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芥川龍之介「歯車」

「歯車」(「河童・或阿呆の一生』より) 


僕は或知り人の結婚披露式につらなる為に、東海道線の或停車場へ自動車を飛ばし た。 乗り合わせた理髪店の主人がこう云った。 

「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るって云うんですが。 一番多いのは雨のふる日で、レエン・コオトを着た幽霊だって云うんです」

 上り列車は二三分前に出たばかりだった。待合室のベンチにはレエン・コオトを着た男が一人ほんやり外を眺めていた。 僕は駅からホテル歩いて行った。往来の両側に立っているのは大抵大きいビルデ ィングだった。僕はそこを歩いているうちにふと松林を思い出した。のみならず僕の 視野のうちに妙なものを見つけ出した絶えずまわっている半透明の歯車だった。歯 車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまう。暫らくの後には消え失せる代 りに今度は頭痛を感じはじめる。 僕は又はじまったなと思った。ホテルの玄関へはい った時にはもう歯車は消え失せていた。が、頭痛はまだ残っていた。

結婚披露式の晩餐はとうに始まっていた。僕の心もちは明るい電燈の光の下にだん だん憂鬱になるばかりだった。やっと晩餐のすんだ後、僕は部屋へこもる為に人気の ない廊下を歩いて行った。廊下は僕にはホテルよりも監獄らしい感じを与えるものだった。僕は机の前に腰をおろし、鞄から原稿用紙を出して、 或短編を続けようとした。 そこへ突然、僕の姉の娘から電話がかかってきた。姉の夫が轢死したと云う。自殺だ った。しかも季節に縁のないレエン・コオトをひっかけていた。

ホテルの部屋に午前八時頃に目を醒ました。が、ベッドをおりようとすると、スリッパアは不思議にも片っぽしかなかった。それはこの一二年、いつも僕に恐怖だの不安だのを与える現象だった。僕はベルを押して給仕を呼び、スリッパアの片っぽを探 ねずみ して貰うことにした。給仕はけげんな顔をしながら、狭い部屋の中を探しまわった。 「ここにありました。このバスの部屋の中に。鼠かも知れません」 

廊下はきょうも不相変牢獄のように憂鬱だった。僕はホテルの外へ出ると、青ぞら の映った雪解けの道を姉の家に向った。轢死した姉の夫は汽車の為に顔もすっかり肉 塊になり、僅かに唯口髭だけ残っていたとか云うことだった。

銀座通りへ出た時には日の暮も近づいていた。僕は両側に並んだ店や目まぐるしいこと人通りに一層憂鬱にならずにはいられなかった。殊に往来の人々の罪などと云うもの を知らないように軽快に歩いているのは不快だった。僕はいつか曲り出した僕の背中 に絶えず僕をつけ狙っている復讐の神を感じながら、人ごみの中を歩いて行った。 ホテルに帰ったのはもうかれこれ十時だった。右の目が半透明の歯車を感じ出した。

頭痛のはじまることを恐れ、〇・八グラムのヴェロナァルを噛み、眠ることにした。 僕は東海道線の或停車場から家に自動車を飛ばした。運転手はなぜかこの寒さに古いレエン・コオトをひっかけていた。僕はこの暗合を無気味に思い、努めて彼を見な いように窓の外へ目をやることにした。すると向うに葬式が一列通るのを見つけた。

やっと家に帰った後、僕は妻子や催眠薬の力により、二三日は可也平和に暮らした。 或生暖かい曇天の午後、僕は妻の実家へ行き、庭先の籐椅子に腰をおろした。 

「静かですね。ここでもうるさいことはあるのですか?」 

 「だってここも世の中ですもの」

妻の母はこう言って笑っていた。その時、僕等を驚かしたのは烈しい飛行機の響きだった。僕は思わず空を見上げ、松の梢に触れないばかりに舞い上った単葉の飛行機 を発見した。鶏や犬はこの響きに驚き、それぞれ八方へ逃げまわった。 妻の母の家を 後ろにして、僕は松林の中を歩きながら、じりじり憂鬱になって行った。 なぜあの飛 行機はほかへ行かずに僕の頭の上を通ったのであろう? 海は低い砂山の向うに一面 に灰色に曇っていた。砂山にはブランコのないブランコ台が一つ突っ立っていた。僕 は忽ち絞首台を思い出した。その上には鴉が二三羽とまっていた。 何ものかの僕を狙っていることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つずつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいたことを恐れた。僕 どうき は動悸の高まるのを感じ、立ち止まろうとしたが、誰かに押されるように立ち止まる ことさえ容易ではなかった。三十分後、僕は二階に仰向けになり、烈しい頭痛をこら えていた。僕の様子を見て、「何だかお父さんが死んでしまいそうな気がして」と妻 が肩を震わしていた。

それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だった。 僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛で ある。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

【尾崎考察】

歯車は芥川龍之介の晩年の作品である。
自分自身を描いたものではないか、とも言われている。
自分自身が歯車になりたかったのか、歯車になってしまったことを悔やんだのかは、定かではないが、いずれにしてもこの作品を遺稿として、旅立ってしまったことは間違いない。
当時流行していた『耽美派』などとは逆に、現実を巧みな技法で描き、菊池寛らとともに『新技巧派』と呼ばれた。
その後『地獄変』『蜘蛛の糸』などの傑作を次々と生み出すが、時代の流れに追従できず、社会と自己の矛盾に思い悩んだ挙句、精神を患った後、35歳の若さで自殺することとなる。

また命日の7月24日は『河童忌』と呼ばれているが、これは龍之介が好んで河童の絵を描いたことにちなんだものである。
ただ、『龍が落ちぶれると河童になる』という言い伝えもあり、龍之介はそこに自分の姿を重ねていたのかもしれない。

『芥川龍之介』のユーモア

『河童』に、自殺した詩人のトックがあの世で芭蕉に遇い、 「古池や蛙飛びこむ水の音」と いう有名な俳句を批評する一節がある。 「蛙」を「河童」に変えて、「古池や河童飛びこむ 「水の音」としたら一層すばらしい句になっていただろうというのが彼の見方である。河童 ならではの批評である。 河童が飛びこむとなると、おそらく蛙何十匹分かのにぎやかな水 の音がすることであろう。

文豪ナビ『芥川龍之介』より



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