Lost & Found: 再就職
捨てる神あれば拾う神あり。途方に暮れていたら救命ボートがやって来た、そんな気分だ。
先月、勤務先のホテルからリストラされた。
予期していたこととはいえ、荒野にひとり取り残されたような気持ちになった。
さて、どうしよう。
壊滅的な打撃を受けたホテル業界だ。しかもコンシェルジュひとすじ、でやってきた私のような人間は、いまや非常に使い勝手の悪いやつに成り下がったはずだ。
しかたない、しばらくは家に蟄居して、何か勉強でもしよう、そして状況が変わるまで首をすくめて耐え忍ぼう、そう思っていた。
正式に無職になったその2日後、Sさんよりメッセージがきた。
「ウチのホテルで働く?ナイトマネジャーだから夜勤だけど。」
え、ホントかよ…。
Sさんは、10月に新規オープンするホテルのGMだ。
そして、もう20年近い前の話だが、同じホテルで3年ほど働いていたこともある。Sさんはフロントオフィスマネジャー、私はコンシェルジュだったので、直属の上司だった。
私も既にホテル勤務は20年以上なので、数え切れないほどの上司(そのほとんどがフロントオフィスマネジャー)と働いてきたが、彼女はone of the best bossだ。
Approachableかつ Fair、という表現がぴったりだ。
それ以降お互い別のホテルで働いてきたが、狭いホテル業界ということもあり、SNSなどで連絡は保っていた。また、SさんがアパートメントホテルのGMをしていた時には、私の家族がシドニーに来た際にお願いして特別価格で予約を取ってもらったこともあった。
SさんがGMのホテルは、スケールは小さいがおしゃれなホテルということは知っていたので、今回休職になった際にも採用募集していないのかな、ということは頭の片隅にあった。しかし今はどのホテルも必要最低限のスタッフで回しているので、まあ無理だろうな、と思っていたのだが。
いきなり「働く?」というなんともはやダイレクトなメッセージが来た時は、ちょっと目を疑った。
もちろん働きたいのはやまやまだが、ナイトマネジャーなんてやったことない。そんな未経験者を雇うより、今仕事を探している経験者は山ほどいるのではなかろうか、と思ったが、とりあえず会って話をしましょう、という流れになった。
翌日のミーティングに行くにあたり、はて、どんな服装で行けばいいのだろう…と迷った。新しいコンセプトのライフスタイルホテルだから、スーツにネクタイ、という服装はオーバーかな、と思ったが、なんといってもGMと面談するのだから…と思い、きれいなジーンズにドレスシャツ、ジャケットという格好で出向く。
ホテルはシドニーの街のど真ん中にあるが、まだ建設中で最後の仕上げに入っている。確か住所はこの辺りだな…と思ってうろうろしていると、Sさんに「おーい!」と声をかけられた。
相手は蛍光ベストに工事用のヘルメット、という格好で、工事現場に詰めているのだから当たり前とはいえ、こっちはオーバードレスだなあ、と心のなかで苦笑した。
「どう、元気にしてる?」と笑顔で声をかけられ、彼女のそばにいたフロントオフィスマネジャーにも紹介される。どうも、はじめまして。
3人で、隣のビルにある開設準備室とおぼしきフロアに行くが、会議室ではまだミーティングが行われている。
Sさんは、「まあ、長い話じゃないからここでいいか~」と、廊下の突き当りにある狭いスペースで膝を突き合わせて座り、3者面談となる。
普段仕事のインタビューとなると、服装もそうだし、プライバシーのある場所で行われるものだが…。
大体の仕事内容を話してくれたが、基本的には、「いや、簡単な仕事だから大丈夫!」という感じで、
「で、どう?やってみる?」といきなり核心を突く質問。
「え、そんな簡単に決めていいんですか?だって私は確かにホテルでずっと働いてましたけど、コンシェルジュしかやってこなかったし…。」と返事をすると、
「いやいや、経験よりも信頼出来る人が欲しいわけ。もう長い付き合いだからアナタのことは分かってるし。」と言う。
初対面のフロントオフィスマネジャーも、「Sさんが推しているなら僕も異議ないよ、大丈夫だって。」と。
おいおい、そんなに簡単に決めていいのかよ。普通仕事の面接などというと、大体人事担当者とその部署の上司が、「アナタの長所はなんですか?」「XXというシチュエーションにはどういった対応をしますか?」「将来の目標は?」なんていう質問ぜめにあうのだけど。
それでもSさんは「ま、ともかくちょっと考えてみなよ、明日か明後日にでも結論を出してくれればいいから…」と言ってくれ、ものの15分ほどで面接は終了。じゃあさようなら。
今までの仕事歴で、一番短いジョブインタビューだった。
帰宅してプラスマイナスを書き出してみたが、結論は9割9分イエスだ。
こんなチャンスはない。ピッカピカの新規開業ホテル、コンシェルジュではないのはちと残念だが、このご時世そんな贅沢を言っている場合じゃない。
迷っている場合じゃないだろ?というくらい明白だ。
念には念を入れ、信頼できるコンシェルジュ友達にも相談したところ、当然のごとく「これは受けるべきだよ」となる。
そして翌日、Sさんに「チームに入れてください!」というメッセージを送った。
かくして、私の失業期間は、ものの2週間も経たないうちに終わってしまったのである。
それにしても不思議だ。ずっとホテルという狭い業界で仕事をして来て、その中でも更に狭いコンシェルジュという部署で働いてきた、プロフェッショナルといえばかっこいいが、逆にいえばモノファンクションで応用の効かない奴。
そんな人間が、20年前の上司に拾ってもらったということをどう捉えたらよいのだろう。
いまだに不思議な気持ちだ。
それにしても、人の縁というのは、不思議だ。
実は、私とSさんとのつながりには伏線があったことを思い出した。
こんど働くことになるホテルは、キャンベラにもある。昨年のことだが、一緒に働いていた年下の同僚がそのホテルに泊まった。私もそのしばらく後にキャンベラに行く用事があったので、割合仲の良かった彼女が気に入っていたそのホテルに泊まった。ホテルのコンセプトや客室の作りなどが気に入ったことを覚えている。
そこのホテルでランチを食べていると、いきなり声をかけられた。しばらく顔と名前が一致しなかったが、昔々一緒に働いていたホテル仲間だった。彼はここのホテルのGMをしているとのことで、思いがけない再会を喜んだ。
そして、彼、Sさん、私は20年前に同じホテルで働いていたのである。ああ、そうだ、彼から、Sさんが新しくシドニーにオープンするホテルのGMになる、と聞いたんだ!
やっぱり、ホテルは人のつながりだ。人のお世話をする仕事だから、働く側だって人のつながりが大事な業界である。資格だ経歴だ、そういったものも大事だが、最後はヒトの力。
私がずっと好きで携わっていたホテルという舞台にまた戻れるのかと思うと、じわりと涙が出てくるくらい嬉しい。
そして、これまで色々気を使い、励ましや助言をくれた数々の人たちには感謝しかない。今度はこちらが恩返しをする番だ。恩返しといっても大層なことじゃない。まっとうに仕事をして、周りの人に感謝する。それだけでいいと思う。
新しいホテルのロビーに足を踏み出すその瞬間までは、期待と不安が入り混じったふわふわとした気持ちだ。
でも、走り抜けます。なんたってオレはランナーだから。