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Re: 【小説】蒼魔灯ハッピーターンBABY

 春と言うには冷たい風が私刑のようにおれをかわいがる。
 でもそれくらいじゃあ見えない。
 だが海水浴には早過ぎる。
 煙草を投げ捨てて引き返す。

 別に手段は何だっていい。
 バイクで転ぼうがスパーリングでハイキックを貰おうが女にナイフで刺されようが、どれだって構わない。
 首を吊るんでも良いし電車に飛び込むんでも良い。
 でもそれじゃあ次が無い。
 死んじまうからな。


 死んじまっちゃせっかく灯した走馬灯が消えちまう。

 明かりが一つ灯る。
 それは最後に喰ったラーメン。
 家系ラーメン、固め濃いめ。
 戦争が始まってから油多めができなくなった。チー油も戦争に関係してたんだなと笑う。卓上のゴマも頼まなきゃ出してもらえなくなった。
 冗談じゃあねぇと思う。だがそれでも塩分と油分の溶けあった完全栄養食はおれの脳みそに強烈なキックを入れる。
 それは紛れもない幸福の1ページだ。


 目を覚ます。


 再び死にかける。
 するとまたひとつ、明かりが灯る。
 最後にしたセックス。
 今日が排卵日だと言う女を押し倒す。コンドームの隔たりが無い肉感。振り続ける腰。単気筒のピストン。爆発寸前の心臓。空回りし続ける脳味噌。背骨を駆け抜ける快感と強烈な脱力。


 目を覚ます。

 再び死にかける。
 また明かりがひとつ。
 美術館の真ん中に立っている。
 金色に塗られた満月の絵が飾ってある。薄暗い美術館の白い壁。小さなスポットライトの当たった絵の満月が輝いている。微妙な凹凸で変化する満月の陰影。
 おれはしゃがみこんでその満月を見上げる。
 黄金の陰影。
 おれは薄暗い美術館の白い壁に掛けられたキャンバスの黒い空に浮かんだ黄金の満月を見上げている。

 目を覚ます。

 再び死にかける。
 明かりが灯る。
 ホテルの一室。黒い夜が広がっている。赤いランプが明滅する。白い光は消えない。ダイオードの色が溶け込んだ空は曖昧な群青色を広げている。
 窓ガラスに写るおれと女。テーブルの上に広げられた料理。
 ワイン。
 それは赤い。
 気泡。
 それは白い。
 煙草の煙は白くおれたちは窓を突き破って群青の中へ曖昧の中へ溶けていく。


 目を覚ます。

 再び死にかける。
 灯る。ひとつ。
 魚屋。生活。夕方。五時の鐘。魚屋。濡れたコンクリートの床。ショーケースの中の魚。死んだ目。切り身。剥き身。すり身。皿の上。発泡スチロールの上。
 冷たく揃えられた死。
 旨いメシ。食事。リインカーネーション。美味しいごはん。調理。海の底から鍋の底へ。
 過去を再生する。
 ゆらめく水面。
 たゆたう肉片、気泡。
 白く湯気けむり、やがて換気扇に吸い込まれていく。


 目を覚ます。

 再び死にかける。
 明かり、ひとつ。
 映画館。競輪。六畳間の歌手。煙草。酒。歌。競輪。ワンボックスカーの中で歌う。フォークギターが鳴る。指が弦の上を滑る。銀色の金切り声が響く。暗い穴に音が飛び込んで行く。暗い穴から音が飛び出て来る。煙草の煙。ピアノの音。電車が大きなカーブを曲がる。茶色く錆びた鉄の上げる悲鳴。
 狂った夜の欠伸。

 目を覚ます。

 再び死にかける。
 灯る明かりがひとつ。
 茶色い喫茶店。40ワットの白熱灯。ウェッジウッドのカップ。珈琲。民芸品の机。椅子。木の梁。
 煙草の煙は白く全ては茶色い。木の梁。珈琲は茶色く湯気は白い。ウェッジウッドのカップに踊るひとたち。金色の縁取り。細い取っ手。
 飲み込む唇は赤く、おれはそれを見ている。


 目を覚ます。

 再び死にかける。
 灯るひとつの明かり。
 駅前。改札前。最終電車。降りて来る人々。疲れ切った表情。風。おれはお前を待つ。


 目を覚ます。

 再び死にかける。
 ひとつ灯る明かり。
 惑星。チョコレート。並び、齧る。
 目を覚ます。再び死にかける。
 単車。二人乗り。警告灯。
 目を覚ます。再び死にかける。
 電車。手を繋ぎ警告汽笛。フラッシュ。
 目を覚ます。再び死にかける。
 頓服。酒瓶。煌めき火炎瓶人間点線原点。
 目を覚ます。再び死にかける。
 うずくまる。明滅。汝暗転入滅せよ。
 幸福だった瞬間だけを過去から取り出す。
 怒りも苦しみも要らない。
 悲しみも痛みも要らない。
 光も。
 
 走馬灯に照らされた幸福の向こうに伸びる黒い影は怒りとか悲しみとか苦痛とか言う名前がついているらしい。
 おれは知らない。
 会ったことも無いし見た事もない。
 誰だって?苦痛?
 知らないな。
 ムカつき?
 聞いた事ないね。だからこっちにこないでくれ。おれには関係が無いね。
 知らないったら。関係ないって、それはおれのじゃない。
 それは違う、おれのじゃない。
 そこにおれの名前なんかどこにも書いてないだろう。


「2010年4月25日あいつをぶっ殺してやる」
 いや、これはおれのじゃないってば。
「1999年6月19日あいつが死ねばいいのに」
 いや、これもおれのじゃないって。
 やめろよ、大きくなるな。
 あぁくそ、思い出せば思い出すほど大きくなっていく。
 冗談じゃあない。一緒には行けないだろう。
 天国の門は狭くて低いんだ。一緒には通れないよ。
 おい。やめろって。
 おれが行くのはそっちじゃない。
 お前、何を上から見てるんだ、助けろ。手伝ってくれ。目が覚めないんだ。早く続けないと。なあ、おい聞いているのか。

 目を覚ます。

 再び死にかける。
 目の奥で点滅する。
 雨。上野。公園。桜。雨、夜。
 溶けて降る曖昧な群青。
 地面に叩きつける。
 濡れるコンクリート。
 溶けた群青を反射する光。街灯。煙草の先は赤く光り煙草の煙は白く濁る。
「どこへ行くのですか?」
「海に入るにはまだ早いと思う」
 目を覚ます。再び死にかける。
 目を覚ます。再び死にかける。
 目を覚ます。再び死にかける。
 光あれ。

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