戦わずに済む選択肢を選びたい。


マイナスの情報が、あまり好きじゃない。

かつて自分もTwitterでひたすら会社の文句や愚痴ばかりをこぼしていた時代があるので、まぁどの口が言うかって感じではあるのだけど、そんなことを思う。

何が悪いかってコロナウイルスのせいなんだよなぁ。仕事はしなきゃいけないのに週末の楽しみは自粛だなんて、まぁ腹立たしいよねぇ。

わたしも取材記事が一気になくなって、数少ない仕事は納期がキツめ。忙しい割に先の見通しがまったく立たず、ちょっと鬱の足音が近くに来ているなぁ、と自覚している。

コロナの影響でメディアも「出せる記事」が少ないので、企画さえ通ればすぐに記事が欲しいってなるよなぁ……ともちろん頭で理解はしているものの、「その次」がない状況での忙しさは、精神的にキツいものがある。多少とはいえ、仕事があるだけマシなのかもしれないけども。


TwitterのTLを見ても、みんな怒ってるなぁ。悲しんでるなぁ、という気持ちになる。言いたいことはたくさんあるよね。経済のことであったり、政治のことであったり。

でも、「なにやってんだ!ふざけんなよ!!!」って声もあれば「よくがんばってんじゃねぇか!文句ばっか言ってんじゃねぇ!!!」って声もあるでしょう。「いいか・わるいか」じゃなくて、みんなそれぞれの立場でそれぞれの想いを持って生きてる。

他人のことはわからない。たとえ家族であろうとも、ひとの心のうちを100%理解できることなんてないんだ。背景も、想いも、思考回路も、ぜーんぶちがうひとたちがみんな思い思いに声を上げているんだから、意見が食い違うこともあるでしょう。逆に、「あの人はああ思ってるはずなのに」って言っちゃうのは、一種の思い上がりなんじゃないかな……なんて思ってしまう。


「多様性」という言葉が好きだ。「いろんなひとがいてもいいじゃん」「多少ひととちがっても、それが個性だよね」って言えるような世界が好きだ。

0か100かじゃない、30でも70でも50だって、まぁそれもいいよねぇと許し合える世界になったらいいよなぁ。

コロナのせいだ。わかってる。でも、いまの世の中って、それにちょっと逆行してるような気もしてて。対立とか分断が多くなってるようにも思える。政策の話ってどうやったって「おめぇんとこも、なかなかやるな」って話にはなりづらいので、仕方なくはあるのだけど。是か非かで言い争ってるのを見ちゃうと、ちょっとだけ息が苦しい。

もちろん、そう思ってる自分自身にだって余裕がないから、ついついひとの意見が気になってしまうんだろうな。

別に、「そういうことを言うのはやめようぜ」なんて言う気はない。押し付けるのはきらいだし、それって多様性から最も遠い意見じゃない?怒るひとだって、嘆くひとだって。それこそ、多様性を認めないひとだって、どんな人間がいたっていいのがわたしの望む世界だから。「あー、そうなのね」の一言で済ませれたらいいなぁ。


今月の頭に、Twitterに大量にミュートワードをぶち込んだ。ちょっとだけだけど、気持ちが落ち着いたような気がする。

現代日本においてはなにを言ってもいい「言論の自由」はある。でも、それを見た誰かが「なにをどう思うか」もまた自由だ。でも、それがまたマイナスの感情を呼び起こしてしまうとしたら、すごくかなしい。だからわたしは思う前に「見ないこと」にした。

「知らない」ことは「ないこと」と同義だ。この情報化社会を生き抜いていく上で、おおいに不利な選択であることもわかってる。でも、わたしは自分の精神を守りたい。心をかき乱されたり、噛みつきたくなってしまったり。そんな自分ではありたくないから。

この状況がいつまで続くかもわからないけど。たとえコロナが収まったところで、いちど傾いた世のなかの流れは変わらないかもしれないけど。世のなかがもう少し落ち着いて、わたしも含めたみんなが余裕を取り戻すその日が来ることを信じて。「まぁ、それもありだよねぇ」って笑って話せるといいよねぇ。

多様性を守りつつ、対立や分断を呼ぶような言葉はしばらく見ないことにして生きていこうかな、と思った次第。おいしいものとたのしいものの話がしたいのよ。


#エッセイ #日記 #コミュニケーション #人間関係 #思考 #価値観

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