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今はただ、祖父母からのたくさんの愛を。



昔からおじいちゃん・おばあちゃんっ子だった。

父方も母方も、どっちも最初の娘である私のことをたくさんかわいがってくれたおかげで、どっちの祖父母も平等に好きだった。(もちろん今も)


父方の祖父母は、私が大学に入学するのを見届けたかのように1年の秋と2年の春、立て続けに亡くなってしまった。祖父の願いだった「近所のブックカフェ一緒に行こう」は叶えられたけど、祖母の願いだった「(私と)2人で旅行に行こう」「ドット1人で泊まりにおいで」は叶えてあげられないままだった。


母方の祖父母は未だ両方健在。


だからこそ、この三連休はずっと何年も前から口約束をしていた「ドットだけで遊びにおいで、泊まりにおいで」を叶えてあげられたことを嬉しく思った。寂しそうに言う「再来年就職したらなかなか来られへんもんねぇ」を泊まりに行く、という行動で否定してあげたいし、この3日間何度も繰り返し言っていた「よう来てくれたなぁ」「もううちの子になりなさい」を何度でも言わせたいし、「また(1人で)おいで」をこれから先、何度でも叶えてあげたい。



***



私がこの三連休に祖父母の家に泊まりに行くことは3ヶ月ほど前から決まっていたことで、それを祖父母はずーっと楽しみにしてくれていた。

決まった時から慣れないLINEで電話をするたび「ドットちゃん来てくれるのは10月やな。楽しみにしてるからね。」と言ってくれていたし、9月に入ってからは「それで…こっち来る日は何時に来れるんかな?」「どこで待ち合わせようか?」「夜ごはんは何を食べようか?」と祖父は私に問うて「そんな早ようからわからんでしょ!」と祖母が祖父にツッコむことを繰り返していたし、前日の電話では「お買い物楽しみにしてるからね」となぜか私ではなく祖母が言ってくれていた。


おばあちゃん普段は1:00くらいに寝るんやけど、なんか寝れなくて今日寝たの3:00でね。ほんで起きたら7:00。ドットちゃん来てくれると思ったら楽しみで、興奮して寝れなかったわぁ。

という言葉通り、会った瞬間「わー、ドットちゃん!誰かと思ったわぁ。きれいすぎて、手振ってくれなかったらわからんかったねぇ。(テレビ電話含め、顔見るたびに言ってる)」と告げ、私の服のお買い物をするか、先にお昼ごはんを食べるか、いや、そんなことより先に泊まる荷物をコインロッカーに預けてあげないと、と次々に祖父と祖母で言い合っていた。



お昼ごはんにドリアを食べると「こんなおいしいもの、食べたことないわ!」「ドットちゃんと来なかったら一生食べることないままやったわ。ありがとうねぇ。」と、家で食べることになって祖父が買ってきた鰻弁当を食べると「お持ち帰りやのに鰻も大きいし、こんなおいしい鰻食べたことないわぁ。」と祖母は喜ぶ。

最終日の昼にレトルトカレーを一緒に食べたときも「ドットちゃんと一緒に食べたらなんでも美味しいわぁ」と言っていたし、夜に牛タンを食べると「こんなに美味しいもの初めて食べたわぁ」「ドットちゃんがなんでも美味しいもの教えてくれるねぇ」と言っていた(前も一緒に食べたことあるのに)し、お茶を注いであげれば飲んでいなくても「おいしいねぇ」と言う。


祖母が私のお買い物の時に「なんぼ買ってもいいんやからね」「10万円でもいいんやからね」と、私が見たものすべて買おうとする話を、帰ってきて母にすると、母は笑って「ようないやろ(10万円でもいいわけがない)」とツッコんだのち、「それだけ気合い入ってたんやろ」「前に一緒に買い物行ったのなんて6年くらい前やったやろうし、それだけ一緒に買い物したり、買ってあげたりしたかったんやろ」と言った。

実際、本当にたくさんの物を買ってもらって申し訳ないなぁと思いつつ、「いいよいいよ」と言うと拗ねてしまう祖母を見て、「次いつこうして一緒に買い物できるかわからないしね」と言われると、素直に甘えようと思った。





