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宗教について思う 11 太陽と花

宗教について思う 11 太陽と花








私が学生時代、愛読していた本のひとつに、


有名な中村元先生(仏教学者、東京大学名誉教授)の、


『インド人の思惟方法』

『シナ(中国)人の思惟方法』

『日本人の思惟方法』

『チベット人、韓国人の思惟方法』


という思想史の本(シリーズ)があります。


仏教というひとつの宗教が、

伝播の過程で、

どのように変化していったかということが

とてもよく分かる名著です。




この本を読むと、


まるで、

ひとつの太陽の光が、


国によって、

その国の気候によって、

まったく違う種類の花を大地に育ててゆくように、



ひとつの宗教もまた、

地域によって、

国によって、

そして時代によっても、


色彩の違う教えとなり、

形の違う芸術を生み出してゆくのだということが

よく分かります。




そのようなことは、

けして、仏教だけのことではなく、



たとえば、

お茶の水にあるニコライ堂*などに行くと、

同じキリスト教であっても、

カトリックやプロテスタントのような、
西ヨーロッパのキリスト教の教会との雰囲気の差を

強く感じますし、


*(ニコライ堂はギリシャからロシアに伝わった派の
キリスト教です。)



旅行好きな人なら、

同じイスラム教でも、

中東のイスラム教と、

インドネシアやシンガポールなど、
東南アジアのイスラム教との雰囲気の差を感じることも

あるかもしれません。






組織としての宗教の観点からみれば、


つまり、教会や寺院の運営という

観点からみれば、

宗教のそのような変容は好ましくないとされるものかも

しれませんが、



その変容のすべての形があって、


はじめて、宗教は、

多様な個性をもつ、人間という存在を

救いとってゆけるものとなるのでしょう。





宗教の教えの多様さ、

分派の多様さは、


端的に、

宗教が救うべき人間の悩みの多様さ、

そして、宗教が救うべき人間の罪の多様さを、


つまり、人間の心の暗さや汚なさを示すものでも

あるでしょう。




でも、そこにさえ、


悩みや罪の多様さという、

暗く汚ない、

よくないことにさえ、

人間という存在の豊かさが

あらわれてはいないでしょうか?


(人間以外の動物は、悩みや罪も多様であることは
できません。

ゆえに、人間以外の動物では解決方法もまた
多様とはなりません。)





神話では、

人間は神の似姿であるといわれてきましたが、


私は、

そういわれてきた理由のひとつがここにもあるように

思えるのです。







白鳥静香


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