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白鳥静香先生の言葉より 160 アダムの罪

白鳥静香先生の言葉を紹介します。







白鳥静香先生の言葉より 160 アダムの罪









・人類の一番最初の仕事は何だったか?

このように問われたら皆さんは何を思い浮かべますか?



狩や漁を思い浮かべる人も多いかもしれません。

耕すことというのもあるかもしれません。


確かにそれは大切な仕事です。






神話では、


人類の最初の仕事のひとつは、

生き物に名前をつけることであったとされています。

神様は人類の始祖たるアダムに名前をつけさせるために、
野のすべての獣と、空のすべての鳥をアダムの前につれてきます。




アダムは生き物たち名前をつける仕事を任されます。




それはとても名誉なことです。

名前をつけるということはそのものの扱い方を決める
ということだからです。


アダムが名前をつけると、それはその名前になったといわれています。







でも、神話では、その後、アダムはヘビにそそのかされて罪を
負ってしまうのです。


その罪はその後のすべての人類に引き継がれているといいます。






私はこの話は神話であっても、

とても深い真実を表現しているのではないかと思うときがあるのです。









昔、昭和天皇は、皇居のお庭に雑草が生えてしまったことをお詫びした
侍従の方に

「雑草という名の草はない。」

と言ったそうですが、


私たちがある植物に雑草という名前をつけてしまえば
その草を邪魔な草として扱うしかなくなってしまいます。


名前をつけることは、そのものの扱い方を決めることです。





生命のある生きている草に雑草などという名前をつけてしまうのは、


(草に対してそれをしているなら、
人間は人間自身に対しても同じことをしているはずです。

実際、世界では差別も、争いも現実です。

人権ということにおいて先進国であるヨーロッパでさえ、
極右政党が台頭しています。)



ひょっとすると、

神話でいわれているように、人類がアダムの罪を引き継いでしまっている
からなのかもしれません。









私たちは万物に名前をつけることができる存在です。

それは生物界において、とてもすごい特権なのだと思います。




そのような特権を与えられた存在として私たちは、

名付けることに対して、

いえ、言葉を使うことそのものに対してもっと責任を
もたなくてはならない。

そう思うのです。





名前をつけることは、そのものの扱い方を決めることであるのですから。





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