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【超短編小説】懺悔室8000RPM

 自分は単に小心者だと思う。
 120km/8000rpmの懺悔室で感じるのは生への執着だとかでは無く、単に正確な運転を心掛けようと言う無難なものだった。
 大型トラックの荷台に擦れたミラーが内側に曲がる。
「邪魔だよ、おまえ」
 開きっぱなしのアクセルに比例して速度も上がっていく。トラックの屋根に取り付けられたラッパから聞こえるクラクションを置き去りにする。
 

 高校生だった頃に、深夜の自動証明写真撮影機を懺悔室に見立てて入ってみたものの、特に懺悔する様な事がなく、ただその中で煙草を吸いながら暗いガラス板に映る自分の顔を眺めているだけだった。
 懺悔、と言うほどの強烈な何かは自分の中に存在しなかった。
 精々が青年雑誌を書店から盗んだとか、同級生の財布から小銭を抜いたとか、カンニングをしたとか、その程度のものだった。

 
 圧倒的な力の前に平伏したい。
 どこかにそんな願いがある。懺悔室と言う薄ぼんやりとした概念が頭から離れないのはそのせいだろう。
 それは神だろうが悪魔だろうが、仮に暴力装置としての集団や国家みたいなものでも構わないし絵や文章、その他の祈りでも構わない。
 俺と言う存在、その背骨となる規律や戒律みたいなものが欲しいだけかも知らない。


 重たい空気は溶けたバターの様に身体を後方に引っ張っていく。身を屈めてその粘質な空気をやり過ごす。
 規律、戒律。人生の背骨。
 それらを自身以外の手に委ねると言うのは怠惰なんだろうか。
 既に決まっている規律だとか戒律、それも自分が関与できる範囲の遥か前から存在するそれらはどんなに魅力的だろうか。


 信号が青から黄色、そして赤に変化する。
 アクセルを開く。
 前を走る車のブレーキランプが灯る。
 ブレーキペダルを踏む。ブレーキレバーを握る。ロックしたタイヤが滑る。全身に力が入る。左足を地面に伸ばして踏む。
 数センチの隙間。
 思わず離したクラッチ。エンジンが痙攣して気絶する。
 キックをしてエンジンを起こしていると、さっき追い抜いたトラックが脇を通過していった。

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