故・山崎元氏著「息子への手紙」を37歳サラリーマンは応用できるか?
この投稿は2024年1月1日に他界された山崎元さんの生前に書いた最後の著書を題材にして展開していこうと思います。
本書は著者の山崎元さんが大学進学したばかりの息子さんに向けた、「人生において、お金の心配をせずに、自由に気分よく生きていく為」の伝書的な内容になっています。
読了した際、筆者もこの内容を18歳の時に知りたかったと素直に感じました。
とは言え、時間は巻き戻せません。
山崎さんの息子さんと比べるとダブルスコア以上の年齢(37歳)になってしまった筆者が、今からでも活用可能な部分はあるのか、どこかしら応用は可能なのかを自分事化して考察してみたいと思います。
第1章:働き方・稼ぎ方
ます、第1章で書かれている結論部分を抜き出すと以下です。
この結論の真逆を行くのが「時間給や月給だけを頼りに生活する労働者」と理解して間違いないだろうと思います。
また自分の活動が稼ぎの源泉である点を考えれば、「医者や弁護士など高給専門職種」も含まれているのかと考えます。
では、”効率良く”とはどのような事を指しているのか?ということになりますが、ここも明確に記されていて、”株式性の報酬の獲得”としています。
そして株式性の報酬をうまく獲得する具体的な例として、
1:自ら起業する
2:起業に参加する
3:ストックオプション付き条件で働く
4:起業の初期に出資させてもらう
というものがあります。
要するにリスクを適度に、適切に取っていく行動が求められているとのことです。
なぜなら、これら1~4のダウンサイドリスクは特に若者にとって殆どの場合、大した問題ではない場合が多いです。
大きな借り入れ(借金)がなければ、たとえ起業に失敗しても自分ひとりが食べて行くだけであればどうにでもなりそうです。
起業に参加またはストックオプション付きのベンチャーに勤務した場合も最悪のダウンサイドリスクとはクビや倒産でしょう。
出資にしても、自己資金の範囲であれば借金まで背負うこともありません。
まとめると、下記です。
後述しますが、本章は今の筆者に応用できる部分は限りなく少なそうですね。出来る事と言えば、本業のサラリーは維持しつつ、副業の種をまいて、大資本に買収されるくらい育つ可能性に賭けることくらいでしょうか。
第2章:利殖と資本主義の仕組み
第2章で書かれている結論部分を抜き出すと以下です。
筆者はカール・マルクス著「資本論」で資本主義経済がどうゆうものかを学びましたが、山崎さんがこの章で言うところと本質は同じと考えます。
この図で言うところの「労働者タイプA」からの脱却というのが、まさに資本主義経済社会を機嫌よく生き抜く為に必須であろうと思います。
筆者自身も現在、「労働者タイプA」であることは間違いないのですが、まずは他人と取り替え可能な労働者に少しでもならないような工夫が大事になってきます。
しかし、人間でありながら「替えが効かない状態」を作り出すというのは相当難しいですね。特に能力、スキルなどの面から代替不能性を作り出すというのは至難の業だと感じます。
ぶっちゃけ、世のサラリーマンの99.9%は別にいてもいなくても組織は回るし、どうにかなる。
「〇〇さんがいなくなったら仕事が回らない」
このようなセリフをたまに耳にすることがありますが、失笑ものです。
そうであれば、我々が取れる方策で、どのようなものが努力効率がいいのか?ということになりますが、筋の良いものとして主には3つ。筋の悪いものとして1つ。
■筋の良いもの
1:転職出来る状態になっておく
2:副業できる状態になっておく
3:経済的な備えを持っておく
◆筋の悪いもの
4:資本家や評価者から好かれる
このあたりではないでしょうか。要するに、交渉力を備えるということが重要です。
4は「(他者から)~される」という受動態なので筋は悪いですね。自分でコントロールできないことは極力無視することが筆者のポリシーです。
また、話は前後し本書の中身とはズレますが、代替不可能性について。
例えば、企業業績自体は少しづつでも成長しながら担保できているが、人材の定着率が悪く、新規採用力も弱い。かと言って業務内容、総稼働時間がめちゃくちゃブラックというわけではない。
という様な企業に勤務している場合、同僚よりもただ長く勤めているだけで、「代替不可能性」が備わったりもします。
