私は発達障害を個性だと思うことが出来ない
以前に書いた記事と被る部分もありますが(あと記事を読むうえでの注意事項は前回をご参照ください)。
私は知的障害等を伴わないASD特性有りと主治医に告げられています。
これが判明したのは成人後です。
原因は完全に社会人としての生活に躓いたことでした。
発達障害の特性を持つ方々は大人になってから判明することも多いと聞きます。知的障害学習障害が無いと、学生時代は「なんか変な人」で済んでしまうからだそうです。
全くもってその通りだと思います。
私もまるでその通りでした。
実際「今まで出会った人物の中でお前が一番変わり者」と言われたことがあります。
診断を下されてから「今思えばアレってそういうことだったのか」ということが幼少期まで遡れますが……。
就職する前から私は、今ほど酷くはありませんでしたが精神ブレブレ抑うつ人間で、大学の時点で既に周囲からは「こいつ社会に出た時大丈夫なのか?」と心配のお言葉を頂くなどしていました。あの時の先輩、今の私を見てくださいよ。あなた先見の明がありますね。マジでその通りになりました。
主軸がぶれだしたので戻します。
「社会人としての生活に躓いたこと」について書きます。
私が初めて就職した場所は結構特殊な企業だったのでおぼろげに書きますが、商品企画系だと思って頂ければおおよそあっています。
自分ではやりたいと思っていたことが出来るという事でそこそこ暢気に就職しました。
ここで盛大に躓きます。
まず人手不足気味だったので私に期待がかかりました。
というのも何をまかり間違ったか私はまあまあ優秀だと勘違いされていたのです。
期待されること自体は嫌いではありません。
そういうわけで、新人にしてはそこそこ幅広い仕事を任されました。
ですが、企画系の職というのが思っていた以上に人と関わる事であったことで私の駄目な特徴が前面に出ました。
(ちなみにマルチタスクが恐ろしく苦手という事もここで判明した)
まず、他社の営業さんとの雑談が出来ない(私は最初仕事に必要なことだけ話せば良いと思っていた)。
大型展示会で自分が求めていることの説明が他人にできない(自分が考えていることのリアルタイム言語化が恐ろしく下手)。
沢山の物を見て幅広い知識を入手しなければならないにも関わらず、自分が「これはいらないだろう」と勝手に思い込んだことはすぐに忘れる。
そのくせに「沢山の物を見て幅広い知識を入手する」ことが出来ていない自覚が無い。
会話のグレーゾーンや冗談のタイミングが分からないせいで空気が読めない人間になる。
↑前回も書いた「正論ではAだけど感情面も考えるとBになる」が理解できないが盛大に出た結果でもあります。
早い段階で、自分は何かが出来ていないということは気が付いていました。
それが知識が足りないとか作業が下手とかそういった面ではなく、コミュニケーション面であることも薄々感づいていました。
でも、じゃあ、どうすればいい?
上司に聞けばいいのでしょうが、最初の上司が早々に辞めてしまい別の上司に代わりました。その方は企画系が初めてだったので私とは別方面に四苦八苦していらっしゃいました。その中で私がこんなしょうもない相談出来るわけないじゃないですか。そんなことしたらまた上司辞めかねないですよ私のせいで悩み増やして。ただでさえめちゃくちゃ忙しそうな方だったのに。
昔から、私はコミュニケーションが苦手なことがコンプレックスでした。
家族にはどうしてそんなに喋ることが出来ないんだと心配されていたし、親戚には嫌味を言われていたし、友達はいないし、学校の先生からは大人しい子です(オブラート表現)と言われ続けていました。
本当に本当に情けなかった。
どうにかコミュニケーション能力を上げられないかと本やインターネットを駆使して色々と調べたりもしたわけですが。
一旦脳内で会話のシミュレーション(※)をしてから会話を試みる、という事もしていましたが、シミュレーションから外れると途端に何を言えば分からなくなりパニック状態に陥る。シミュレーションから外れなくても言葉が喉でつっかえて出て来なくなる。
そして相手からは不審な目で見られる。
※一例を出すと「おはよう」と言われたらまず「おはよう」と返す。そのあと会話になったら何を返そうかと考える。今日の授業の話なら「忘れ物ないか心配だなあ」とか「次音読あてられるの嫌だなあ」とかいくつかパターンを考える。見ていないドラマや漫画の話だったら、「どんな感じだったの?」と聞く……等々。脳内にシミュレーション用友達を創造して会話の練習をする。
ちょっと書いていたらまじでなんか悲しくなってきた。
改めて見るとなんだ? この社会不適合者は。
陰キャって私のためにある言葉なんじゃないかとすら思えてきた。
要するに。
コミュニケーションがど下手くそすぎて私は社会人として躓きました。
これね、高校、ぎりぎり大学くらいまではある程度許容されるんですよ。
だって学生の本分は勉強だから。
勉強さえできていればある程度の評価はもらえるし、学校は卒業できる。
勉強できなくてもぎりぎり単位が足りていればなんとかはなる。
でも社会に飛び込んだ瞬間に、そうではなくなるんですね。
社会で一番大事なのは人と人との関りなのでしょう。
人と関わりたがっているにも関わらず、人と関わるのが苦手とかいうしょうもない私という人間の末路がこれです。
この会社は休職の果てに退職しました。初めはここでやりたいことがあった気がするけれど、本当に、あっけなく。
何度でも言いますがASD特性を持った人の全員が全員こうなわけはないです。
うまく社会人としてやっている方もいらっしゃるし、長所を生かして活躍していらっしゃる方もいます。
あくまで「私個人」の話です。これ本当に前回も言いましたけど。
「私個人」はこの特徴をうまく使いこなせなくて生きづらいと思っている。
「私個人」はこの特徴が要らなかった。
「私個人」は皆と同じようになりたかった。
「私個人」は発達障害を個性だと思う事が出来なかった。
何もかもが、余計なものでしかなかった。
そういう話です。
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