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脱「業務日課」至上主義を目指して-介護施設の課題Ⅱ-3


1.「業務日課」至上主義からの脱出(EXODUS) 

 「業務日課」至上主義からの脱出の条件、可能性を探ってみましょう。

(1)問われる経営者の姿勢

 「業務日課」至上主義から脱するには、第一に理事長や施設長などの組織のトップの価値の貫徹姿勢がもっとも大切だと思います。当事者(入居者)の尊厳、人権を守り、当事者との相互行為である介護を行うためにはトップの意志が大切ですし、それを多くの職員たちと共有していくことが必須だと思うのです。
 旧約聖書[1]の『出エジプト記』(EXODUS)[2]のモーセ[3]のように、職員たちを率いて「業務日課」至上主義から脱出させるのは施設長または理事長だと思います。否、そうあってほしいと思っています。
 「業務日課」至上主義の中で、いかに「うまくやるか」ということだけに集中している者たちがマジョリティ・多数派であるということが前提であれば、どうしても、彼女ら・彼らを引き連れて行くモーセが必要なのかなと思ってしまいます。
 良いなぁと思う介護施設には価値的貫徹を遂行している尊敬できるトップが必ずおります。
 そうでなければ、自然に、なんとなく、必ず、「業務日課」至上主義におかされた介護施設にしかならないでしょう。

(2)職員配置

 第二に職員の配置を充実させることが肝心です。
 厚労省の人員配置基準の3:1の配置では通常の業務でさえこなすことは困難です。当然、相互行為としての介護は無理です。
 私は、ユニット(入居者10人程度)であれば、少なくとも 1.3:1 程度の配置が必要だと思っています。

 これは、厚生労働省をはじめとした日本政府及び国会の問題ですが、それを黙認し支持している私たち日本人の問題です。
 政治に関心を持たないことはできても、政治と無関係に生きていける人はおりません。
 特に医療や介護という国家の管理統制下にある領域では政治が大きな影響を与えていることは誰でも知っていることです。福祉介護業界の一員としてまた、市民として、しっかりと声を上げ政策形成に取組んでいく必要があります。

(3)業務分担

 第三に業務分担も大切だと思います。介護を中心とした介護業務を担う介護職員と、介護に付随したその他の間接業務(掃除・洗濯・ごみ捨て・ベッドメイキングなど)を行う介護助手とに業務を分担すれば、介護職員は相互行為である介護に専念できるのではないでしょうか。

 日本の介護職員の守備範囲は広すぎます。ドイツでは生活援助は専門介護士、身体介護は準老人介護士、一部の医療行為は老人介護士が担っているといいます。日本の介護福祉士などは生活援助から身体介護そして一部の医療行為までとその守備範囲は非常に広くなりすぎているのです。

 欧米、他のアジア諸国では介護アシスタント、雑役夫、レクレーション担当者等々、役割分担・分業が進んでいますが、日本では介護職員に掃除、洗濯、ゴミ捨て、繕い、身体介護、日常生活訓練、レクレーション、介護計画作成まで、何もかもやらせているのです。これは、いくらなんでも求め過ぎではないでしょうか。

 厚生労働省もようやく介護現場で掃除や洗濯、リネン交換などの補助的な業務を行う「介護助手」について検討を始めたようですが介護現場の役割分担は喫緊きっきんの課題だと思います。

(4)「応答」主義

 第四に「業務日課」至上主義ではなく「応答」主義への転換が必要だと思います。
 介護は、当事者(入居者)のニーズが始点なのですが、ニーズそのものは社会的に認知され、社会的に許容された入居者の訴えです。
 この入居者の顕在的、潜在的なニーズや入居者自身の主観的ニーズ、つまり、主観的訴えへの「応答」をなによりも大切にしなければなりません。

 職員の最も優先すべきお仕事は、入居者のリスク(事故)防止・対応で、次いで、入居者の身体的・生理的要求(特に排泄、水分補充、保姿を中心とした訴え)への対応ですが、少なくても、「応答」する必要があると思うのです。忙しくて、訴えに実際に対応できなくとも、応答はできると思います。応答さえもしないとすれば、相手を無視しているということになってしまうでしょう。
 もちろん、応答といっても、「ハイハイハイ」などと、まったく不誠実な応答もありますが、ここで言っているのは誠実な「応答」です。
 このお仕事の優先順位と、誠実な「応答」が大切だということを職員間で共通理解とすることが大切だと思います。

(5)声がけ

 第五に「声がけ」を省略しないことが大切です。
 「声がけ」をするということは、入居者との直接的なコンタクトを大切にすることにつながります。
 また、「声がけ」はコミュニケーションの始点となるものです。
 相互行為である介護にとって、「声がけ」は非常に重要なもので、その施設の文化を表しているのです。

 「トイレに行きたい」などという訴えを無視せず応答できていて、温かな「声がけ」が聞こえていれば「業務日課」至上主義に陥っていない施設といえるのかもしれません。

(6)批判的思考

 第六に職員の批判的思考を養うことが大切です。
 ただ単に、今あるシステムをいかに上手くやるかという工夫、思考ではなく、今までのやり方、方法、システム自体を抜本的に疑って、より良いもの変えていくという批判的思考を養成すること、訂正可能性を模索できることが、「業務日課」至上主義を打破するための大きな力となるでしょう。

