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【超短編小説】積ん独

 
 何が食べたいのか分からなかった。
 それはあまりにも自由だったからだ。
 無限にある選択肢。名前と内容が一致しない料理。天気。気分。予算。手間。腹具合。その組み合わせで決める?そんなのは無理だ。
 妻(或は母、若しくは自身)の問いに四苦八苦しながら答える。生きているだけで苦しみが積み上がる。
 選択肢をくれ。メニューが必要だ。世界は広過ぎる。自由は恐ろし過ぎる。


 牛乳にプロテインを溶かして振る。
 ブロッコリーと鶏肉を蒸す。
 無為鼻炎。またひとつ積み上がる苦しみ。
「寿司?ステーキ?」
 予算オーバーだよ。
「仏跳牆?ビリヤニ?」
 手間が過ぎる。
「鍋?素麺?カレー?うどん?何がいいの?何が食べたいの?どうしたいの?どう生きたいの?」
 知るかよ、そんなこと。



 目を覚ます。
 自分の声で起きたのか、自分の歯軋りで起きたのかも分からない。
 部屋に溶ける影を引き摺って便器に流し込むビタミンカラー。消えない泡。夢幻泡影。またひとつ苦しみを積む。糖尿ならそれでいい。
 結局、昨晩なにを食べたのかも思い出せない。
 そもそも何かを食べたのか。
 鍋に架けたザルには腐ったブロッコリー。朽ち果てた鶏胸肉。



 蓋をする。
 息を吸う。
 蓋を開ける。
 息を吐く。
 そこには何も無い。洗って乾かしたザルが架けられている。金網恢恢。
 それは苦痛か?
 何でもいい、積んでおけ。



 煙草に火をつける。
「セブンスターズ?ショートホープ?」
 ピース。
 咳き込む。
 口端にチェリー。
 廃盤。
「何が食べたいの?」
 何が食べたかったのか、それすら分からない。
 何故なら俺には理由が無かったからだ。



 食べたいものが食べられない程に貧しかった訳でも無く、食べたいものが食べられる程に富んでいた訳でも無い。
 そこには絶望や希望が無かった。
 ただ疲労や孤独と言う名前の現実だけがあった。
「何しに産まれたの?」
 理由なんて無いよ。
「何で好きなの?」
 理由なんて無いよ。
 俺は駅前の交差点で初めての告白をした高校生の時から影を失っているのかも知れない。



 ルーズソックスとローファー(あの日から引きずる長い陰)。ミニスカブレザーと萌え袖セーター(取り返せない思い)。
「着ようか?」
 妻(或は母、若しくはソープ嬢)の問いに四苦八苦しながら答える。
 選択肢をくれ。コースが必要だ。世界は広過ぎる。自由は恐ろし過ぎる。

 あれからずっと探している。

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