良い思い出がない ③

良い思い出がない。

冷蔵庫の中で腐って水になった野菜のように頭の中には腐った思い出がいつまでも残っている。冷蔵庫の中の腐った野菜は捨てられても厭な思い出は野菜を捨てるみたいには消えてなくならない。いつまでも堆積して地層のように溜まっていく。

厭な思い出が堆積していくということは新しい記憶が入るスペースが少なくなるということだ。早く厭な思い出を削っていかないと呼吸もままならない。石だって転がし続ければ削れていつかはなくなるのに厭な思い出はいつまでたってもなくならない。それどころか転がす度により大きく強固なそれになってしまう。

きっかけは何であったか忘れたが彼女は酷く機嫌が悪かった。僕はそれが酷く面倒であった。彼女の不機嫌であるポーズで対応を迫られるのが厭でならない。駅を出てしばらく歩いていた。その間に何の話をしたかは覚えていない。唯一覚えているのは彼女が何かに酷く憤っていたことと僕を抱きしめながら「来年もそれからずっと先も私はこの景色を見るのだ」と言っていたことだ。しかしその景色はそれ以降、二度と見られていない。

僕だってそんなものは信じていない。信じていないが約束は約束だ。こうして一方的に果たされない約束がまたひとつ積み重なっていく。こんなものに拘泥している自分にも酷くイラつく。約束を破る人間は嫌いだ。約束を破るってことは存在を軽んじていると言うことだ。彼女は憤りで威圧して約束を破った。それだけの話だ。

別に僕自身はその景色を見たい訳じゃない。約束を実行することだけが大事なのだ。約束をしたからにはどうであれ実行する。どれが道理であり筋である。実行できないのであればそれは罰せられるべきだ。なぜ約束を破られた側が執着しなければならないのか。存在を軽んじられたと憤った彼女が約束を一歩的に破棄することは許されるのか。

良い思い出がない。厭な思い出ばかりがたまっていく。

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