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『フリー・ガイ』感想・考察 「みんなでフリー・シティを目指そうや・・・」

ちょっと書きたい映画の感想・考察が多すぎて、たくさん下書きに残ってしまっているんですが・・・とりあえず1本くらい公開しておかないと、、、ということで、先日から劇場公開されています『フリー・ガイ』です!


20世紀スタジオ(旧:20世紀フォックス)製作、ディズニー配給、ライアン・レイノルズ主演、ショーン・レヴィ監督という、凄まじい製作陣にも関わらず、それほど盛り上がっていない様子で私は悲しい・・・!!

とりあえず、時間があって「今日何しようかな〜」と思っている人は、マスクをして映画館に行き、『フリー・ガイ』をポチッとしてらっしゃい!笑

それでも何の映画やねん・・・と思っている方、ぜひこの記事にお付き合いくださいまし。

本日は大きく分けて3つのポイント。
可能な限りネタバレは避けますが、敏感な人はご注意を。


ポイント①「映画が語るメタ構造を理解しておくれ!」


ミルフィーユのような映画、私は本作をそう呼びたい。
『フリー・ガイ』はゲームの中の世界に生きる「ガイ」を主人公として、彼の自我とゲームという世界の構造に翻弄されるアクションコメディとなっています。
映画の内容自体、何層にも重なったメタ構造を巧みに描いておりますが、本作の魅力は、その制作に至る過程までをも含めた上で、MAX楽しめる作りになっているのではないでしょうか。

皆さんご存知の通り、旧:20世紀フォックスは、「20世紀スタジオ」と名称を変更して、現在は「ウォルト・ディズニー・カンパニー」の傘下となっております。

これまでも「ディズニー」は多くの映画スタジオ等を買収してきました。
MGM、ミラマックス、ピクサーなどなど、調べると「これもディズニー!?」と思ってしまうようなものがたくさんあります。現在では、スターウォーズシリーズを手がける「ルーカスフィルム」や「マーベルスタジオ」などが、本家ディズニー作品よりも高い興行収入を占めるなど、その勢いは増すばかりです。

さて、そんな買収劇を繰り広げる「ディズニー」ですが、本作のケースにおいては、先ほどからお伝えしている「旧:20世紀フォックス」です。

誰でも一度は聞いたことがあるであろう有名なファンファーレが響く、あれです。
もちろんこれだけ大きな映画スタジオであるため、代表作も山のようにありますが、今回の場合に限ってお伝えしたい作品は「X-MENシリーズ」です。中でも、映画『デッドプール』の存在を語らずして、本作の魅力は伝えられません!


そう、お気付きの通り、『フリー・ガイ』の主演は『デッドプール』で有名な「ライアン・レイノルズ」その人です!私の大好きな俳優ですね(知らんがな)。

『デッドプール』をご覧になった方は分かると思いますが、彼の特殊能力は・・・「第四の壁を越えること」です。
舞台と客席、フィクションと現実、その境目のことを「第四の壁」と言うのですが、彼は劇中で私たち観客に話しかけてしまうことができます。自分がフィクションのキャラクターであり、「ライアン・レイノルズ」という俳優が演じ、繰り出す銃撃戦もCGであることを理解しているのです。

そんなメチャクチャな!とお思いかもしれませんが、これが非常に爽快で、高いギャグ線を持ち、R指定映画にもかかわらず、驚異的な人気を誇っています。

『デッドプール』以外にも、この「第四の壁」を越える作品は数多ありますが、これだけ「何でもアリ」な演出を可能としているのは、「旧:20世紀フォックス」にしかできない自由さとクオリティの高さの賜物です。


詰まるところ、現在は『デッドプール』もある意味「ディズニー映画」であり、ディズニーキャラクターの中で、そうした複雑な背景を認識している人物は「デッドプール」であり、「ライアン・レイノルズ」ということ、なんですねぇ。

したがって、『フリー・ガイ』のプロモーションでも、こんなこと↓が可能であり、この「ヤバさ」をぜひ感じ取ってもらいたいわけです。笑

「旧:20世紀フォックス」からやって来た「デッドプール」と、MCUシリーズの「コーグ」が同じ画面に映り、『クルエラ』の映像を観たのち、自身が主演を務める『フリー・ガイ』を宣伝。コーグは「第四の壁」を越えられないため、我々に話しかけることはしませんが、「コーグ」を演じているのは、『マイティティー:バトルロイヤル』の監督で知られる「タイカ・ワイティティ」であり、『フリー・ガイ』にも出演しています。そしてこれら全てをまとめ上げているのが「ディズニー」である・・・映画の宣伝の時点で、これだけ複雑怪奇なメタ構造をやってのける、その技量に脱帽です、、、!


