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北斎のビッグウェーブ


「この絵だわ」
すみだ北斎美術館の一角で、ウサギとカメは一枚の浮世絵に目を奪われていた。白い水しぶきを纏った大波が、今まさに、小舟を漕ぐ人の頭上に襲いかかろうとしていた。

遠くに見える富士山が、波間からその様子を静かに見守っている。言わずと知れた、葛飾北斎の描く富嶽三十六景の神奈川沖浪裏だ。

富嶽三十六景  神奈川沖浪裏

絵の中の波はまるで生きているかのように、今にも額縁から飛び出してきそうだった。
「流石は北斎のビッグウェーブね。大波も富士山も、藍色が本当にきれい」
ウサギはその絵に見入っているうちに、自分もその場にいるような錯覚に陥った。

「この絵を書いた時、北斎はすでに70歳を超えていた。それまでに何枚となく波の絵を描き続けて、ようやくこの一枚が生まれたんだ」と、カメが静かに語った。

富嶽三十六景  相州七里浜

「北斎って、70年もの間ずっと浮世絵を描き続けていたのね。そんなに長い間、ひとつのことに集中できるなんて、やっぱり偉大な人は違うわ」ウサギの瞳には、北斎への尊敬と驚きが宿っていた。

「北斎は絵に夢中な余り、他のことはあまり気にしなかったらしい。部屋の掃除もほとんどせず、汚れるたびに引っ越していたんだ。その回数はなんと93回にも及ぶそうだよ」と、カメも驚きの表情を浮かべた。

「部屋の掃除が億劫だなんて、なんだか親近感が湧くわ」ウサギはしたり顔で微笑んだ。「やっぱり、大物は細かいことにこだわらないのね」

「北斎は、食事も作らなかったけど、甘いものの差し入れには目がなかったみたいだよ」と、カメは続けると、ウサギの瞳が輝いた。

「もしかして、私って北斎の生まれ変わりかも?」静かな美術館の片隅で、北斎の奏でる波の音を心の中で聴きながら、二人は目を合わせて小さく笑った。

隣接の公園から見るスカイツリー

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