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勝ち負けの基準は常に自分にある

こんにちは!映像クリエイターのウズです!( ^ω^ )


徐々に寒くなってきておりますが、みなさんいかがお過ごしですかね。

寒さを感じる季節とは裏腹に、映画界ではあるアニメ映画がつい最近公開されましたね!


そう、「鬼滅の刃ー無限列車編ー」です。


鬼滅ブームに乗っかり、アニメを見ていた方も多かったのではないでしょうか?

私も仕事柄、見ないわけにはいかずアニメの方を見ていたので、早速昨日見

きました。


いやー、音響(映画で流れる音楽全般)と映像が素晴らしい!


どの世代でも楽しめる鬼滅ですが、やはり他のアニメと比較してクオリティーも高いと思います。


そして内容が良い!!


まあおそらく、この内容で多くの人を引き込んだという事実があるのでしょう。


そして鬼滅といえば鬼との戦闘シーンです。


鬼の首をとるか、鬼にされるか。


そんな勝ち負けのルールが明確にあるわけでちびっこにも理解されやすい内容ですが、戦闘中に出てくるキャラクターのセリフもまた見所ですね!

特に主人公の竈門炭治郎・・・・

今回は勝ち負けの内容よりも、大事なポイントについて語っていきたいと思います。

戦う理由が深いかどうか

私たちの日常にも、戦いの場面はたくさんあります。

暴力だけが戦いではありません。

例えば、スーパーの特売による早い者勝ち、受験、昇進、婚活、資格、、戦争、スポーツ


戦いと言う表現をして良いのか、迷うものもあります。

が、ある人によっては死に物狂いな戦いであったりもします。

自分がどれだけその戦いに強い思いがあるかどうかによって、後々振り返る時に強い思い出になるかどうか影響します。


私は中高硬式テニス部でした。

中学の時はとにかく試合ひとつ一つに対して勝ちたいという欲求がすごく強かったのを覚えております。

しかし高校になるにつれ、試合に勝つというよりもどういう打ち方やショットをしたら面白いか、という方向に変わっていくにつれ、試合への思いは薄くなってきました。


なので負けても、あまりなんとも思わないようになったのです。

それを当時はやる気がないと周りから言われることもありました。

違う道に進むことをうまくイメージする事ができなかった私は、周りの意見に同調しつつも、何か違うといった感覚が消える事はなかったです。


数年後、大学生になった私は遊びでテニスを続けていましたが、正直高校の時より楽しかったですし、テニスをしている!という感覚が今振り返っても高校の時よりしっかり残っております。


こんなふうに、勝ち負けが生じる場面に対して、どんな思いを持っているのか。そしてそれがどれだけ深いのか。

長い人生においては、勝ち負けよりもその方が大事なのです。

フェアプレーをして戦っているか

スポーツ選手などを見ていると、よく疑問に思っている事があります。

この人たちは国を代表して、国の利益のためにスポーツをしているのか。

それとも、自分のためにスポーツをしているのか。


例えばサッカー。

ワールドカップが開かれると、サッカーに興味がない人も応援していますよね。

選手もそれを分かっていて、おそらくいつもの試合以上に気合を入れているかと思うのですが、その気合が勝ちに執着しているだけなのかどうか、という疑問が生まれます。

本来、サッカーとはボールを相手のカゴに入れれば得点になります。

なので、ボールに集中すれば良いのですが相手を転ばせたり、押したり、頭突きしたり、、

ボールを奪うという目的があるのは分かるのですが、常軌を逸した行動をする選手も中にはいます。


そんなことをしてまで勝ちたいのか。


もちろん勝つことによってもたらされるメリットがたくさんあるのでしょう。


しかしそれは、サッカーを私的な欲望の道具として扱っているだけでサッカーを純粋に楽しんでプレーをするという気持ちとは別なんだと私は感じております。

相手を傷つけてまで戦うのは、勝ち以上に相手への征服感が募った結果とも言えるでしょう。

勝てば負ける人がいる

勝つという事は、負ける人がいるという事です。


まあ、当たり前ですよね。


そして同じように当たり前に考えて頂きたいのが、勝った人は負けた人へ配慮をし、リスペクトするという事です。

俺が勝って当たり前、という態度を取られても喜ぶ周りはあまりいません。

負けた人への気持ちに寄り添って、次もまた戦おう!といった気遣いが双方に必要だと思います。


鬼滅の刃では、主人公が鬼を切った後、鬼に同情するシーンがありますが、ある意味それも勝った人が負けた人へすべき姿なのかもしれません。

まとめ

いかがでしょう。

私たちは戦うということをしないと、むしろ今の現代生きていけないくらいの社会になっているかもしれません。

そして年々戦いの種類というのは、たくさん広がっています。

無用な戦いもあるでしょう。


自分にとって必要のない戦いはしなくて良いですし、必要であっても戦うというその行動にまず意味を見つけましょう。

結果がどうであれ、その戦いをしたあなたには何か小さな変化が起きてるはずですから。











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