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真夜中に考える、自己顕示欲との向き合い方

今日も今日とて、代わり映えのしない一日が終わった。いつも通り起きて、コンビニでパンとヨーグルトを買って出勤して、業務を終える。

私は仕事柄、人と会話をする機会が少ない。今日は誰とも会話しなかったな、なんてことも珍しくは無い。

つまるところ、誰かに「自分」という存在を認知される機会が少ない。

すると嫌でも向き合わなければいけなくなる。
自己顕示欲と言うやつに。



自己顕示欲というと、良くないものっていうイメージがある。

たとえば、「自己顕示欲が強いね」と言われたら、あんまり良い気分にはならない。

とはいえ、自己顕示欲を完全に無くすことは出来ないだろう。

最近は、他人の幸せがよく目に入る。たとえばSNSなんかはその典型だと思う。ひとたびアプリを開けば、色んな人のギラギラとした成功が目に入る。自分がある程度満たされているなら祝福できる。でも自分が切羽詰まってる時、他人の幸せなんてものは毒にしかならない。自己顕示欲は、どす黒い感情に変貌していってしまう。

それでも見たくなってしまうのは、なんでなんだろうね。



自己顕示欲は悪者!みたいに言ってしまったけれど、悪い面ばかりではない。たとえば、努力の先に成功があって、成功を他人から賞賛されるというサイクルを作る。そうすれば、自己顕示欲は次の努力へのモチベーションに昇華できる。

思うに、自己顕示欲というのは薬みたいなものなのかもしれない。薬は、用法用量を守らなければ毒になる。自己顕示欲の先にある快楽に浸り続けると、どんどん足りなくなってくる。

やはり、どこかで自己顕示欲への折り合いをつけることが大切なんだろう。

無くすのでもなく、摂りすぎるのでもなく、中庸に。

そして、小さな幸せを噛み締められるようになること。

SNSで繰り広げられる幸せ合戦には、終わりがない。満たされない自己顕示欲に溺れてしまう。幸せに肥えてしまう。小さな幸せでは、物足りなくなってしまう。

だからこそ思う。

今の社会は、ひたすら努力をして、他者を負かせて、その先の成功を掴み取る事だけが賞賛されている気がする。

小さな幸せに気づいて現状に満足する精神が、少しくらい褒められてもいいのにね。




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