『フリー・ガイ』では「デッドプール」が登場する訳ではないので、もちろん「第四の壁を越える」なんて芸当はできません。
しかしながら、主演がライアン・レイノルズであること、ディズニーによる買収劇があったこと、「スター・ウォーズ」や「マーベル作品」がディズニーの看板を背負っていることなどなど、ここまでお伝えした「知らんがな!」な情報を頭の片隅に置いておくと、より映画が楽しめるかもしれません。
「第四の壁のこっち側」、そう、我々観客が知っている「現実」を、映画というフィクションの中の「現実」と照らし合わせてみてはいかがでしょう?

本作はミルフィーユのように、何層にも何層にも面白さが重なり合い、どこを味わってもクスッと笑える演出が施されています。



ポイント②「ディズニーの寛大さとフォックスのスマートさ」


さて、ポイント①では映画そのもののメタ構造について、簡単にお伝えしてみました。
知らない人からしたら、なんか難しそうな作品で嫌だ・・・と思ってしまうかもしれないので、ポイント②では「ディズニー」と「フォックス」という2大映画スタジオの構造だけに着目して、映画の内容自体の面白さに迫っていきましょう!


【ディズニーの寛大さ】

Q. ディズニーといえば、何を思い浮かべますか?

おそらく多くの方が、世界で最も有名なネズミとか、性差別だと揶揄されてしまうプリンセス、はたまた「子供向けアニメ」とか「夢や魔法」的な何かを連想するのではないでしょうか?

ディズニー好きの方であれば、もう少し優しく、「子供から大人まで楽しめるもの」「笑顔にしてくれるもの」なんて言ってくれるかもしれません。笑

かく言う私は、自他ともに認める「ディズニーファン」「Dオタ」でありつつ、好きだからこそ「ディズニー」には厳しめの意見を持っているのですが・・・本作には惜しみない拍手を送りたいと思います。

なぜなら、まったく新しいスタイルでディズニーの可能性を広げたと感じたからです。


近年のディズニーは、上述したような、ありとあらゆる「ディズニーらしさ」を自ら壊したいという欲望が見え隠れしています。特に、現代に残るステレオタイプ的な考え方を暗に根付かせてしまったと反省しているようで、イケメン王子を待つ白人プリンセスといった構図や、運命や使命といった型からの脱出です。

その中で、私がひとつキーワードだと言っているものが「自由意思」です。

ここ2〜3年のディズニー配給作品を見返すと、作品のオチにこのメッセージを持って来たり、はっきりと「自由意思」という言葉を明言する場合まであります。

本作も例外ではなく、「自由意思」をテーマに添えつつ、これまでディズニーが自虐ネタでそのメッセージを発信していたところ、自虐ネタではない形で、ディズニーの寛大さを示してきました。

ご覧になった方は分かると思いますが、『シュガーラッシュ』や『アナ雪』に見たような自虐ではなく、『魔法にかけられて』や『マレフィセント』『クルエラ』のような別視点での描き方でもありません。

非常に王道なディズニー映画をベースに敷きつつ、落とし込んだ俳優の演技や舞台セット、アイテム等々で「自由意思」を発信しています。


【フォックスのスマートさ】

ここで、『フリー・ガイ』において、フォックスがやってのけた偉業を見てみましょう。狐だけに賢いんですわ。

ネタバレを避けるため、劇中の具体的なシーンについては触れませんが、よく言われる言葉で代表すると「緩急」が上手すぎます。

これはもちろん、観客を飽きさせない映画の「緩急」で間違いないのですが、それだけでなく『フリー・ガイ』オリジナルの演出と、他作品のオマージュとの「緩急」が凄まじいです。