 坂野悠己(東京都目黒区にある総合ケアセンター駒場苑の施設長)さんの次の取組はとても参考になります。

『Googleの20%ルールという人事制度を知った時に、介護職が自由を手にした時に何をするのか、と数年前から始めた職員の「やりたい事をやる日」その日対象の職員は1日フリーをもらえて日頃やりたいけどやれない事を自由に考えやる事が出来るという制度。外出やお掃除企画等、個性が溢れる。』

引用:坂野悠己 Facebook 2022年12月18日 
https://www.facebook.com/profile.php?id=100046766420348

 「やりたい事をやる日」では職員は通常業務から外れるようです。
 つまり「業務日課」至上主義から離脱し、自由に考え、実行することができるようです。
 このような取組で、既存のシステムを相対化し批判的思考を養成することにつなげることができそうです。素晴らしい取り組みだと思います。

 駒場苑は「業務日課」至上主義とは真逆の施設運営なのでしょうが、この施設の取組は「業務日課」至上主義に汚染された多くの施設にとっても参考になるでしょう。

2.介護継続計画(日常的なBCP=CCP)

 「業務日課」至上主義の背景に深刻な人員不足があります。中国上海市の介護型養老施設の介護職員の日中の配置基準は8:1となっていました。
 上海での経験から、私はこの日中帯の配置基準が最低ラインだと思っています。日中において、介護職員と当事者(入居者)の割合が8:1を割り込んだ場合、通常の業務遂行は難しくなってしまいます。

 介護施設は災害やパンデミック[4](Pandemic)、エピデミック[5](epidemic)等の発生時でも事業を継続できるように平素から事業継続計画(BCP:Business Continuity Plan or Program)を作成し災害等発生時に備えておくことが義務付けられています。

 私は、このBCPだけではなく、職員の急な欠勤などによる人員不足により通常の介護業務の遂行が困難な場合に備えて、介護継続計画(CCP:Care Continuity Program)を作成すべきだと考えています。

 もともと人員不足の傾向がある介護施設では、介護職員が一人でも欠けると、当然、通常の業務を時間内に完遂することが難しくなります。このような人員不足の下で無理して通常の業務を遂行しようとすると、介護事故のリスクが高まるでしょうし、介護職員の心身をむしばむことになってしまいます。また、不適切介護、abuse/虐待の原因ともなりかねません。

 CCPでは、まずは、通常の業務を明確にすること。そして、施設自ら決めた日中帯の人員基準を満たせない場合、省略、スキップできる業務、遅延してもよい業務を明示し、その業務のリカバリーを何時、誰が行うのかを明確にすることです。

 そして、このCCPを発動するのはリーダーなのか主任なのか課長なのか、施設長なのかについても明確にしておく必要があるでしょう。

 BCPと違い、このCCPの発動は頻度が高いでしょうし、BCPの訓練にも繋がると思います。

3.ブリコラージュ(Bricolage:器用仕事)としての介護

 日本ではAI、ICTなどを導入し、効率的で生産的な科学的、計画的な介護を目指していくことが、人材難に直面している介護業界にとって喫緊きっきんの課題とされています。

 しかし、果たして効率的で計画的な介護が多様な当事者(入居者)との相互関係である介護として相応ふさわしいのかと問わざるをえません。
 今、効率的で計画的な介護ではなく、ブリコラージュ[6](Bricolage:器用仕事)としての介護について考えることが大切なのではないでしょうか。

 ブリコラージュとは理論や設計図に基づいて物を作る「設計」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ること。また、時間と資源が限られた中、即興で切り抜けることだ。

引用・参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5 2023.02.02

 科学的、効率的、計画的な介護とは、計画・マニュアルに基づく均質的で画一的な介護です。
 個々の介護職員の役割も明確かつ標準化されて、個々の職員は取替可能なシステムの一部として存在することになります。もちろん、このシステムでは入居者の個別性は無視されるでしょう。なぜなら、一人ひとりの入居者ニーズ、訴え、事情に介護を合わせていては効率性が損なわれてしまうからです。

 これに対して、ブリコラージュとしての介護とは、介護職員が多様な入居者とその時々の多様な環境、状況をその都度、勘案し、考慮し、配慮し、工夫して試行錯誤して行う介護です。
 この場合、職員は取替可能なシステムの一部ではなく、その経験、感性、想像力が問われる仕事をしているのであって、当該職員が欠けた場合には、システム全体の質的変換が求められるような存在なのです。

 介護施設でこのブルコラージュとしての介護が容易にできるわけではないと思います。もちろん、ブリコラージュとしての介護を行うためには介護職員に創造性と機智が求められます。
 また、介護職員が創造的に働きながら組織として介護していくためには、職員同士の「問いかけ」と「対話」を中心としたチーム作りが重要となるでしょう。
 さて、ブリコラージュとしての介護ができるでしょうか?そのための組織、チームができるでしょうか?
 できなければ、「業務日課」至上主義からの脱却は不可能になってしまいます。


[1] 旧約聖書(Old Testament)は、ユダヤ教およびキリスト教の正典。

[2] 『出エジプト記』(EXODUS)は、旧約聖書の2番目の書であり、『創世記』の後を受け、モーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれている。

[3] モーセあるいはモーゼは、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる、紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍したと推測されている古代イスラエルの民族指導者。

[4] パンデミック( pandemic)とは、「感染症が世界的な規模で流行すること」、「感染症の全国的・世界的な大流行」

[5] エピデミック(epidemic)とは、一定の地域や集団において、ある疾病の罹患者が、通常の予測を超えて大量に発生すること。インフルエンザなどの感染症が特定の地域で流行すること。

[6] 『フランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年~ 2009年)は、著書 『野生の思考』(1962年)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降のエンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。』

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