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娯楽映画の価値。スピルバーグと宮崎駿

私は宮崎駿を中学生の頃から師匠と思っていて、今、小説家を目指している四十四歳なのだが、『君たちはどう生きるか』を観て、アニメーションの将来に少し不安を持っている。アニメーション映画とは読み解く類いのものだろうか?私の『君たちはどう生きるか』の感想は「つまらい」その一言に尽きる。宮崎駿の得意とする冒険ファンタジーだと聞いて、『天空の城ラピュタ』みたいなのを期待していたら、冒険で楽しませるものではなく、純文学みたいに考えさせるものだった。はたして、アニメーション映画とは読み解くものだろうか?読み解く要素は、『魔女の宅急便』などにも充分あったが、その作品は感情に訴えてくる「正統派」のアニメだった。娯楽性がしっかりとあり、文学性もあり、なにより子供に夢を与える作品だった。『君たちはどう生きるか』で夢を与えられる子供はいないだろう。
いっぽうでスピルバーグ監督は、徹底して娯楽映画を撮る。もちろん『シンドラーのリスト』などシリアスなものも撮っているが、やはりスピルバーグの作品はそれを観て映画館から出てきたとき、「あー、楽しかった」と笑顔になるのがいいと思う。映画を観て、楽しい気分になり、そのあと街で美味しいものでも食べてお喋りして楽しむ、そのような幸せな文化的生活の中に娯楽映画は位置している。
私は中学高校あるいは小学生の頃から、国語で、「この文章は何を言おうとしているか書きなさい」という指導を何度も受けてきた。それ故か、映画なども深いメッセージや深く考えさせる類いのものが優れたものだと思い込まされていた。もちろん、私は高校生の頃から独自の映画論を考えていて、おもしろく、楽しく、感動し、その余韻にいつまでも浸かっていたい、後から振り返るとその映画が自分の思い出のように美しいものとして記憶される映画、そういったものがいい映画だと考えた。これに宮崎駿のアニメーション映画はほとんどすべて当てはまった。だから、彼を師匠にしようと決めた。
しかし、スピルバーグのように娯楽に徹し、幸せな生活をしている人に映画を観るという楽しみを提供し、その人がより幸せになればその映画は成功であると言えると思う。
映画館を出てくるときに、笑顔であるか、暗い顔であるか、重要な点だと思う。もちろん、私は考えさせる映画を否定しているのではない。あと、泣かせる映画もいい。映画を観て泣きたいという人もいる。ただ、私が『君たちはどう生きるか』で気になるのは、アニメーション映画が、以前の「子供の観るもの」から、一部の知識人の間で議論の的になって、例えば、文学の世界の芥川賞みたいに、一般人がわからない物が評価され、大衆娯楽でありながら、深い感銘を受ける映画が、低評価にならないようにしたい。

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