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「静かな退職」は増えているのか

アメリカでコロナ禍を境に台頭してきた概念がある。

「静かな退職(Quiet Quitting)」

これはキャリアアップなどを目指さずに、必要最低限の仕事はこなし、形式的には退職をしていないものの、心は退職したかのような働き方のことらしい。

社会情勢の変化や経済のグローバル化に伴う競争激化など身の回りの環境は刻々と変化している。

そのような環境の変化からくる人々の変容として、より一層プライベートを充実させたり、結婚や育児、介護などのライフステージの変化を重視する価値観をもつ従業員(労働者)が増えており、働き方や仕事、キャリアに対する考え方の変容があったと言われている。

この情報に触れて、筆者パラディソがぱっと思い浮かんだのは1988年~1990年代の日本でヒットした”映画:釣りバカ日誌”だった。

西田敏行さんが演じる主人公の浜崎伝助(通称:浜ちゃん)の姿である。

今回は現役働き盛り世代の「静かな退職(Quiet Quitting)」という現象を「釣りバカ日誌」という顕微鏡で覗きながら考察していきたい。


本題の前に釣りバカ日誌のハマちゃんとは


映画とコミックではストーリーと設定が若干違うようですが、概要としては下記となる。

万年ヒラ社員(営業職)のサラリーマンである浜ちゃんこと浜崎伝助は、大の釣り好きで自他共に認める「釣りバカ」である。
ある日浜ちゃんはひょんなことから知り合った「スーさん」という初老の男性を釣りに誘う。しかしこのスーさんは、他ならぬ浜ちゃんが勤める資本金50億円の中堅ゼネコン会社『鈴木建設株式会社』の社長・鈴木一之助だったのである。
この2人の奇妙な友情を中心に、浜ちゃんの釣りバカぶりがもたらす珍騒動を描く人気シリーズである。

wikipedia
出典:松竹映画

映画1作目のあらすじ

鈴木建設の四国支社高松営業所に勤める浜崎伝助こと「浜ちゃん」は3度の飯より釣りが好き。出勤前に大きなクロダイを釣った日に東京本社への「栄転」を営業所長から命じられる。

しかし、当初は浜ちゃんは「東京では釣りができない」と断り消極的だったが、妻のみち子さんに「東京湾にも魚がいる」と説得され、船宿の向かいのマンションに引っ越し。

初日から遅刻ばかりで社内ではあくびばかりの毎日を送る浜ちゃん。

近くの食堂で憂鬱な顔をした男と出会う。出会ったばかりの男に「こんな風にヒラメを骨だけ残して食べるものだ、それが魚に対する供養」だと残りを食べてあげる。

連絡先を通じて気晴らしにと釣りに誘う。しかし、この男がワンマン社長の鈴木一之助だった。

船釣りに登山の格好で現れた男を「スーさん」と呼び、東京湾を楽しみ、初めてながら大漁になる。夜はみち子さんから気さくな歓迎を受け、初めての本格的な釣りに疲れて眠り込み、そのまま浜崎の家でお泊まり。

数日後に浜ちゃんの勤めている会社に連絡しようとして秘書から我が社の社員だと知る。その日の自宅で「社長の顔を知らないとは」と妻に愚痴ると、彼女は「背中丸めて、陰気な顔をしてるから。不幸せな老人と思われても仕方ない。でも、その老人を優しく労ってくれたんでしょ」と言う。

次の日曜日、再びハマちゃんと投釣りに出掛け、再び浜崎家にお世話になる。問題児の浜ちゃんは「世の中一生懸命な奴ばかりじゃつまらない。釣りで言えば海にはアジもメバルもサバもいるから面白い、会社だっていろんな人がいるから面白い」というのに妙に説得される。

浜ちゃんはスーさんを食うに食わずの孤独な老社員だと思い込んで、仕事を世話してあげるが、スーさんは社長であることを明かさずに断る。しかし偶然、会社に訪れたみち子さんはスーさんの素性を知って「私たちをだましていたのね」と涙ぐむ。スーさんはそれでも、「公私を別にして、友人として今後とも付き合いをしてほしい」と浜ちゃんに電話をする。しかし浜ちゃんは「俺も辛いけど、この関係はスーさんのためにならないよ」と関係を絶ってしまう。

その後、浜ちゃんの突然の栄転もコンピューターの入力ミスと分かって、定期異動の際に高松営業所へ戻ることになる。人事部長が事情を説明すると、「ぜひ高松に戻りたい」と言った浜ちゃんにガッカリするスーさんだが、「せめて役付で戻してやれなかったのか?」と問いかける。すると人事部長は係長の昇進を約束したが、浜崎はこれを断り、ヒラのまま高松営業所に転勤することになったと答える。

