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桜降る学生最後の日。

桜の花が満開である。
気付けば私は、ビルの間を吹き抜け、無機質なアスファルトに転がる、その色付いた花びらになんの違和感も持たず、ただ綺麗だと思うようになっていた。大学入学と同時に田舎から上京し、いま、5年目の春を迎えようとしている。お気に入りのスニーカーから革靴へ、いつものデニムからスラックスへ、前髪を払うと同時に、目の前の信号が青に変わった。

***

「最初の1日目から雨ね」
母が隣でそう呟いたあの日が懐かしい。今から16年前、小学校に入学した私は、新品のランドセルと、片手に黄色い傘を持って登校した。お気に入りの"カウボーイのウッディ"Tシャツを着ていきたかったが、寒いからと姉のお下がりのオレンジのセーターを着せられた記憶がある。しかしまぁ、4月にTシャツ1枚で行こうとする息子なんて、親も苦労したことだろう。

私には幼稚園からの友達がいなかった。近所の小学校とはいえ、母親も父親もついて来ないと分かったとき、底知れぬ不安と緊張を募らせた。お気に入りのTシャツは、そんな不安に対するせめてもの安心材料だったのかもしれない。

傘を広げて、玄関に立つ母親に手を振ると、私は上級生たちの登校列にくっついた。そこからの記憶はゼロに等しいが、ただひとつ、正門をくぐった先の泥だらけの花壇の中、無数に散らばった桜の花びらを綺麗だと思ったことは覚えている。

***

「パラパラと弱い雨を降らせる雲が接近中です」
手元のスマホがそう通知した。2022年3月31日、先日大学を卒業した私は、新品の革靴とスーツ、そして片手に紺色の傘を持って鏡の前に立ってみた。学生最後の日であり、社会人1年目の前夜である。大学4年の後期ギリギリまで、卒業単位取得に励む息子なんて、親も苦労したことだろう...。

4年間慣れ親しんだ街を離れ、同じ都内でありながら来る電車の路線さえままならない新天地に身を置くことになった。明日の自己紹介では、もう××大学の〜や、××団体の〜といった枕詞なく、私は〇〇ですと言わなくてはならないということに、底知れぬ違和感と滑稽さを感じている。鏡の前で作った笑顔は、そんな可笑しさを和らげる、せめてもの安心材料なのかもしれない。

今夜の雨で満開の桜も散ってしまうだろうか。見慣れない街の景色を眺め、ぼんやりとそんなことを思ったとき、遠い昔の小学校入学の記憶が蘇った。

田舎だった私の地元では、桜といえば地中に太く根を張るゴツゴツとした大木という印象が強い。お花見でレジャーシートを敷いたって、凸凹として落ち着かないし、何より土の上に寝転がるため、気付くと靴や服が汚れていたり、湿っぽかったりと、鑑賞するには不向きで、やはり自然の一部といった節が強い。
それに引き換え、東京の桜は驚くほど土の存在を感じさせない。コンクリートジャングルの中に飛んでくるピンクの花びらは、一体どこから生まれたのかと疑問に思うほどである。

小学校入学時に見た、花壇の土を覆う桜の花びらは、今思えば決して綺麗ではなかった。ゴツゴツとした木の根が、花壇のレンガも突き破り、そこに降る花びらは、せっかくのピンク色を雨と泥で汚し、歪な形になったものばかりが、土を覆うというより、土にへばりついていた。だが、不安と緊張で俯いて歩く私には、十分過ぎるエールだった。それは、どんな風が吹いても微動だにせず、俯き歩く私の景色をずっと、暗く湿った土からちょっと華やかなものに変えてくれた。


さて、土の見えない東京で、5年目の春。
ビル風に、タクシーの走り去る風に、忙しなく歩く街の人の風に、へばりつくことを知らぬ桜の花びらがさらさらと空を待っている。かつて汚れたピンクと水っぽい茶色のコントラストに助けられた私が、今は透き通るピンクと鮮やかな水色のコントラストに助けられている。

「明日は朝まで雨の降ることがあっても、段々と天気回復」
もう一度、手元のスマホがそう通知した。

新しい日々を前に、変わったこともたくさんあるけれど、俯いても、空を見上げても、そこに映る花びら1枚に、綺麗だと思う感情は変わらないでいようと思う。

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