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Re:【小説】江古田のエイリアン

「一名様でお待ちの武者河原小路さま」
 名前を呼ばれた聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は、家庭裁判所のページを開いていたスマホを尻のポケットに押し込んだ。
 せめて苗字には誇りを持ちたい。
 試験で名前を書く度に親を恨んだこともあったが、今では公的手続きの問題が多すぎる。
 変えるならどんな名前が良いだろうか。
 暖簾をくぐって中に入ると、みなが一斉にこちらを見た。
 武者河原小路などと言う名前の奴がどんな顔をしているのか、誰だってそう思う。おれだって勅使河原大路なんてやつがいたら、やはり顔を見てしまうだろう。

 だがそこにいるのは普通のおっさんだ。
 人生で一番長いと言うおっさんの期間を謳歌する、やや異常な独身中年男性だ。
 そして目の前に置かれた蕎麦も普通の肉蕎麦であり、値段も普通であった。
 おそらく作った奴も普通だ。
 おれは蕎麦を飲み込み、丼を机に置くと
「ありきたりだ。おれもお前も、何もかもありきたりだ」
 と叫んで店を出た。
 これでおれは完全に異常になったし、店側も他の客も今日と言う日が異常になった。
 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は出禁になっても満足だった。
 何故ならもう二度と来ないからだ。

 拾った禁煙パイポをレロレロしていた聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は、やはり煙草を吸いたいなと思いながら江古田の町を歩いた。
 そう、ここは江古田である。
 名前の知名度のわりに実態を知られていない町。恐らく地方民などはマンガを読んで東京にある架空の町だと認識しているだろう。
 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は久しぶりに江古田に来ていた。
 安い芝居小屋で知人が興行を打つ時以外に来たりはしない。江古田にしか無いものなんてのはない。それは新江古田であっても同じだ。

 だがそんな江古田にも再開発の手は入る。
 来る度に屋号が変わっている居抜きのラーメン屋がまたしても変わっていたのは置いておくが、その先にある古い銭湯を半分壊して作った駐車場が完全に無くなっていた。
 駐車場がかつて風呂屋であった証拠に、やたら高い天井と奥の壁に描かれていた富士山のペンキ絵が残っていたが、その壁も撤去されていた。
 恐らくは狭小3LDKのタワマンでも建てるのだろう。江古田にタワマンなんか建てて誰が買うのか知らないが、聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)はそびえたつクソが勃起きた陽茎に思えてきて少し愉快になった。

 そうやって江古田の町は綺麗になる。
 気が狂っている老人が住むアイリス・アプフェルの装飾過剰なポストモダン型昭和日本住宅には変化が無いものの、恐らく町中の出し忘れ資源ゴミを回収さる真夜中育ちのフェアリータイプ住民は姿を消した。
 新陳代謝の止まった町。
 そこらへんにある蕎麦屋のショーウィンドウに飾られた食品サンプルみたいに、日焼けと加水分解で捲れあがり台湾国宝のチャーシューみたいになった町。
 それが江古田だ。



 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は歩き疲れたので座ってコーヒーを飲もうとコンビニエンスストアに入った。
 いくら加水分解シティ江古田だって、コンビニに休憩室くらいある。無かったら作ればいい。DIYの精神が無いと生き残れない。
 その休憩室では近くにある運送会社の人間たちが同僚の悪口を言いあっていた。
「あの人とは絶対に同じシフトに入りたくないのでどうしたら良いか」
「多少は休日を犠牲にしてでも同じシフトを避けるにはどうしたら良いか」
 などを真剣に相談している。

 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は麦茶みたいに薄いコーヒーをひと口飲んで少し考えた。
 シフトが選べる仕事は良い。
 だいたい、仕事に於ける人間関係なんて言うのは目の前の同僚を「本当に最低の人間だな」と思いながら愛想笑いでやり過ごすものだと思っている。
 だがシフト選択と言う権利があるのなら愛想笑いも必要ない。
 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)が缶コーヒーを飲み終わってもなお、彼らは同僚に対する嫌悪を並べ立てており全く労働とは本当に害悪だと思うに至った。
 やはり加水分解シティ江古田を一度デストロイするしかない。
 存在していてはいけない町なのだ。
 別に江古田を出禁になったところで聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は困らない。

