労働生産性はどうやって変化するんだろう?
「アメリカ経済 成長の終焉」ロバート・J・ゴードン 著 高遠裕子、山岡由美 訳
恐ろしく長い本なので、最後の最後の「成長の加速要因と、減速要因」だけを扱います。自分勝手にまとめているとは思うので、ここは違うんじゃないか、誤字などがあれば教えてください。
要約
「アメリカ経済 成長の終焉」ロバート・J・ゴードン 著 高遠裕子、山岡由美 訳
第3部 成長の加速要因と減速要因
第16章 1920年代から50年代の大躍進--何が奇跡を起こしたのか?
はじめに
1928年までの成長と比べても、1928から1950年までの成長は群を抜いてすごい。そこでこの章では労働投入、資本投入、成長性はどのように変わったのか、その要因を探っていこうと思う。この章では第二次世界大戦(以下、“WW2”と略)であると主張する。もう一つは1929年まででは実現されていなかったイノベーションが利用され始めたのと、1930~1940年代での新たなイノベーションがその要因であるとする。
どれだけ躍進したのか。生産量、労働生産性、労働時間。
1870~1928年までのトレンドに比べて一人当たりのGDPと労働生産性は大恐慌で暴落し、その後回復、一気に乖離した。労働時間はNew Deal政策で短くなったと考えられるが、労働生産性は一貫して伸び続けている。
何が実質賃金を押し上げたのか
労働生産性の大幅な上昇は競争市場においては実質賃金の上昇に等しくなる。では、実質賃金の伸びが労働生産性を引き上げたのか?まず、実質賃金の上昇はNew Deal政策による労働組合の結成が要因として挙げられる。労働組合が結成されたことで、ほかの産業にも波及効果が伝わり、全体の賃金上昇につながったといえる。(1950~1973年において実質賃金は労働生産性以上にトレンドを上まわったということは、総所得内での労働省徳の比率の上昇につながり、これが「大圧縮」につながったと考えられる。)組合結成によって、労働時間の圧縮はこれまで10時間かけていたものを8時間で済ませるように、また賃金上昇圧力が強まる中で労働者を資本で代替することで労働生産性が上がったと考えると納得がいく。
労働の質の役割
「成長会計」において、労働生産性の伸びは1労働の質、教育2労働量に対する資本量の増加3資本の質の向上4全要素総生産性(TFP)の4つのカテゴリーに分けられる。ただ、1に関しては1928年の前と後も改善が進んでいるため、1920から1950年代の生産性の急上昇の説明にならない。
資本と全要素生産性
1920年から1950年にかけて、資本投入量に対する生産量の比率はほぼ倍になっていた(!!!!)(その後徐々に低下していき、1928年と比べ2013年には108%にまで落ちている)。戦後になると、すぐに1930年代の不況期の水準に戻ると考えていたが、そうはならなかった。ここまで資本生産性を引き上げたのは何だったのか。生産体制と産業の効率性に不況と戦争が与えた影響や、イノベーションの基礎的なペースなど注目すべき点がある。
イノベーションと技術変化の指標であるTFPの伸び率は1930年代から1950年まで着実に伸び続けている。その伸びはWW2の最中に大きく伸び、戦後でも戦時中の伸びが途切れるということはなかった。では、1920年代から1950年代にかけて確実に伸びを加速させ、その後鈍化させたイノベーションプロセスとは何なのか。軍需生産がなくなったあともTFPの水準を維持した成長のプロセスとは何だったのか。1930~1940年代の生産性の大幅な上昇は遅行効果1920年代から30年代にかけての発明・イノベーションの恩恵をどう受けているのかを分析していく。
大躍進の要因―大恐慌と第二次世界大戦による経済混乱
1928~1950年代にかけて資本生産性とTFP成長率の成長をもたらしたものは何なのか。その要因は大恐慌とWW2にどのくらい関係づけられるのか。1実質賃金の上昇と労働時間の影響で、労働者のコストが上がった。21930年代では少ない従業員でやりくりせねばならないため、コスト削減効果が生まれ、また生産最大化目標が機械の高速化と労働者の努力を促したので、労働生産性の上昇と同じ効果を持ったといえること。31930年代の政府が建設したインフラの効果は大恐慌がなければ実行されなかったということ。
実質賃金の上昇
実質賃金が上昇したので資本に代替されるようになり、新規設備投資が行われ、労働生産性の上昇につながった。また継続的イノベーションも新規設備投資に影響しており、トラクターや鉄道機関車などの品質の向上にもつながった。
第二次世界大戦時の高圧経済
生産量、労働時間、労働生産性はいずれも1942~1950年代にかけて上昇し、その後も労働生産性は上がり続けた(労働時間はベビーブームなどで短縮)。1941年には、供給不足にアメリカおちいっており、「学習効果」を通じたチャネルで大幅な生産性の上昇につながっていった。
また戦時中は、愛国心と目的意識が結びつきやすく、これまでより意欲的に効率的に業務に取り組むようになった。そして、これは戦争が終わってからも技能として残り続け、それらが定着し、労働生産性の伸びにつながったともいえる。1930年代後半の生産性の伸びから、戦争により防衛費などで総需要を圧迫したとするならば、生産性ではなく雇用に影響があると考えられる。しかし、その後は軍需から民需へと移行する中で、高い生産性を学んだ労働者たちは豊富な民間需要に対応するようになった。