***



昔、営業をしていたらしい祖母は、とにかく目に映るものの良いところだけを見て、すべてを喜び、褒めちぎりつつ、自分のペースに相手を惹きこむことが上手。

祖父も定年後も80.5歳まで会社を勤め上げたし、持ち前のやさしさとあたたかさで物腰柔らかく人に声をかける。2人をもってすれば、タクシーに乗っても完全初対面の運転手さんと会話が弾むし、補聴器のお店に行ってもすぐに"常連さん"になって、周りの人も優しく、あたたかくなる。(もちろん、"馴れ馴れしい"と警戒する人もいるけれど、祖母は嫌な顔をされても気にしない(見えていないだけかもしれないけれど)。)


そんな2人と一緒にいると、祖父母から「ドットちゃんはやさしいなぁ。よう気ぃ利くなぁ」と感心される、普段父母には照れ臭くてできないような"思いやり行動"や心からの「ありがとう」を自然と出せる。


それは例えば、
スタスタ歩く祖父とよちよち歩く祖母の間を、私が祖父を見失わない程度に祖母寄りに歩くことだったり、
道が合っているかを先回りして確認して戻ってきてあげることだったり、
スマホであらかじめ調べて祖母の負担が軽くなる最短距離を知らせてあげることであったり、
杖を持ってあげることであったり、
「大丈夫?」と声をかけてあげることだったり
する。

祖父が荷物を持ってくれようとすることに、
祖母がわたし用に食器を出してくれることに、
タオルをたくさん出してくれていることに、
(寒くなくても)寒いだろう、と暖房を入れてくれることに、
好きな時に入れるように、とお風呂を沸かしてくれることに、
(あまりお腹は空いていなくても)祖母が剥いてくれるりんごや、出してくれるぶどうを食べられることに、
虫が苦手な私のために、Gが出た時に祖母が足が悪くともスプレーを振りかけてくれることに、
マダムが着るような洋服が売られているコーナーでも「これなんてどうかね?」と私の服を探してくれることに、
たくさんのモノやコトを与えてくれたのに「あれしてあげよう、これしてあげようと思ってても、実際来たらなんにもしてあげられなかったねぇ」と祖母が言ってくれることに、
いいよ、と言っても、私が好きだから、とおかきを買ってくれることに、

「ありがとう」「楽しかったよ」と伝えることだったりする。


ほんとうは、数年前に祖父母も含め、みんなで行ったサンマルクレストランで昼ごはんを食べたいと思っても、それは胸にしまって、この夏に母と妹と行った、自分でゴマを擦るトンカツ屋さんに私も連れて行きたい、という祖父母の意向を汲んであげることだったりする。


どれも、気を利かせて意識的にしていることではなくて、自然と口をついて出てくる言葉であり、自然な動きだった。




食器が汚れているかもしれない、とか、タオルは新しいやつだよ、とかって言うので、(なんでも)いいよいいよ、と言ったとき、「ドットちゃんはあまり(細かいことを)うるさく言わないからねぇ」と祖母はポロッと口にした。


夏に、母と妹も泊まりに行っていたのだけれど、妹は絶賛反抗期な上、綺麗好きだから、グチグチと文句を言ったのかもしれない。


祖父母の家は、古いし、物が多いし、祖母は足が悪いから掃除もできていない。今回だって、寝る前に寝室にGが出たりもした。

「本当は掃除とか片付けして少しでも綺麗にしたかったんやけど、そんなことして何かあったらドットちゃんに来てもらえんくなってまうから、掃除とかは諦めたんよ。目ぇつぶってなぁ。」

と祖父は言った。


部屋が汚いとかは結果的なものであって、おもてなしの心が欠けているわけでもなんでもない。

それよりも私は、私に会いたかったのだという気持ちだったり、足が痛いのにご飯とかを出そうとしてくれるところであったり、そういう過程や背景の部分を見て、「ありがとう」と言いたいのだ。



祖母は会う度におこづかいをくれる。

「お金をあげないと会ってくれないかも」「それくらいしか与えられるものがない」と思っているからなのかもしれない。

今回も「もう、次の次くらいからお年玉減額になっちゃうかもしれなくてねぇ」と申し訳なさそうに言っていた。


だけど私は、お金をもらえなくなっても当たり前のように祖父母に会うし、会いに行く。その理由は会いたいから。祖父母が好きだから。

それをずっと伝えたいと思いつつ、なかなか伝えられなかったけれど、今回はちゃんと「(お年玉の金額が)減ってもいいよ。なくてもいいよ。」「(この3日間)楽しかったよ」と言葉でも伝えたし、できる限りの気遣いで行動でも伝えたつもり。どうか、伝わっていたらいいなぁと思う。