 線路沿いに歩くと天然物の半壊住宅が立ち並んでいたり、自転車のなる蔓などが見えた。
 やはり江古田は滅びなければならない。
 そこに慕情は無い。生活の諦観と怠惰だけがある。聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)はそれが許せなかった。
 椎名町の南天で天ぷら蕎麦の抜き(女子バイトによる)を堪能した聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は、足を伸ばして長崎町まで行くことにした。

 池袋線住民はどう言う訳か都民なら当たり前に知ってるだろう、と言うふうに長崎などと言うが自分だって引っ越してきて初めて知った事は隠している。
 西東京の奴も得意げに「瑞穂でさぁ」などと誤解を誘う言い方をするのがいる。
 大阪の福島や茨城などとは訳が違うのに身の程を弁えない傲慢な田舎者のやることだ。
 やはり池袋線そのものをどうにかしないとダメだと聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は思った。


 その長崎町あたりの商店街ではキッズの為の新年度企画が催されていた。
 いろんなお店が子どもたちの為にお菓子を配っている。
 子供たちは公園に集まって色とりどりの袋を開き、中を覗いては嬌声をあげていた。
 ガレージのある家では近所の人たちを招いてホームパーティーが開かれているのを横目で見ながら歩いていた。
 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)には地元と言うものが無いのでそういった景色はが少し羨ましくもあり、同時に全く理解の外にある関係性だと思った。


 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)はかつて自分が子どもだった頃のことを思い出す。
 果たしてあんな風に素直に駄菓子を喜べただろうか。好き嫌いのある子どもだったし、気遣いなんてできない子どもだった。
 嬉しそうな顔をできない。
 それは聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)と言う名前のせいでは無いだろう。



 子どもたちの楽しそうな列にはインド系と思しき外国籍の人間やその子供たちも混ざっており、みんなが楽し気にしているのを見ると最新型の多様性と言う様な気がしていた。
 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)が過ごしていたのは古いチンチン電車と沿線にある障碍者施設に通う人間たちで、世間にはそういう人間もいるのだなと言う理解を得るのには大いに役立った。
 もちろん何度かの接触に於いては些細なトラブルも経験した。
 世の中はそういうものだと学んだ。
 きっとあの子どもたちも、世の中には色々な言葉を喋る人間がいるんだなと自然に受け入れているのだろう。

 途端に聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は腹が立ってきた。
 きっとニューヨークに行ったスティングもこんな気持ちだったに違いない。
 結局、聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)の異質さと言うのは西東京的な異質さであって、東東京的でもないし北東京らしくもない。
 作られたワザとらしく厭らしい、下品で惨めなクリエイティビティそのものだ。

 もちろんその厭らしさは南東京とも相容れない。
 西東京のサブカルチャー的な雰囲気に甘えていると言ってしまえばそれまでだが、彼らも西東京に来れば分かることだ。
 来て、見ればいい。
 都内だ。
 西日本に行くのと違ってパスポートの必要は無い。ドイツと違って壁も無いし合法的な旅人になれる。

 いまの聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)がそうだ。
 ここではない町に行こう、聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は思った。
 なぜなら誰か知らない人が棲むその街を聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は何も知らない。
 その人がそこにいる理由さえも知らない。

 例えば駅前の蕎麦屋が旨いのなら、それでいいのかも知れない。
 聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)は江古田のエイリアンだった。
 そして赤信号を無視したスポーツカーがコースアウトして歩道に侵入したので、聖衣輝煌爆裂太郎(せいんとくろすあげあげえふめがのりあき)轢かれて死んだ。

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