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活動記録ー不登校の親

今日も実家でのんびりしています。
今日は、天気が良かったので、姪っ子ちゃんと一緒に公園へ行って遊んだり、散歩したり、桜や草花の写真を撮って楽しみました。

小学2年生になる姪っ子ちゃんの話を聞いていると、今の社会での人間関係を表しているのかなということがありました。

その子は、道徳の時間が嫌いといっていました。
どうして嫌いなのかと聞くと、みんなで話し合いましょうっていうのが面倒だというのです。
詳しく聞いてみると、みんなで話し合いましょうと言われて、意見があっても先に誰かに言われてしまうとつまらない。
先に言えたと思って喜んでいたら、いつも先に意見の言う友達が自分のところに来て、先に意見を言ったことについて苦情を申し立ててくるそうです。
そして、嫌い!っと言葉を投げかけられてどうしたらいいかわからなくなるからと言っていました。

わたしは、道徳の時間は、どういう意図があってやっているのだろうか?と疑問に思ってしまいました。

日常の友達とのやり取りで姪っ子ちゃんが言っているようなことが繰り広げられているのに、その時の対処の方法や、気持ちの持ちようや、とらえ方を教えてあげるべきではないのかと。

そういう時に困ったと言える環境にしてあげることが大切じゃないのかと。

今、思い出したのですが、娘ちゃんも1年生の時に、学校から帰ってきて元気がかなったことがありました。気になったので、学校で嫌なことや困ったことがあったのか聞いてみました。

話をするのは難しそうでしたので、文章で文字にして書いてみて。先生に言ったりはしないからママに教えて欲しいなぁと言って紙に書いてもらったことがありました。

その時に書いてくれた内容は、自分は友達からいじめにあったと。
本人は友達とのやり取りでそう感じた場面があったそうです。
先生には助けを求められず、自分で友達に嫌とも言えずに困っていたようでした。

娘ちゃんの気持ちを聞いて、嫌だったねと共感して、その後は、そんなことがまた会ったらそうするかを話したと思います。あまり、はっきりは覚えていませんが。
先生に言えそうにない様子でしたので、困ったことがあったらママに教えてねと言ったかな?

それからしばらくして、学校へ行かなくなったのだと思います。

担任の先生から、最近どうしてますか?の連絡が来たときに、友達とのこと、いじめにあったと感じていると伝えましたが、担任の先生は「あ~、この間、道徳の時間でいじめについて話をしたので、いじめという言葉を覚えたからじゃないですか?」というような言い方をされて、話を軽くしかみてくれませんでした。この先生に今、言っても無理だなと思ったので、次に娘が学校に行ったときには、そんなことがあっていやっだたんだねと声をかけてくださいと伝えましたが、きっと声はかけられていないでしょうね。

それから、すぐに運動会の時期が来て、先生が車で前日の予行練習に車で迎えに来てくれて行きましたが、それで疲れて、翌日の運動会は行けず。迎えに来てくれた時に、息子君も家に居ましたが(その時、私は仕事で不在)、息子君の先生は来てなくて、娘ちゃんが行けるように準備をすべて手伝ってくれた優しい息子君。
今、考えたら、息子君の気持ちはどうだったのかなと思います。
安易に、先生の強引さにつられて必死になってしまっていた当時の私。

なにが良くて、なにが悪いとかではないと思うけど、大人自身が、私も含めて人間関係や人付き合いの仕方や、そもそもの自分の本来の在り方をしっかりしていないといけないのではないのかなと思いました。

私も、いまさらながら、それを学んでいて自分を見つめているところなので、こどもの未来も考えて伝えていけるようになりたいなと思います。

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