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『ダンスマガジン』2016 民族舞踊と遺伝子に関するインタビュー記事を読んで


バイカル湖

『ダンスマガジン3月号』2016の「バイカル湖のほとりにバレエの華を咲かせる」p.86 ブリヤート・バレエ芸術監督=岩田守弘インタビューで聞き手の三浦雅士氏が「ブリヤートというかバイカル湖畔が日本人の原郷であるという説がいま定説になりつつあるんですよ」と語り、松本秀雄『日本人はどこから来たか』およびNHKテレビ『日本人はるかな旅』2001を紹介。人類史と舞踊史の重ね合わせが豊穣な意味を生成していて興味深い記事となっています。

そして、さらに三浦雅士氏は・・・『現生人類は約20万年前にアフリカで生まれ、約7万年前に中東を北上し、インドに入る。インドからオーストラリア方面に行くのと、南アジア方面に行くのと、北に行くのと、さらにヨーロッパに行く人間に分かれる。黒人から白人が分かれ、モンゴロイドが分かれる。バイカル湖畔まで行った人間がさらに東南に降りてきて日本に入る。日本人の遺伝子はブリヤート人の遺伝子といちばん近い。』と語っていますが、「日本人の遺伝子」という曖昧な概念からの《日本人バイカル湖畔起源説》は、もう少し掘り下げて考えたいので、このインタビュー記事を出発点として、さらに前進してゆくことにしましょう。


ようやく自分でもわかってきました。この島の歴史についてですが、要するに、大陸から朝鮮半島を経由して、侵略者がやって来た訳ですね。なので原住民の高度な文明・文化は乗っ取られてしまったのだと言うことになります。わたしたちの先祖は、ふつうは蝦夷ですけど。

663年 白村江の戦い → 武則天


★★★遺伝人類学★★★

125000年前の旧石器時代、原日本人はY-D1a1a & mt-L3ペアだけだった。 旧石器時代の9万年前±5000年頃に原日本人ペアは東南アジアに南下し、mt-L3からmt-Mとmt-Nが分岐した。 5万年前頃Y-D1a1a & mt-N9bペアが故地の日本列島に戻ってY-D1a2a & mt-N9bペアとなり、人口を増やした。
 東南アジアを西進したY-D1a1a & mt-L3はアンダマン諸島やインド亜大陸にY-D1a2bを遺して更に西進し中東やレバントでY-D2=E1に変異し、以後西ユーラシア大陸からはY-Dは姿を消した。 Y-DからY-Eに突然変異したのだから、Y-Dは忽然と消えた。

 18000年前頃に台湾平原北部(沖縄対岸辺り)に居た、堅果類や麻栽培、土器製作の原縄文人Y-O1b2は、当時日本列島を南下遊動して来た原日本人Y-D1a2aと遭遇して以来親密になって、原日本人の磨製石斧と原縄文人の土器、麻を交換し合った。そしてY-O1b2の一部がY-O2a2a1a1やC1a1と共にmt-M7aを伴って沖縄や石垣島に渡り住み、15000年前頃に一部が九州に上陸したが、後氷期温暖化と共に黒潮の流れが速くなり、流れるコースも変化して丸木舟で沖縄に渡る事が出来なくなった。
 故に沖縄や石垣島のY-O1b2は多くが日本に渡れなくなり、何千年も沖縄、石垣島に取り残され、海洋縄文人が次に沖縄に渡ったのは縄文時代前期となってしまった。
 つまり、何千年間も沖縄はYO1b2a1a1+O2a2a1a2+C1a1& mt-M7aペア集団の島となり、次に海洋縄文人がトカラ海峡を横切れる船を造った後に漸く沖縄への入植が始まった。 沖縄にもこの様な事情があったわけで、Y-D1a2aの入植が可能になるまでは紆余曲折があった。

