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ゼミの先生にリスペクトが止まらない


念願の第1志望のゼミに無事に入れて早2ヶ月。

1週目に軽い研究興味の発表、2週目に研究計画の提出、3週目に本気の研究計画のプレゼン、その後3週は他のメンバーのプレゼンを聴き、来週までに100ページ近くあるpdfを読んでPsychoPy(心理学用のノーコード?のプログラミング言語)で実験をプログラミングして自分のデータを取ってくるのが課題

…というなかなかにハードなゼミライフを送っている。

「ブラッ○…」「転ゼミしよかな…」という声もちらほら聞こえてくるなか、「ハードだな?ドSかも?」とは言いつつ、転ゼミしようなどとは特に思わず生きているゼミ生、ここに約1名。

転ゼミどころか、「先生神…」「まじかわいい…」と言いまくって、いろんな人にあきr…いや、微笑ましく見られている始末。(超・楽観)


なぜか。

先生が推しだからである。



先生との出会いは1回生の春学期、心理学概論の授業に遡る。

本来は1人の先生が全回教えるはずのこの授業だが、私たちの代は担当の先生が研究休暇中だったため、各回色んな先生がリレーで教えるオムニバス形式で教わった。

我らがN先生は、数回に分けてカクテルパーティ効果とかの知覚に関する回、機能局在や神経回路の仕組みを扱った脳の回、記憶や思考系のことを扱った回、を担当していた(はず)。

先生の授業がわかりやすくて、内容が興味深いあまり、当時、コミュニケーションや感情といった社会系に興味があって入学し、VRになんてまだ興味がなかった私でも認知系を「おもしろい…!」「もっと知りたい…!」と思わずにはいられなかった。

そんなときは各回終わった後に質問メールを送った。すると当時の状況下で大学に通えず、実際に会ったこともない私の質問を歓迎し、毎回丁寧なお返事をくれた。

「この状況下でも、このような意欲のある学生がいて嬉しいです。」「いい質問ですね。」などと毎回褒めてくれたし、いただいたお返事に続けて質問を送っても、嬉々として回答してくださった。


"良い先生だなぁ…。"

一連の中で我らがN先生に抱いた感想だった。


そこから1年半近く、N先生が担当の授業がなく、2回生の秋学期。

その頃には認知系のコースを選び、ゼミではVRに関する研究をする!第1志望はN先生のゼミ!と決めていた。

念願のN先生の神経・生理心理学の授業はオンデマンドだったけど、毎週コンテンツが素晴らしくて楽しませてもらっていた。加えて、途中からは毎週その授業の時間は質問会を開催してくださることになり、参加者10名程度の中、毎回参加しては授業内容を深く理解できること、よりたくさんの話を聞けることを楽しんでいた。(なにより尊敬していたN先生に直で会えることが楽しみでならなかった…!)

課題は毎回、その日の内容に関する質問や考えを書くこと。絶対この授業はA+(最高評価)をとるんだ!と、しょうもないことを書かないように…と毎回気合を入れて課題を提出した。

その頃、英語の授業で松潤のイケメンさをプレゼンすることから発展した、顔魅力研究(好きな芸能人と似ていない顔の人のことを恋愛として好きになれるワケ、というテーマ)もしていた。ちょうどN先生が顔魅力研究に力を入れているという話も聞いたので、その件でもメールで質問をしたりしてお世話になった。


どうしてもN先生のゼミに入りたかったから、必死でアピールしたし、あまりに志望度が高すぎて、ゼミ選びの時期には色んな研究室がZoomや対面で説明会やゼミ見学をしている中、N先生のゼミだけに足を運び、ゼミ見学をさせてもらった。(ただゼミ見学に行っただけなのに、なぜか行かせていただいた立場の私たちに「今日はきてくれてありがとう!」のメールをくれていて、それも感動した。)

顔魅力研究の話をすれば「一緒に研究しませんか?」と、VRをしたいんだ!という話をすると「VR講習会を開催予定なので参加しますか?」とまだゼミ配属も決まっていないし、ゼミも始まっていないのに誘ってくださり、話はそれ以降進んでいないにもかかわらず舞い上がったのは良き思い出。(ちなみに、半年近く前から話は出ていた念願のVR講習会は、延期に延期を重ねて昨日開催されました。UnityやOculusを触れて感動…!※脳がポンコツすぎて理解はしてません)


そんなN先生の最大の推しポイントは、面倒見の良さだ。


メールの質問にできるだけはやく、かつ丁寧に返してくださる。褒めることを忘れない。休み時間に研究計画の相談に親身に乗ってくださる。とにかく優しい。交流が大好きで、なにかとゼミ生同士仲良くなれる機会を作ろうとしてくださる。(あとLINEがかわいい…。)
控えめに言って、神。


そして今学期、水曜1限にN先生の応用認知心理学、3限にゼミ、木曜1限に下級生用の心理学実験(N先生が担当、私は助手)…とお世話になっているうちに、さらにN先生のことがわかってきた。


それは優しいだけでなく、厳しさもあるということ。正しくあろうとしていること。
言葉の節々から「真面目にやっている人が損をしないように」という想いが伝わってくるのだ。


初回授業のとき「授業中のケータイとか、うるさくいうつもりはありませんが、見てたら触ってるなってわかるので、チェックはしてます。」と言った。

授業中はどの授業のときも「メモ取っときよ?」という。なぜなら「テストの時、資料の持ち込みアリやからって油断しても、あとから見返しても配ったレジュメそのままじゃグラフとかの意味わからん」から。「レポート書くとき困るから」。

実験に遅れてきた学生には容赦なく「遅刻です」と注意し、何分遅れてきたかを記録する。なぜなら「自分が実験参加者のときに実験に行って実験者がいなかったら不安になるし、時間とってきてるのになんやねん、となるから。」

そして先生自身、準備を怠らない。
実際「僕ら教員は、遅延等も見越してなにがあっても遅れずに来ます。そういうプロ意識を持って授業をしています。」と、N先生は実験のガイダンスで遅刻の説明をする際に言い切ったし、助手に入る時の授業資料も事前に共有してくださった。


自分が真面目な人間だから、そんなふうに真面目なことが評価されると、先生自身も真面目だと、救われた気分になる。


さらに特筆すべきは、先生自身が間違えたり、失敗をした(言い間違えや機械のトラブルなど)ときには、「すみません」と素直に謝るということ。

当たり前のことだが、悲しいことに、歳をとるにつれてその当たり前がどんどんできなくなっていくものだと思う。



だからこそ、当たり前のことを当たり前にこなせるN先生を、当たり前に+αの思いやりが自然にできるN先生を尊敬しているし、推さずにはいられない。

そんなN先生のゼミに入れて幸せだし、N先生の下でなら「私たちのことを考えてくたさっているからこその課題だ。」「これは先生なりにお考えがあって、先生なりの優しさなんだ。」と、どんなにハードでも頑張れる。


たとえ研究計画を突然課題に出されても「ややハードかもしれませんが、みなさんならできるはず…!」と励ましのコメントを添えてくださるN先生の下ならば…。




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