」

頭の中で、情報の処理が追いつかなかった。ん?花屋が?空手家をボコボコにして?で?空手家が逃げた?しかも、あんなに体格差があるのに?
 混乱した頭のまま、もう一度小柄な少年を見た。少年は背中を向け、かき集めた土を鉢に戻していた。その背中は小さくて、まるで子供のように見えた。その小さい背中からは、優しさを感じた。さっきのあの目をしたやつだとは到底思えなかった。なんだか、実態のつかめないやつだなと思った。ひとつ、息を吐いてから、少年に近づいた。
「なー、少年」
「はい?」少年が振り返った。
「まー、お前が先に手を出したんだろうけど、ケンカの原因つくったのはあいつみたいだし、そのあいつも逃げ出しちゃったから、今日は注意で終わらすから」
「助かります」少年が立ち上がって頭を下げた。
「ただ、名前だけ教えておいてくれ。一応な」
少年は、名前を「いくみ」と言った。女の子みたいな名前だなと思ったが、言わないでおいた。背は低いのに、体は丈夫。顔がイカツイのに、女みたいな名前。そして、花屋で働いている。なんだか、色んなことがちぐはぐなヤツだなと思った。

「…あの、これ、良かったら」
「ん?」
『いくみ』と名乗った少年が、白い花を折れたところから手で千切って、渡してきた。
「交番にでも飾ってあげてください。そうすれば、少しは報われます」
「…ありがとう」
思わず、受け取ってしまった。

「もう喧嘩すんなよ」
そう言って、自転車に乗り、二人と別れた。友達の方が「またどこかで」と手を振ってきたので、「またはねーよ」と言って別れた。いくみは、頭を下げていた。背中から、
「だから、空手部入れって言ってんじゃん」
「やだよ」
という会話が聞こえてきた。俺も「入ればいいのに」と思った。

 交番に戻ると、先輩がさっきと全く同じ体勢でテレビを見ていた。俺が楽しみにしていた試合は終わってしまっていた。でも、「まぁ、いっか」と思った。『花屋VS空手部』もなかなか面白かった。先輩が、またもテレビから目を離さずに「どうだった?」と聞いた。
「んー、まぁ、ちょっとしたトラブルだったみたいなので、注意で済ませました」
「そーか」
と、先輩がこっちを見た。俺が白い花を持っているのに気づくと「…なんだよ、それ」と言った。
「お土産もらいました」
「…何してんの、お前」
先輩が笑った。
「これ、飲み終わってます?」
先輩が転がしていた缶コーヒーの缶を指さした。
「あ?あぁ」
その返事を聞いて、缶を洗って少し水を入れ、そこに白い花を挿した。
「飾るのかよ」
「男二人じゃ、むさいっすから」
「ははは」
先輩が、テレビに視線を戻した。花のある部屋っていうのも、悪くはないなぁと思った。

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