また、生産のフローを円滑化する手法は1920年代のきめ細かい管理面に見ることもできる。1930年代に資本と労働の全体の稼働率の低下にも関わらず、労働生産性とTFPが伸びた要因はここにあるかもしれない。WW2によって消費者の効用が改善したかは疑問が残るが、それでもWW2によってアメリカ経済への期待は大きく変わったのは間違いない。
戦時施設
1930~1950年にかけて民間の資本投入は停滞するも政府資金による資本投入は大幅に増加した。
大躍進に長期的な要因―都市化、閉鎖経済、資本の質の上昇
都市化と農業の衰退
1929年以降TFPが成長した理由として、生産性の低い農業から生産性の高い都市産業に労働者が移動することで、経済全体のTFPを高めることに寄与した。ただ、都市化自体は1928年以降の生産性やTFPの伸びの加速を説明するものではない。
移民と輸入
1870年から1913年の間の移民流入では大量失業を引き起こさず、高級と同じくらいの需要を生み出した。新たな移民は住宅や職場などが必要だからである。つまり移民は資本投入の高い伸びに寄与したといえる。
対照的に1921年と1924年に移民を制限させる法律ができた。(移民制限法は以前から大恐慌を引き起こした要因として考えられた)。1920年代の住宅や非住宅建造物が過剰になったのは、早いペースでの人口増加が進むと予想されていたものが、移民制限法により実現しなかった。
移民制限法によって1930年から1960年にかけて、相対的に閉鎖的な経済に変わった。1930年代には労働組合の組織化が容易になり、賃金を押し上げた。また過去数十年、製造業ではアウトソーシングから高関税が課されたことで、国内に様々なイノベーションを導入した。移民制限法と高関税で閉鎖経済し、実質賃金の上昇、国内での革新的技術への重点投資、1920年代から1950年代の一般的な格差の縮小に寄与した。
1920年代から30年代のイノベーションで、大躍進が説明できるか。
もともとの発明と、それによって可能になった副産物的発明を区別した。電気や内燃エンジンなどは多くの小さな発明につながる「汎用技術」である。汎用技術では機械的な力を電気に変換し、電線で長距離を選び、望ましいエネルギー形態に再度、変換する方法を見つけたことが、もっとも重要だったと説明力ある主張を展開している。(以下はかなりの記述があるが、かなり細かいので省略)
まとめー何が大躍進を可能にしたのか
現代経済史においては、ほぼ2000年にわたって一人当たりの実質成長の成長が見られなかったのに、急激にその後成長したのはなぜかということが重要な問いである。また、1960年代から1970年代にかけて、アメリカ・日本のみならず、西欧諸国の大半で成長が鈍化したのはなぜなのか。20世紀半ばの1928年から1950年にかけて、アメリカの経済成長率が高かったのはなぜなのかという問いである。
労働生産性とTFPの伸びを10年ごとに見ると1890年以降1940年まで徐々に上昇するが、1940年代以降は徐々に下降している。だが、1972年以降の成長の鈍化が期待外れであったのは、それ以前の1928年以降の成長が未曽有のものであったからだ。
第二第三の問いに対する答えは、1930~1950年代のTFPの伸びが、ほかのどの時期よりもいかに突出しているか説明したが、この20年は大恐慌とWW2で平時の経済が崩壊したが、その間に特別だったのは何だったのか。
いくつも説があるが、いくつが除外できる説もある。教育水準や、都市化の進展は除外すべきだ。
16章では大恐慌とWW2が直接寄与した可能性に言及した。実質賃金の上昇やWW2間の資本投入の増加からだ。
大恐慌の影響でとらえにくいのは、従業員の解雇で本格的なコスト削減が行われた。その結果より少ない従業員での削減で生産するために新しいアイディアや効率的な手法が取り入られた。
またより確かなのはWW2の高圧経済で生じた学習記録による生産性の上昇である。WW2による労働生産性の大幅な上昇が永遠に続くように見える点は特筆すべきである。
製造業では連邦政府が資金を負担して、様々な設備投資が行われた。その結果戦後の生産性が上昇し、1941年時点で民間が保有していた既存設備に比べ生産性が高かった。
生産性とTFP上昇の要因として、大恐慌とそれに続くWW2の影響以外にイノベーションん自体にのペースについて考えなければならない。それが発明されてたから、生産性に影響が出るには長いタイムラグがあるということである(例えば、1929年から1950年にようやく、製造業をはじめ経済全体に電力が完全に普及した)。
大恐慌のトラウマで、アメリカの発明力は衰えるということはなかった。
さらなるまとめでは、経済成長の最大の謎に関する研究から、第一にWW2がアメリカ経済を長期停滞から救った。戦争無しの1939年代以降の成長はかなり悲観的なものがある。第二に、従来の経済史以上に認識されている以上に、電気・電力と内燃エンジンの発明によって、1920~1940年代を通じて、生産手法の改善が進んだ。1930年代の「もっとも革新的な10年」という評価もあるが、この本では、1941年から50年の労働生産性とTFPの伸びはさらに高かったということを示した。
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