かとりせんこう
暑い季節がやってきた。ウサギは部屋の隅に置かれた箱を引っ張り出すと、浮世絵の団扇を取り出しそっと眺めた。
「これで少しは涼しくなるかしら」
彼女は箱の底に埋もれていた蚊遣豚に気づいた。ふと手に取って眺めていると、彼女の視線は小さな本棚に向かった。
細い指先が本の背表紙を一冊ずつ優しくなぞり、ある一冊の本に止まった。そっとその本を取り出し、窓辺の椅子に静かに腰を下ろすと、ゆっくりとページをめくり始めた。
物語の中では、蚊取り線香の煙が「もんもん」とたなびいていた。すると、蚊が「ぽとん」と落ちた。今度は二匹飛んできた。すると、蚊は「ぽとん、ぽとん」と落ちた。
おじさんがラタンのロッキングチェアで新聞を読んでいた。そこに蚊取り線香の煙がたなびいてきた。すると....。
新聞の文字が、おじさんのメガネが、そして彼の浴衣の模様が「ぽとん」と落ちた。
そこまで読むと彼女は顔を上げた。
「輪ゴムが月まで伸びる話を読んだ時、私は決めたの。子どもの頃の柔らかい頭に戻ろうって。もう常識なんて気にしないわ」
そう言うと、再び本に目を落とした。
「おじさんにはちょっと気の毒だけど、ここは我慢してね」と、彼女は少し申し訳なさそうに手を合わせた。
物語は続く。煙は街へと流れ込んでいった。 銅像が「ぽとん」と落ちた。ビルの屋上から看板が「ぽとん」と落ちた。雲から雷様が「ぽとん」と落ちた。そしてUFOが……。
彼女は少し青ざめた顔を上げると、ぽつりと言った。「やっぱり、蚊取り線香でUFOは落ちないわよね。それに、そもそもUFOなんているのかしら?」
彼女はハッと我に返り、首を軽く振った。
「いけない、いけない。こんなことくらい、起こり得ることよね」と、自分に言い聞かせるように呟いた。
煙は空高くまで舞い上がり、ついにお月様に届いた。「もう、何があっても怖くなんてないんだからね」彼女は少し緊張しながら、次のページをそっとめくった。
※かとりせんこう
田島征三・作/福音館書店
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