 Y-O1b2系は旧石器時代末には台湾平原北部で栗等の堅果類栽培をしていたが、この台湾平原に居たほんの少数のY-O1b2集団が、原日本人Y-D1a2aの舟で沖縄や石垣島等に移民し、そこである程度人口を増やしてY-O1b2a1a1となり、更に再度原日本人の舟で九州や新潟に入植して、現在の様にY-O1b2+Y-O1b2a1a1=30%程の人口にまで増えた。 台湾平原に居たY-O1b2の一部が原日本人の招きで沖縄や石垣島から九州、新潟に再入植したが、程んどのY-O1b2集団は未分化のY-O1b2として中国大陸に残り、後氷期温暖化と海水面上昇に追われて大陸沿岸を放浪後に、海洋縄文人と行動を共にして実質的な日本人を形成し、遼寧省に辿り着いた後に辰沄殷(智淮氏燕、箕子朝鮮)の構成員となり、鉄器時代には遼東半島の馬韓、辰韓の構成員となった。 彼らの生業は大きな栗栽培など堅果類栽培だったから、馬韓では大きな栗を作っていると記録された。 Y-O1b2とY-D1a2aは、1万年以上の深い関係を持ち、遼寧省や満州、朝鮮半島などに多く分布するのは日本人と絶えず行動を共にしていたから。by 凡人のつぶやき@bonchan1 さん(2024)

この列島のY-DNA分布


【ゲノム】ある生物がその生物たりうるに必要な遺伝情報の総体

ゲノムとは私たちの身体の各細胞の核に格納されている、種や集団の歴史を記憶したビッグデータである

※参考:太田博樹『遺伝人類学入門』ちくま新書 2018

●時制(tense)と相(aspect)
遺伝子という概念をとらえるには、時間の流れる向きに注目。先祖はancestor、子孫はdescendant、子孫の遺伝子がdescendant geneで、隔世遺伝はatavismである

未来への眼差しはプロスペクティブ(prospective)、過去を遡行するのがレトロスペクティブ(retrospective)

過去を再検証する方法に、デヴィッド・ヒューム(David Hume)の『自然の斉一性原理(principle of the uniformity of natyure)がある。たとえば、「白亜紀末に隕石が落下して恐竜を滅ぼした」という記述の正当性を扱う原理

●二足歩行?
二足歩行は鳥類の特徴で、鳥類は恐竜の獣脚類から進化した。白鳥は恐竜の直接の子孫で、腕を翼に変えてシベリアから羽ばたく。ヒトは四手動物から樹木生活を降りて手を脚に変えて歩きはじめた。

●糸を引くDNAは物質
DNA系統と「血統」はまったく別な話。個人の起源ではなくDNAの起源。個人の遺伝子は両親、祖父母×2、×4、×8、×16、世代ごとに2のn乗で拡散してゆく

●ヒトゲノム
核ゲノムは約31億塩基対、24種の線状DNAに分かれて染色体を形成、染色体は22種の常染色体とXY2種の性染色体に分類される。ミトコンドリアゲノムは16569塩基対の環状DNA。
non-cordingDNAは、遺伝子発現調整、染色体の構造形成、細胞増殖、エピジェネティクス(epigenetics)制御。ゲノムを司るはインターメア

🔴これ重要です。
『遺伝的な市民権 DNA鑑定とイスラエルの帰還法』


旧約聖書MAP


【参考文献】

バレエとダンスの歴史―欧米劇場舞踊史
鈴木晶編集 平凡社2012

出口治明『人類5000年史1』ちくま新書2017
ロビン・ダンバー『人類進化の謎を解き明かす』2016
後藤明『世界神話学入門』講談社現代新書2017
山田 仁史『新・神話学入門』朝倉書店2017
ウィリアム・Wハロー『起源/古代オリエント文明:西欧近代生活の背景』青灯社2015
D.W.アンソニー『馬・車輪・言語』筑摩書房2018
杉山正明『遊牧民から見た世界史』日本経済新聞出版社 2011
青木健『アーリア人』講談社選書メチエ 2009
青木健『古代オリエントの宗教』講談社現代新書 2012
ウノ・ハルヴァ著『シャマニズム・アルタイ系諸民族の世界像』三省堂1971
鴨川和子『南ロシア 草原・古墳の神秘』雄山閣 2015
沢田勲『匈奴―古代遊牧国家の興亡 』東方選書 2015
林 俊雄『興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明 』講談社 2017
土肥恒之『ステンカラージン』山川出版会2002
山内昌之『スルタンガリエフの夢』岩波現代文庫』2009
谷川健一『白鳥伝説』集英社1985
芦野泉『白鳥の古代史』新人物往来社1994
赤尾雄人『これがロシア・バレエだ!』新書館2010
鈴木昌 編著『バレエとダンスの歴史』平凡社2012

斉藤成也『核DNA解析でたどる日本人の源流』河出書房新社2017
太田博樹『遺伝人類学入門 - チンギス・ハンのDNAは何を語るか?』ちくま新書2018

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