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ASD特性は生きづらいねって話(割とふんわり)

精神病や発達障害って、グレーゾーンがめっちゃ広くて

「最初に話を聞いて○○と暫定的に診断するが
診察を進めるうちに××に診断結果が変化することがある」

だ、そうです。
主治医曰く。


それを踏まえたうえで書きます。
要するに、あくまで参考程度にどうぞ。

私の生きづらさ、希死念慮、鬱病やら不安障害やらの原因の主だった部分はASDに由来する気がするんですね。

発達障害や精神病について調べたことがある人なら、ほぼ確実に聞いたことがあると思います。

正直ずっと自覚がありませんでした。
というか世の中皆こんなもんだと思っていました。

(↑この台詞、たぶんこのブログで定期的に出てきます。
私は自分自身に対するありとあらゆる自覚が薄すぎる)


でも、言われてみれば身に覚えがあります。
それはもうありすぎます。


特に強く感じているのは
・相手の気持ちを理解できない。
・特定の分野について強すぎるこだわりがある。
これですね。

これが原因で、友人(だと私が思っている人)達に
嫌な思いをさせたり
トラブル起こしたり
そこそこしてきました。

具体例言わなきゃ伝わらないと思うんですけど具体例思い出すのきっついな。まあまあ死にたくなる。
己の社会不適合っぷりに。

小学生の時。
同級生から
「全部正論で返すから言い返せなくて怖いことがある(意訳)」
と言われたことがありました。

当時から私は共感能力が著しく低かったようで、絶対的に信じられるものは正論、法律だと思っていました。
思っていたんだと思います。
いや小学生だからここまで具体的に物事考えていなかったと思うけど。

今なら何となく理解できる
「正論の上ではAだけど、感情の話もするとBも話題にあげるべきだよね」
という理屈が全く分かっていませんでした。

感情に寄り添う、曖昧な部分を理解する、ということがそれはもうめちゃくちゃ下手くそらしいんですよ。

なんならその「お前が怖い」という指摘すら理解できていませんでした。

小学生の自分にはろくに友達がいません。
でもいじめられてもいませんでした。
「いない者扱い」が一番正確な描写でしょうか。

分かる。私でもこんな同級生いたらあまり関わらないようにする。
大人目線でも関わりたくない。だって可愛くないもん。


今だからここまでかろうじて考察できていますが
当時は何が何だかわけがわからないよ状態でした。
自分の何が悪いのかがわからないんだもん。
何かが悪いらしいけれども。
実際全部自分が悪いのだけれども。


その後は、記憶の限りでは高校生の時ですかね。
(中学生の時は友達がいなすぎて誰ともかかわらなかったので)

文科系部活の部長をしていたんです私。殊勝にも。

今後の予定とか、目標決めとかする立場じゃあないですか。
そのための話し合いの議長もしますよね。

自分ではあまり覚えていないのですが、
話し合いの際、友人から「怒っていると思った」と言われました。

私は自分の意識中では部活の時に怒ったことは一度もありません。
でも友人からは定期的に怒っていると思われていたようです。

私、部活動好きだったんですよ。
自分が好きな活動を行う部活に入っていたから。
文芸部です。創作活動好きなんです。


自分が信じる、良い物を作り出すためならどんな話し合いでもしたいと思っていました。
感情じゃなくて理論の話がしたかった。
楽しさや思い出よりも成功体験が欲しかった。

創作活動に対するこだわりが強い自覚はある。
これ、そのうち言語化できそうだったらどこかで書こうかな。
私のアイデンティティの中心部でもあるし。
これを奪い取られたらたぶん死ぬ。


話が少しずれました。

ともかく私は何が何でも成功をしたかった。
部活で言うと、賞をもらうとか。
全国大会に出場するとか。
そういうことがしたかった。
そのためなら自分の健康や勉学は二の次だった。

いや勉学を二の次にするな。そういうとこだぞ。

そんな私に「ついていけねー」「人の心無いんか?」と思うのはしょうがないというか。それはそうというか。
今思えば極端でした。
今も極端です。
治せない。まじで。
不治の病かってくらい治せない。
理解はできるけど納得はできない。
そんな感じ。


この感情を理解してもらうにはどう表現すればいい?
分からん。


今、これを読んで
「こいつ意味不明だな」と思った方。
たぶん私はそれと同じ感情を常に抱いているのでしょう。

でもそれが特殊事例だとは思っていませんでした。
何故なら「皆そう」だと思っていたから!


コミュニケーション能力(や共感能力)の低さと
こだわりの異常な強さのせいで
他人に迷惑をかけた体験はまだいくつかありますが、
もう今回は疲れたのでこの辺にします。

あんまり具体的な話できていないな。
でもしんどくなっちゃうからさ。
というか今死にたい原因ってコレだし。


何がきついって、発達障害の特性って病気じゃなくて、
「生まれつきの特徴」らしいので
治したいと思っても治せないところなんですよね。


世の中の動きとして、
個性を愛しましょう。
一人一人は違う存在です。
お互いを尊重しましょう。
相手の特徴を思いやりましょう。

そうなっているじゃないですか。

それは大いに結構。
素晴らしい考え方だと思います。
本当に全員が全員そうなることが出来れば。

でもね、無理だと思います。
個性なんて生かせなければただの社会生活の障害です。
自覚できなければただのストレスの原因です。
友達は無くすし職場では迷惑をかけるし。
少なくとも私の人生においては余計なものでした。
要らないものでした。

生きづらさの要因でしかありませんでした。


これも「私個人」がカスなせいだとは分かっていますが。
同じ特性を持った人でもうまく生きている人はいるのだもの。
私が生きるのが下手だったんだろう。

成功者になりたかった人生でした。
どうにかならんか、今から。

せめて、友人の気持ちにくらい寄り添える人間になれないか。
相手の気持ちを理解できるようにはなれないか。

もう手遅れだけど。


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