別れの言葉も無く、スーさんとの別れを惜しんだみち子さんは新幹線から電話をして「ひどい事言ってごめんね」と謝罪し3人のわだかまりも溶ける。

wikipedia

要するに、会社内での出世や仕事に対する意欲よりも、大好きな妻(ミチコさん)と大好きな魚釣りに人生を全集中している男なのだ。

ミチコさんと一緒にいる時間や魚釣りをする時間が削られるくらいであれば、ヒラ社員のまま過ごし、自分の人生の中で本当に大切なものを優先するのである。

もはや時代が違うと言っても過言ではない36年前の映画に、現代を投影している部分があるのではないか、と思うのである。


静かなる退職が増えている原因


改めて、現代の状況を整理してみよう。

・ワークライフバランスを重視する価値観
近年、仕事に打ち込むだけでなく、プライベートを充実させたり、結婚や育児、介護などのライフステージの変化を重視したりする価値観をもつ従業員が増えており、働き方や仕事に対する考え方が変化しています。
また、働き改革など、仕事とプライベートのバランスをとる姿勢が企業に求められていることもあり、仕事に主軸をおかない「静かな退職(Quiet Quitting)」に共感する人が増えていると考えられます。

・キャリアプランの描きづらさ
働き方の多様化によって、キャリアプランを描きにくいことも、「静かな退職(Quiet Quitting)」に共感する人が増えている要因としてあげられます。たとえば、目標とするロールモデルが社内にいない場合は、働き方の指標がなく、目指すべき方向に迷いが生じる場面があるでしょう。
また、仕事に対するモチベーションを保てない場合も、キャリアアップを目標とせずに、日々自分の仕事をこなすことが目的となってしまいがちです。

https://go.chatwork.com/ja/column/work_evolution/work-evolution-298.html

・・・まさに前項で紹介した浜ちゃんこと浜崎伝助そのままではないだろうか。


今の働き世代の価値観とは


「静かな退職(Quiet Quitting)」問題とは今に始まった話やコロナ禍以降、突然生まれた新しい価値観や行動様式ではなく、昔からあった価値観や行動様式だと考えるのが自然ではないだろうか。

実際、”釣りバカ日誌”は1988年に公開された映画なのである。

インターネットやテクノロジー、コミュニケーションツールの進歩によって、現代ではSNSやブログを通じて誰でも情報を発信し、それなりの影響力を持てるようになった。

日本でFIREを達成したロールモデル的な存在である三菱サラリーマンこと穂高唯希さんも自身のブログでの発信を通じてFIREという概念を2015年から唱えてきた。

穂高さんはFIREを志した理由として、

・1度きりの自分の人生を主体的に描きたい

・毎朝なにをし、どこに行き、だれと会い、どこに住むのか、これらをすべて自分で決めたい

・今日はどんな1日が待っているんだろう、と毎日感謝したい

https://freetonsha.com/

と、表現している。

このように、イチ個人の様々な価値観が現代を生きる我々ひとりひとりの目に届きやすくなったことが要因で「静かな退職(Quiet Quitting)」なる表現(ラベリング)が生まれたのだろうと想像している。

今の働き盛り世代(20代~40代)のなかに、ワークライフバランスを重視する価値観を持っていたり、キャリアプランの描きづらさにより必要以上に頑張らないという人がいても全く不思議ではないし、

逆に、ビジネスマンとしてのキャリアを描き、リゲインの旧CMキャッチの如く24時間働けますかとモーレツに働いている人もいるだろう。

自分の所属組織に誇りと愛着をもって献身している人もいるだろう。

結局、今の働き世代の面々は、昔の人と比べ劇的に何かが変わったというわけではなく、多様な価値観が単に我々の目に付きやすくなった、という環境面の変化の方が大きいのではないだろうか。


今後の世界を妄想


「静かな退職(Quiet Quitting)」が脚光を浴び、半ば社会問題化しそうな背景には行き過ぎた資本主義の弊害があるのかもしれないとも考えられる。

格差の拡大が叫ばれ久しいが、人は基本的に不幸を願うのではなく、幸せを望む生き物だと仮定するならば、時代に合わせて幸福を定義した結果、この静かな退職現象が台頭してきた一つのファクターかもしれない

また、現在の大きな潮流として、資本主義社会が成熟していくにつれ、様々なものが共産主義化方面に逆方向に揺り戻されている部分も散見されてきている。

資本主義国家の象徴、アメリカ合衆国も国民皆保険制度を議論しているし、FRBの影響力が大きくなり、政府の財政出動も増え、イギリスのマクロ経済学者ケインズの唱えた大きな政府化傾向が顕著である。

大きな政府とは
政府の市場への介入を強化し(もしくは市場経済を否定した計画経済の導入を図り)、社会の平等・均等(富の再分配)と個人への高福祉(福祉国家志向)、更には完全雇用を重視する反面、個人の様々な自由への制約や規制・官僚・国家運営コスト(政府支出)の肥大化や保護貿易に繋がり易い政策・国策に走りがちになる。行政府の一形態であり、大きな政府を極限まで徹底した体制は(自主管理社会主義を除いた)共産主義ともいう。

Wikipedia

何事も、行き過ぎるということがある。

そして行き過ぎたものは反対方向に戻る力が働くが、それもまた行き過ぎる。

移動平均と時系列データの簡単な線形回帰モデル - Qiita

いわゆる、平均への回帰である。

ここでは資本主義 VS 共産主義のようなイデオロギーの話は割愛するが、上手くいけばとても理想的だが、上手くいく確率が低く、悪くなった時には徹底的にディストピアな全体主義・共産主義的な世界にならないことを願うのみだ。


おしまい

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