バンバン人が辞めていき、かといって新しい人材を採用できないとなると、経営側もある分水嶺を超えると既存の仕事をある程度回せる労働力がこれ以上欠損することを恐れ始めます。
なぜか。
資本論的な表現をすれば、搾取対象労働者の減衰とその補充がままならない状態では、剰余利益が減っていきます。
いやいや、時代はAIだ。AIが生産性を向上させ労働者が減っても問題ない、という反論もありそうですが、確かにその側面はあります。
しかし、競合各社も同じようにAIによる生産性の向上を達成してしまった場合はどうでしょう、相対的な剰余利益は人間の労働からしか得られない構図に変わりはありません。
とにかく、給与条件や労働条件交渉をするにはこの様なタイミングが理想的ですね。一気に条件が良くなることも十分ありえます。
周りがどんどん辞めていき不安な気持ちから周りと同じ行動を取ることの非合理性はこの様な事例からも想像できよう。
さて、もうひとつこの章では重要なコンテンツがあります。
山崎さんが何度も本書の中で繰り返してきたこととして、「適度なリスクを取りなさい」ということがあります。
上の図は縦軸にリスク選好度、横軸にリーダーシップを置いた資本主義ポジショニングマップとなっています。
ここでは、可能なら積極的に右上へ行くことが望ましい(狙い筋A)という結論が内包されています。
筆者としては、山﨑さんの息子さんのように若くなく、筆者自身、家族の生活を守る立場で懸命に生きています。
「じゃあストックオプション付きの会社へGO」とか「やっぱ起業やな!」と今すぐにピボット出来る優秀さを兼ねそろえておりません故、消去法的に狙い筋Bへとコマを進めている状態と言えそうです。
第3章:1章2章の覚書
ここでは、第1章・第2章の補足的な覚書がメインコンテンツになっています。
以下抜粋
読んでいて痛い、痛すぎる。筆者はすでに35歳をゆうに超えています。。。
上述しましたが、このあたりからもアラフォー筆者のリスクの取り方は若い人と違ってくると思います。筆者も過去のnote記事で類似の意見を記していました。
終章:幸福について
終章の結論として山崎さんは息子さんにこのように遺しています。
なんとも山﨑さんらしい、しかしこれまでのテイストと全く違った1文だなと思ったのですが、個人的にこの終章が一番好きです。
特にお気に入りのセンテンスをいくつかご紹介します。
生前、山崎さんが著書を書き上げるにあたって、自らの人生を振り返り、言語化したものなのだろうと思います。
結局、このあたりが人間が生きていくうえで最重要項目なのでしょう。
筆者は20代序盤の人材価値的に最もリスクを取れる時期、明らかに無知でしたので、適切なリスクの取り方とはどうゆうものなのかが分かっていなかったし、適切なリスクを取れていなかったです。
また齢25歳で出来ちゃった結婚をしているので、20代中盤から30代前半は家族で食べていくこと、妻とともに家庭を切り盛りすることが筆者として精一杯でした。
現在から遡り5年ほど前でしょうか、32~33歳あたり。
運よく給与所得も着実に増やすことが出来、子育ても少し落ち着いたタイミングでなんとも言えない焦燥感や絶望感を覚え、株式投資による資産形成を本気で進めるようになり今に至ります。
あの時こうしていればよかったな、というようなことを考えなくもないですが、20代30代を振り返っても、アラフォーの今も、妻と子供たちに、そして友人に恵まれ幸せな瞬間を数多く記憶しているので後悔はありません。
山﨑さんが書き残したメッセージを拝読し、今感じることは、経済的な事象に関しては、ある程度は理論でそれなりの正解が導ける。
よって、多くの人が実践した方が良いであろうベストプラクティスを粛々と励行することが合理的だろうと思います。
しかし、問題は経済的な事柄以外の部分にありそうです。
「自らが幸せを感じて、機嫌良く生きていく」
という難しい問題の自分なりの答えを、考え、感じる旅が人生なのだなと思う訳です。
”幸せは為るものではなく、感じるものだ”とよく言いますが、まさにそう。
今日という日を大切に。今を大事にしましょう。
完
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