***



私が先日ディズニーで彼に買ってもらったシェリーメイのぬいぐるみを見せると、祖母は「わぁ、かわいいねぇ」と抱きしめて、「名前決めてあげないとねぇ」と言った。「名前あるよ」「シェリーちゃんだよ」と伝えたけれど2歩歩くと忘れていて、「あの犬ちゃんなんて言うんやっけねぇ」「覚えられないからこれに書いて」とメモ帳とボールペンを渡してきた。LINEで写真と共に送って、見方も教えたけれど、きっと明日には忘れてしまうだろうと思って、書いてあげた。


行列のできる法律相談所とおしゃれイズムに連続して出ていた横浜流星を見て、最初祖母は「誰や?知らんなぁ」と言っていたのに、私が喜んで見ているから「ええ顔してるねえ」「かっこいいなぁ」と言うようになっていた。思えば父方の祖母が亡くなる前、最後に「かっこいい」と言った芸能人も横浜流星だった。


「(私の)ママがあんなに褒めるんやから、よっぽどええ人なんやろうなぁ」と彼の話もたくさん聞いてきた。なぜか会ったこともないのに、母から聞いた話を聞いて、母から見せられた写真を見て「男前やないのぉ」と(※祖母フィルターがかかっている)一方的に気に入っている。

そんな風に、私が愛するものを一緒に愛してくれるのだ。



***



祖父はビールを喜びながら出してくれたり、食事系の買い物を一緒にしてくれたり、荷物を持ってくれたり、まとめてくれたりしていた。

なによりもスマホの使い方を教えてほしい、と「これはどうすればいいんかな?」「教えて」と私にたくさん尋ねた。

でもなぜか、Sports Naviだけは最初から使いこなしていて、大好きな阪神の試合の様子のスコアを見せてくれたり、祖母との買い物の待ち時間に中継のLive動画を見たりしていた。


他の大事なところは、初日にはLINEの返信もできなかったし、LINE電話は切り方がわからなくなったらスマホ本体を強制終了していたし、検索の仕方もわからなかったし、大好きな写真の撮り方も見方もわかっていなかった。(2週間ほど前に家族で会ったときは、LINEのトーク画面の見方もわかっていなかった。)

だけど、「何をしたいか」「何ができないか」を言語化してノートにまとめていて、1つ1つ丁寧に尋ねて、私から教えられたことを素直に受け取って実行していたから、祖父は3日間でメキメキと上達した。私はホーム画面のページを切り替えたりせずに済むように、祖父の傾向を見て最初のホーム画面ですべての用事が完結するようにカスタマイズした。(LINE、写真、SmartNews、SportsNavi、検索あたり)

最終日には、2〜3行に10分ちょっとかかるし、絵文字のチョイスは間違えるけれど、LINEの返信はできるようになったし、絵文字だって打てるようになった。(スタンプも聞かれて教えたけれど、「ちょっと難しいわ」と諦めていた。)電話を正しくかけて、正しく切ることもできるようになったし、写真の見方や撮り方(自撮りも!)マスターした。検索の仕方を教えてあげると、教わったことを活かして天気の検索だってできるようになっていた。


私たちにとっては、特段勉強せずとも当たり前のことだし、”見たらわかる”ことなのだけれど、祖父にとっては勉強で、気合を入れてノートを作っていた。ちらっと見るとYouTubeだかサイトだかで「シニアのためのスマホ講座」なるものも受講していたようだ。他にもパソコンでYouTubeを見たり、ストレッチ教室に週1で通ったり。祖父は勉強好きの努力家なのだ。


祖父がスマホをマスターしたと信じ、祖父の頑張りに応えて、これからは週1回の電話だけじゃなくてLINEを気軽にしてあげたいなと思う。




***



祖母が赤ちゃんよりもゆっくりのスピードでよちよちと歩いているのを見ると、他の人から見ると車椅子に乗った方がいいのでは、と、声がよく聞こえないからと言うのを聞くと、補聴器つけたらいいのでは、と言いたくなるだろうと思う。私も最初は思っていた。

