見出し画像

【短編小説】あやめちゃん

ちょっとお父さんさ、いつも帰ってくるときに洗ってきてって言ってるじゃん。
全部よ、全部。
ほら、マンションの入り口のところにあるじゃん、散歩連れてった犬の足とか洗うとこ。
あそこで洗ってきてよ。
なんでって……もうさ、臭いからに決まってるじゃん。言わなくても分かるでしょ。
汚いし。
タオル?仕事に持っていけばいいじゃん。
え、なんで私が持っていかなきゃいけないの?
ほら、早く行ってきて。

おかえり。
ちゃんと洗ってきた?
耳の後ろとか脇とか、足の指の間とか。
あ、ちょっと、ほら、垂れてるから。汁が。
あーもう汚いなぁ。自分で拭いといてよね。
洗濯物とかも一緒にしないで。
汚れ移っちゃうから。
ほんとに信じらんない。

え、ちょっと、どうしたの?
……え?
失敗?
なによ、それ。
ちょっと、動かないで。
ここ抑えてて。
いい?

わかったから。
あとはわたしが何とかする。
大丈夫よ、お父さんより上手いから。
もう休めば?
お父さん、アレじゃん。
馬鹿みたいに正面からいくじゃん。
お父さんが好きな野球で喩えるとさ、なんか強い四番のひと?大谷翔平みたいな?に全部ストレートで勝負する?みたいな感じじゃん。
そういうの、古いよ。全然ダサい。
美しさとかさ、いいから。
だって失敗してるじゃん、それで。
もっと狡くなれば?
卑怯とかじゃないでしょ。
ベテランなんだしさ、相応のやり方じゃん。

じゃ、行ってくるね。
もうすぐお母さん帰ってくるから、動かないでじっとしてて。
お父さんのやつどこにあるの?
内ポケット?
じゃあちょっと借りるね。
大丈夫、使い方は知ってるから。
うん。
大丈夫、目標のひとは知ってるから。
余裕だって。楽勝楽勝。
うん、バイクで行く。
うん。
大丈夫、ナンバーは偽造のだから。
うん。
鍵だけ。財布も免許証も置いてく。
うん。
ハンカチも携帯もここに置いてくから。
大丈夫だって、うるさいなぁ。
しつこいって。
ハタチの日まで死なないから大丈夫。
うるさいなー。
はい、指切りげんまん。

じゃ、行ってきまーす。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートして頂けると食費やお風呂代などになって記事になります。特にいい事はありません。