見出し画像

【東日本大震災】石巻市震災遺構・未来の命をつなぐ

もうすぐ東日本大震災から13年が経ちます。
石巻市震災遺構の大川小学校と門脇小学校へ行ってきました。
テレビで観るその2つの施設は、暗いな、怖いな、のイメージがあったので、こういった場所へはプライベートで行く機会はありませんでした。
でも、しっかりと知っておかなければいけないなとふと思い、伺うことにしました。

対照的な2施設と言ってもいいかもしれません。
一方は学校にいた過半数の児童や教員が亡くなり、一方は学校にいた児童や教員、住人、保護者がすべて適切な避難によって命が助かりました。

まずは「石巻市震災遺構大川小学校」へ行きました。
東北最大の河川である北上川沿いの道路を走ります。
幅の大きな川がキラキラと青空へと繋がり、両脇には山が連なり、とても美しい景色が広がっています。
ここで本当にあの未曾有の大災害はこの地に猛威をふるったのだろうかと信じがたいような美しさでした。

美しさに見とれて車を走らせているとスッと下り坂になり、
そこには隣に新しく作られた駐車場の輝きからトーンを落としたような少しほの暗い校舎が建っています。
石巻市震災遺構大川小学校です。


海まであと4km弱のところの北上川沿いに大川小学校はあります。
レンガのようなデザインをあしらったモダンな円形の校舎。
学校のすぐそばには山もあって、そして川もある。
前述した美しい風景も合わさって、とても素敵な学校だったのだろうと想像できます。

ああ、ここに、こんなにすぐ近くに大きい裏山があるのになあと、
じっと見つめてしまいました。

白い看板が津波到達点。

児童108名中74名・教員10名が亡くなりました。

地震が起きて校庭へ避難したあとに移動を開始します。
地震が起きてから約50分後であり、津波到達1分前に。
裏山ではなく、より川沿いの少しだけ高いところへ移動をしていたときに津波に巻き込まれます。
低学年でも登れるような裏山の緩やかなルートは1,2分で駆け上がれたそうです。

▽「小さな命の意味を考える会」

津波の危険があったらすぐに高いところへ逃げること。
ハザードマップ以上の津波が来ることがあること。
1000年に一度の津波が来る危険性があること。
それをみんな当たり前のように認識していたらと。
もしそうだったらと思うと「山に逃げようよ!」という子どもたちの声がたくさん聞こえてくるようでした。
慰霊碑の前で「必ず伝え続けますから」と自然と心の中で唱えていました。

大川震災伝承館には、1月の能登半島地震の新聞記事の切り抜きがありました。
津波が到達した珠洲市のある地区では東日本大震災を機に避難訓練を重ね、津波での犠牲者がゼロだったそうです。



次に「石巻市震災遺構門脇小学校」へ行きました。

海のすぐそばにあるこの学校は、津波やそれに伴う火災に見舞われるも、
適切な避難によって学校にいた児童や教員、住人、保護者のすべて命の助かりました。


現実味が無く、絵画のようでしたが、現実。

展示館にはあの日の状況を詳細に伝える言葉がたくさんありました
あの場面でああした、この人がこう適切な指示や機転を利かせた、自分はこう思った、など。
それもそうで、思い出したり話すのが大変だったかもしれないけれど、この学校にいた人たちはみんな生きていたんだから。
大川小学校では当然ながらその声は圧倒的に少なく、とても対照的でした。

津波と火災による、現実とは思えない震災遺構。
石巻市の被害や体験、過去の巨大津波(1100年前のものを含めて)、門脇小学校の思い出の展示。
被災車両や実際に使われていた応急仮設住宅の展示。

有事の際に、この方たちのように適切な判断ができるか。
そのようなことも考えさせられます。

平安時代や江戸時代、明治時代、そして昭和など過去に起きた震災の教訓が正しく語り継がれていたならば。
次の世代に語り継ぐこと。
自分ごととして防災や減災に生かせるように話すこと。
自分を含めて今あるまわりの大事な命や、未来の命をつなぐことになる。
たくさんの命を救うことになるんだと思います。



東日本大震災で命を落とされた方はたくさんいます。
生き残った方でも、心や体にいまだに傷を負っている方もいます。
心残りがあの場所に重い錨をおろしたままだったり、
心が優しい故に「私なんかよりも他の人のほうが大変だから」と我慢をしていたり、
我慢をしなければいけない場所に立たされていたり。

その中で、立ち止まっていたり、後ろに進んでみたり、前に進んでいたり。
色んな選択をする方がいらっしゃると思います。
簡単には言えないのですが、辛いのは辛いで良いと思います。

その方々皆に、温かい場所で氷が徐々に解けていくような気持ちを。
硬いものがほぐされてやわらかくなっていくような気持ちを。
私が言わなくとも、人間って強いので光のあるほうへ進んでいると思いますが。
そういったものを少しでも感じてほしいなあと思うのです。

下記リンクは東日本大震災の際に書いていた日記をまとめたものです。
私の住む宮城県栗原市は内陸なので津波の被害は無かったものの、震度7を記録しました。
被災したリアルを記載していますので、よろしければご覧ください。

https://note.com/swan1818m/n/n5a56155926c1

https://note.com/swan1818m/n/n1c514f220006

https://note.com/swan1818m/n/nb8c6c496f320

https://note.com/swan1818m/n/n2bba4a08d3c4





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?