母が介護ヘルパーさんを呼ぶと言った時も、おむつした方がいいと言った時も頑なに拒んだし、補聴器だって大丈夫だから、着けるとかえって気持ち悪くなるから、と理由をつけてなかなか着けようとしなかった。

今となっては週1回介護ヘルパーさんに来てもらっていて、その人とも仲良くなったようだし、おむつもしている。この3日間はちゃんと補聴器だってしていた。

だけどそれはどこか悲しそうで。「体が言うことを聞かないから、何もしてあげられなくてごめんねぇ…」「おばあちゃん情けないわ」と何度も呟いていた。

「自分でやりたい」という自由への欲求は、なにも親から独立したがる子どもだけに備わっているものではなくて、一生抱えていくものなのだろうと祖母を見ていると思う。

きっと、祖母の中では自分の状態を信じたくないのだと思う。「自分でやりたい」という気持ちがあるのだ。


祖母が、補聴器をつけても聞こえづらく「え?なんて?」と何度も聞き返してくる時、聞こえてないことの心配や、伝わらないもどかしさによる怒りよりも、「聞こえてないんだなぁ」「仕方ないなぁ」と笑いに変わってしまうことがある。

祖父は諦めて「もういい」と機嫌が悪くなってしまうらしいけれど、それもわかる。毎日その調子だと意思疎通が取りづらくてたまらないだろうと思う。

でも祖母はおしゃべりが大好きで、会話に加わりたくて必死なのだ。



なんでもやってあげたり、気遣ってあげたり、遠慮したり、「検索したら出てくるよ」と最短距離を教えてあげたり、時に諦めたり。

一見、親切に見えることだけがすべてじゃない。


祖母の「やってあげたい」「自分でやりたい」を尊重して完了するのを待ってあげること、スマホを置いて向き合って顔を合わせておしゃべりすること、機会は少なくとも直接会って1つ1つ教えてあげること。


それが相手にとって正解の時だってあるのだ。




***



「ドットちゃんが1番、この家に長くいたのよ。」
「(私の母の娘2人、母の弟の子娘2人の中で)1番世話したのよ。」
「この公園もドットちゃん好きで、よく連れて行ったのよ」
と、祖母は何度か嬉しそうに言っていた。


私は生まれる前の2ヶ月、生まれた後の3ヶ月を祖父母の家で過ごした。


その後も祖父母は、私が小1で妹が生まれる時期に出産のために入院していた母に代わって一緒に生活していたこともあったし、部活で家に残る私のために家族旅行中一緒に暮らしてくれたこともあった。祖父は私が中学2年のときに車を軽く石の花壇にぶつけて免許を返納するまで運転していたので、私が小学生の頃から中学生に上がったくらいまで多い時で週に1度、段々頻度が減っても月に1度ほど、金曜日に私たちの家に来ていた。昔はよく一緒にくら寿司に夜ご飯を食べに行った。

だから私の幼馴染のことは、名前はいまだに間違えるけれど自分の孫のように知っているし、私の幼馴染も私の祖父母のことをよく覚えているほど。


父方の祖父母の家にも、1〜2ヶ月に1度は遊びに行っていたし、幼稚園の敬老の日のイベントや小学校の運動会、バレエやピアノの発表会を見に来てくれていた。



きっと他の家庭よりも、祖父母との交流は多いし、思い出もたくさんある。


だからこそ、私の結婚式を楽しみにしてくれている祖父母には結婚式に出席してほしいし、子ども好きな祖父母には曾孫を見せてあげたい。社会人になったら私から祖父母にお年玉をあげたり、旅行に連れて行ってあげたい。



おばあちゃん、(彼)くんのことたくさん聞いてきた☺︎
と彼に告げると、
良いように言っといてん
と返ってきたし、


会いたいーって言ってたよー
、とか、(彼)が大学院行くなら会えるのは4年後かなぁって言ってたよー
と彼に伝えると、
明日かもしれへんよ?
と遠くてもいい、と会いにきてくれようとした。


まずは、いつか彼に会わせてあげたいな。









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