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「業務日課」至上主義とは何か-介護施設の課題Ⅱ-1


1.「業務日課」至上主義とは 

(1)膨大な業務量-介護のお仕事-

 介護施設において、職員が行う業務には当事者への直接的介護業務と、施設での生活全般を支えるための間接的な業務とがあります
 直接的介護とは、食事介助、入浴介助、排泄介助、着替え介助、整容介助、移動・移乗介助など当事者にふれる介護業務です。
 そして、間接的業務には、配膳・下膳、義歯洗浄、歯ブラシや歯磨き用カップやストローの洗い・煮沸消毒、お茶の準備、配給、居室・トイレ・共同生活室・廊下などの掃除・整理整頓、エプロンや入居者の衣類の洗濯・乾燥・収納、ゴミ集めゴミ捨て、ベッドメイキング等々、
 介護施設での業務には、このようにさまざまな業務、膨大な業務があります。

(2)介護施設の日課(時間規則)

 介護施設は当事者たち(入居者たち)の共同生活の場です。
 この共同生活を円滑にするために介護施設には入居者の共通日課・週課(時間規制)があります。
 日課と称して日々行われているのは、起床、着替え、洗顔等の整容、トイレ・排泄、移乗・移動、食事、おやつ、排泄、バイタル測定、体位交換などです。また、週課とは、曜日によって行われる、入浴、レクレーション、リハビリ、行事、診療、買い物などです。これらの日課、週課にはタイムテーブルがあるのです。

例えばですが・・・

  • 昼食配膳は〇〇時〇〇分からで、下膳は△△時△△分まで

  • 機会浴は入居者◇◇人を〇〇時〇〇分から△△時△△分までに入れる

  • 午後一番の排泄介助は〇〇時〇〇分からで、下膳は△△時△△分まで 等々

 介護施設では入居者の生活を維持するために膨大な業務を計画されたタイムテーブルに沿って時間内に行わなければならないのです。

(3)「業務日課」至上主義

 上述のように、介護施設では業務日課があり、計画的で効率的な業務遂行が課されております。このように、計画された業務スケジュール(時間規制)の遂行を最優先すべきだというイデオロギーを「業務日課」至上主義と私は呼んでいます。
 

 そして、この「業務日課」至上主義のために、タイムテーブルに追われ、業務のスピードを求められ、その結果、追い詰められ、ゆとりの無くなった職員たちは、スピードを上げるため、効率をよくするためのに、入居者をモノのように扱うようになっていくのです。   
 もちろん、多くの介護施設では、「お年寄りの尊厳を守ります」「家庭的な介護を行います」「寄り添う介護を行ないます」などの素敵な理念を基に介護していると喧伝していますが、実際は、当事者(入居者)をないがしろにする「業務日課」至上主義に染まっている介護施設が非常に多いのです。そして、介護職員たちは、業務日課を確実に効率的にこなすこと、業務のスピードが何よりも大切だと思うようになるのです。

 「業務日課」至上主義におちいっている介護施設での至上命令は、「職員は決められた業務を決められた時間内に遂行せよ」ということです。
 この結果、介護が介護される人と介護する人の相互行為であるという本質から外れ、介護する者たちの一方的行為・業務に変質してしまいます。

 しかし、多くの職員は「業務日課」至上主義という言葉・概念を知りませんので、自分たちが「業務日課」至上主義者だという認識をもつことはありませんし、自分たちは至って普通の職員だと認識しているはずです。

2.入居者は業務の邪魔

(1)入居者は業務の障害 

 当事者(入居者)の訴えは介護の相互行為の起点となるもので、介護者にはその訴えへの応答が求められています。介護者にはその訴えに応答する責任があります。
 責任は英語ではresponsibilityですが、このレスポンシビリティの語源は、respondere(レスポンデレ)というラテン語で、意味は「応答する」です。英語で言えばresponseです。つまり、介護者は当事者の訴えに応答しなければ責任を果たしていない、無責任ということになります。

 しかし、「業務日課」至上主義の職場では、当事者の訴えは業務を中断させるもの、業務の障害と捉えられてしまいます。

 例えば、職員が業務中に入居者から「トイレに行きたい」「ベッドに戻りたい」「お茶飲みたい」など訴えられた時、この訴えは業務を中断させる邪魔なもの、不快なものとして意識されます