先に言うと、本作には膨大な数の小ネタ(またの名をイースター・エッグ)があります。
この作り方自体、同じくゲームの世界を題材とした映画『レディ・○レイヤー・1』のオマージュとも言えそうですよね?笑

もはや映画界の帝国と化した「ディズニー」に買収されたフォックスが、ある種プライドを捨てたかのように、使えるものは何でも使う勢いでやってきます。

ここまで来ると・・・
ユニバーサルをバックに構えたスピルバーグの『レディ・○レイヤー・1』
オリジナルで突き進んでいるワーナーの『スペー○・ジャム』
ディズニーを味方につけたフォックスの『フリー・ガイ』
といった具合に、何でもありのバーチャル空間映画合戦になりそうです。

話が逸れましたが、あらゆる繋がりを持つディズニーの特性と、厳密にはディズニー製作ではないフォックスの自由さが相まって、「いいのかいディズニー・・・笑」と思ってしまう場面がチラホラと。

また、その自由さを、下ネタや寒いギャグに使わず、あくまでも王道ディズニー映画のレールから外れないところが、最高の皮肉でもあり、誰が観ても楽しめる作りになっています。

これは、スマートだ・・・としか言いようがありません。


もちろん、それを許可したのもまた「ディズニー」であり、ディズニーの寛大さを示すために、ディズニーがまず寛大になりました。そして、フォックスの、強いては監督ショーン・レヴィおよびライアン・レイノルズのスマートさが完璧な配合で混ざり合った傑作です。


ポイント③「だからみんなでフリー・シティを目指そう」


これまで長々とポイント①、②を語り、「メタ構造」と「自由意思」についてご紹介してきました。

最後は、記事を締めくくるという意味でも、作品から現実に引き返された我々が考えるべきメッセージについてです。

今回、劇場でパンフレットが販売していなかったため、監督やプロデューサーのインタビューなどがまだあまり拝見できていないのですが、ただ単に「ディズニー」と「フォックス」の買収記念で製作された映画とは思いません。

結論から言うと、資本主義の終焉を迎えて、遂に向かう先は「フリー・シティ」ではないか?ということです。

劇中、ゲームの中の世界を「フリー・シティ」と呼び、そこはまるで現実の世界のように生活が営まれています。

しかし、どこまで行っても、それらはすべて「誰か」がプログラムした世界。
ゲームなんだから当たり前ですが、ここで我々の住む現実と比較したいわけです。

現実はゲームと違って0と1だけでは成り立っておらず、自由な空間だ!
と、胸を張って言える人は、人類の何%いるでしょうか・・・?

仮に、本当の自由が与えられたとして、人類はその後どうするでしょうか?
犯罪が起こる、無法地帯になる、というのは、まだまだ空想の世界だと、私は思います。
もっと現実的に考えるのであれば、神の存在を仰ぎ、ルールを作り、自ら不自由さを求めるのではないでしょうか?

極め付けは、○○主義といった、その時代のカテゴライズをはじめ、区切りのない日々の連続にどこか明確な起点と終点を設けようとします。

まるで0と1で作られたゲームを、スタートしてリセットするかのように・・・。


人類が意思を持ち、組織を作り、思想を深め、経済を生み、社会を作った。
何千年という長い年月、それを繰り返し、繰り返し、送り続けているのです。

『フリー・ガイ』では、そんな永遠と繰り返されるはずだった世界を変えたのは、「ガイ」、ただの人。まったく世の中の表に出てこない「ただの人」です。

『フリー・ガイ』は、どんな場面もコメディで昇華されてしまいがちですが、これからの「ただの人」が求めるユートピアを提示し、それに向かう行動のヒントを与えてくれているのかもしれません。

だって、本作の主演は「第四の壁を越えられる」俳優なんだもの。
映画という虚構の世界にいながら、唯一我々と同じ世界を見ている人なんだもの。

そんな彼が、夢と魔法の世界から、さらにその先を目指した『フリー・ガイ』
1年以上待った甲斐があった。
良い映画だった。

まだまだ語りたりませんが、既に5,000字を超えているため、ひとまずこの辺で。
また「やかましい映画語り」にお付き合いいただきありがとうございました。

他の作品についても、なる早でアップしたいところ、、、。

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