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3.11震災日記_6「2011.3.17~18」

2011年3月11日。
東日本大震災が発生しました。
自宅のある宮城県栗原市は震度7を計測。
当時大学3年生で就活生だった私は自宅で被災しました。

その翌日の3月12日からノートに日記を書いていました。
たまに読み返しては、今でもはっきりと当時のことを思い出します。
その日記を2011年3月23日に当時流行していたSNSに投稿しました。

宮城県の内陸ということもあり津波被害や大きな被害はありませんでした。
ただ、非日常の中を不安と、寂しさと、まわりの温かさの中で過ごしていました。
「沿岸部の方々の苦労に比べると私なんか」と考えた方も多いと思います。
沿岸部の方々の中でも「他の人と比べると私なんか」とグッと堪えていた方も多いと思います。
10年以上経った今でも。

そこで堪えたからこそ、越えられたものもたくさんあると思うので強烈に尊敬すると同時に
辛いと感じたものは辛いで良いのだと思います。
温かい部屋の中で氷がゆっくりと水に変わっていくように
みなさんのそれがじわりと解けていってほしいなと心から思うのです。

ほぼ編集無しで、当時のリアルを何回かに分けて再投稿してみます。
※すべての記事のリンクは最下部にあります



3月17日(木) 13時頃
今日は雪で真っ白。そして節電。


電話したりした。楽しいことが徐々に増えてきた気がする。

首都圏では買占めをしている。「もし」よりも「いま」の対応が求められているのにね。
自衛隊のトラックが今日もたくさん通る。

テレビで石巻か女川の避難所にいる80歳のおばあさんがこう言っていた。
「私のような(高齢の)者が残って、若い人が死んでいく。生きていてよかったとは思わない」

藤井アナが「多賀城で『座っていれば食べ物が来るなんて、贅沢だ』と言っていたおばあさんが居た。
どこまでも優しい東北の人になぜこんなことが起こってしまったのか」と嘆いていた。

嬉しいような、寂しいような、悲しいような、そんな一日。

朝 ごはん・ふりかけ・青菜味噌汁・さば缶
昼 おにぎり・鶏肉・カップ麺2つをみんなで
夕 ごはん・かぶ漬け・フライドポテト・豚すき


3月18日(金) 15:45頃
一週間が経った。長いような、短いような。仙台はゴーストタウンみたいだって言ってた。
朝にお風呂に入った。

近所の店はどこもやっていない。我が家の蓄えに驚く。

まだガソリンに余裕があるので、午後からは築館と一迫に行った。お墓参りと買い出しだ。お出かけ用スウェットを着て出掛けた。

お墓は倒れてなくて、無事。一迫のコメリとセブンイレブン、築館のミニストップに行く。
セブンイレブンでおにぎりを買った。新潟や長野の工場でつくられたものだった。
パン類は全くなかったので、唯一同じ棚にあったフルーツグラノーラを買った。
ミニストップには白米だけのおにぎりが売られていた。

朝 おにぎり・さばみそ缶・煮物・味噌汁
昼 ごはん・ハンバーグ・ほうれん草
夕 コンビニのおにぎり・カップ麺・ビール・芋焼酎


これで震災日記は終わりです。
みなさんもあの時は色々なことを体験して、色々なことを感じただろうと思います。
それぞれの向き合い方や感情があると思います。

上記の記事のように、辛いや悲しいという感情は他の人や自分の中の過去と比べるものではなくて。
自分の心の中だけで考えて、辛かったのなら、辛かったで良いと思います。
表に出してみると意外と楽になったり、でもそれは強制するものではないので出さないほうがいいな、出す必要は無いなと思ったらそれで良いと思います。
ただ、人というのは自分が想像しているよりもとても温かいです。
人の温かさに触れるということは、自分が想像しているよりもとても素晴らしいことだったりします。

震災日記のリンクを下記いたしますので、よろしければご覧くださいね。

https://note.com/swan1818m/n/n5a56155926c1

https://note.com/swan1818m/n/n1c514f220006

https://note.com/swan1818m/n/nb8c6c496f320

https://note.com/swan1818m/n/n2bba4a08d3c4




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