(2)ネグレクト(neglect)やabuse/虐待

 「業務日課」至上主義の介護施設では、入居者は職員の業務遂行を邪魔する者となり、頻繁に業務遂行を邪魔する入居者は「わがままな人」「うるさい人」「しつこい人」「ニンチ」とレッテルを貼られるのです。
 業務を一所懸命に遂行している時に、入居者が「トイレに行きたい」などと訴えると、職員は入居者のその訴えに一瞬イラっとします。このイラっとするところから怒りを覚えるまで1秒もかからないでしょう。
 そして、その先に、入居者の訴えを無視する、ネグレクト(neglect)やabuse/虐待へとつながっていくのです。
 
 「業務日課」至上主義は無責任・ネグレクト(neglect)abuse/虐待の母なる大地なのです。

3.排除装置としての「業務日課」至上主義

(1)イデオロギーとしての「業務日課」至上主義

 「業務日課」至上主義は職員集団の思想・行動を根底的に制約している観念・信条で、それはある意味、自由主義や保守主義や新自由主義などと同様のイデオロギー(ideology)なのだと思います。宗教とも少し似ているから疑似「宗教」かもしれません。
 「業務日課」至上主義を信奉する職員たちは、自分たちの疑似「宗教」に入信しない者を排除します。
 業務の迅速な遂行が至上命題ですので、その至上命題、「教義」を否定し、邪魔する職員は、当然、排除されるのです。
 つまり、非信者で入居者の訴えに耳を傾ける者を排除するのです。「業務日課」至上主義は、責任感のある、まともな職員を排除する装置でもあるのです。
 「業務日課」至上主義というイデオロギーに染まっている組織では、その教義を否定する者は多数派から排撃され精神的に追い詰められ、その職場を去ることになります。しかし、多数派の人たちは、職場を去る者は、「介護に向いていない」、「ついてこれなかった」と思うだけなのです。
 再度強調したいのですが、多数派の職員は自らが「業務日課」至上主義的思想・信条を持っているという自覚はないのです。

(2)排除される職員

 心優しい職員は、入居者にゆっくり食事を楽しんでほしい、ゆっくり入浴を楽しんでほしい、身なりをきちんと整えたい、爪を切ってあげたい、目やにをとってあげたい、鼻毛も切ってあげたい、訴えがあればトイレに連れて行きたい、かゆい背中をいてあげたい、入居者の話も聞いてあげたい、等々、真摯に当事者(入居者)に向き合おうとするのですが、このまともな職員は「自分勝手で仕事のできない奴」などと非難されてしまうのです。
 「業務日課」至上主義教の信者たちにとっては、非信者で入居者の訴えに応答しようとする心ある介護職員には次のようなレッテルが貼られます。

  • 「仕事が遅い」

  • 「要領が悪い」

  • 「仕事が我流だ」

  • 「チームワークを乱す」

  • 「自分勝手だ」

  • 「協調性が無い」

  • 「無責任だ」

  • 「入居者と話してばかりで仕事しない」

  • 「入居者を甘やかしている」

  • 「基本ができていない」

  • 「素人だ」 等々

 信者でない職員は、ダメで有害な素人っぽい職員ということになっているのです。
 それでも、まともな職員は孤軍奮闘するのですが、多くの雑務を押しつけられ、疲弊し、多忙と疲弊から入居者につらく当たってしまう。そしてそのことに、そのまともな職員は傷ついてしまうのです。

「天使になりたいけれど悪魔になってしまう」・・・

 自分に自信が持てなくなり、自分を許せなくなり職場を去ることになる人も多いのです。

(3)自信満々の介護職員

 「業務日課」至上主義の熱心な信者で、なおかつ「自信満々の介護職員」が介護主任やリーダーなどの監督職になっている介護施設は、さぞかし悲惨でしょう。他の宗教、信条、思想が完全に禁止されていて思想信条の自由がないようなものです。心ある者、まともな者たちには、もう逃げ場がありません。 
 非人間的な「業務日課」至上主義はこうして、心ある介護職員を排除する装置として機能していくのです。

 上野千鶴子(東京大学名誉教授)さんの言葉を紹介したいと思います。同氏は介護には次のことが要求されているといいます。

「関係の個別性と、場面の固有性、そのもとにおける介護する者と介護される者との相互行為を重視するならば、その都度、手探りで相手との間合いを計っていく繊細な感度とコミュニケーション能力とが要求されている。」

上野千鶴子(2011)『ケアの社会学』太田出版P183

 「業務日課」至上主義は、この相互行為としての介護に必要な「間合いを計っていく繊細な感度とコミュニケーション能力」を破壊し、相互行為としての介護を目指すまともな者たちを組織から排除する装置となっているのです。

 「業務日課」至上主義はこのように、まともな職員を排除していくので、組織はますます狂信的な組織、一般社会の常識が通じない組織になっていくのです。

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