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フランス現代思想の黄金時代は終った?

哲学は文系の数学であり、普遍を追求するもの。すなわち、地球上のどこであっても通用する思考を目指す。ただし、それであってなお、哲学を極めるそのスタイルにはお国柄(文化に由来する考え方の癖)もまたにじむ。とうぜんフランス哲学にもまた、どくとくの性格がある。そこには血なまぐさい革命を経て、紆余曲折をかいくぐり、共和政にいたったフランスらしい自由、平等、友愛をめぐる定義の刷新、思想の闘争がある。



フランスという国は不思議だ。ルノーやプジョー、はたまた投資会社ソシエテ・ジェネラル、電気とガスの供給会社エンジーも有名ではある。しかし同時にマティスとピカソを貸し出すだけで寝ていてもおカネがちゃりんちゃりんと入って来る。そのほか外貨を稼ぐのはワイン、美食、香水、オートクチュール。そして文学、映画、哲学が続く。哲学ですよ、哲学。フランスは大学入試資格(バカロレア)において、18歳の少年少女に哲学の実践能力を要求しますからね。そんなフランスはつねに時代のスター哲学者を生み出してきたもの。




日本にもフランス文化のファンは多い。なるほど、日本の大東亜戦争敗戦後は、GHQによって日本の国体が破壊され、ジャズが大流行したものの、同時に他方で(事実上敗戦国に近い)フランスの哲学、小説、シャンソン、映画もまた流行ったもの。サルトル全集の日本語訳は1950年に開始され、フランス以上に売れたもの。カミュが読まれ、同列に並べてはいけないにせよサガンがまた愛された。ダミアのシャンソンもまた。映画はゴダール、トリュフォー、時差をともなったもののロメールが流行ったものだ。



その流れはけっして戦後にとどまることなく、いわゆるヌーヴォー・ロマン(新小説)と呼ばれもするほとんどが Les Éditions de Minuitが1957年から売りだした、サミュエル・ベケット、アラン・ロブ・グリエ、ナタリー・サロート、ミシェル・ビュートル、マルグリット・デュラス、クロード・シモン、ル・クレジオらの前衛小説が次から次に日本語訳出版されたもの。事実上の敗戦がフランス人の精神をいかに困難に至らしめたかが痛ましいほどよくわかります。




また、文化人類学者レヴィ・ストロースは、サルトルに替わって知のスターになった。もちろん後年日本でも翻訳全集が刊行されています。



ヌーヴォー・ロマンをどう見るか、そこにはいくつもの視点がありますが、ひとつ重要なことは、近代国家の成立と軸をひとつにした近代文学(=国民文学)とは、まったく異なった位相に文学が移行したこと。



ヌーヴォー・ロマンに先だって、まずカミュがフランス領アルジェリア出身で、『異邦人』は対独戦争がはじまったことへの焦燥によって早急に書かれていますね。「Aujourd'hui, maman est morte.(きょうママンが死んだ。)」、そのママンとはフランスのこと。サルトルもまたフランスの公共施設にドイツ国旗がはためく屈辱の時代に、書くこと=出版することをはじめています。


後続する戦後フランス文学ヌーヴォー・ロマンもまた対独戦争によってフランス人の精神が崩壊寸前まで追い込まれていったさまざまな症例が(ブランショをはじめ)現れていて。また、デュラスが仏領ヴェトナム出身で、クレジオはニース生まれとはいえ8歳以降ナイジェリアで育っていることも重要です。もちろんこの図式から外れる重要な作家たちも多いことはもちろんですが。



さらにはいわゆる1968年の思想を準備したと言われもするヌーヴェル・フィロゾーフ(新哲学者たち)が登場する。時代の知のスターはミシェル・フーコーで、かれは自己というものが(地層のように累積された)過去の言説によって形成されると理解したこと。はやいはなしが、個人(主体)の自立なんてものは幻想にすぎない、と見なした。(人間の死!)ここで言説の系譜学とともに活用されるのがフロイトで、人間の行動は意識ではなくむしろ無意識に支配されているというわけ。こうしてフーコーの言説のなかでは、人間の主体性はあっちからもこっちからも攻撃され、遂に死にいたる!



フーコーはこの方法を使って、精神病院、刑務所、言説の規範の歴史的変遷、法、セクシュアリティについて、近現代〈真理〉とおもわれているものが、実はどのような過程を経て〈真理〉と見なされるようになったかを暴き出し、〈真理〉をその時代の言説の覇権争いの勝利者による抑圧に過ぎない、と相対化してみせる。あけすけに言えば、そこには「おれは狂人じゃない。狂っているのは近代の方だ」という告発がある。また、制度は人の性的ファンタズムさえも結婚‐家族に合致するように方向づける。しかし、新しい生活様式は他にもあるはずだ。こうしてフーコーは(古代ギリシアはバイセクシュアルの楽園だった、と妄想し)ゲイとしての性を擁護賞揚するに至る。さらには制度によって抑圧・排除されている者は蜂起せよ、という過激な主張にさえ至る。もっとも、こうしたフーコーの主張は(とうぜんながら)功罪あい半ばではあって、バイセクシュアルの楽園を見るならば、古代ギリシアではなく、むしろ日本の江戸時代の方がいくらかなりともふさわしい。また、フーコー流の歴史の読み直し(=書き換え)にしても、近年のアメリカにおけるブラック・ライヴス・マターに勇気づけられた大胆な歴史の書き直しを全面的に肯定することはいくらなんでも難しい。さいわいフーコーはとっくに死んでいるのだけれど。いいえ、本題に戻りましょう。



ロラン・バルトは、記号論の可能性を全面的に拡張し、読むこと、モードの記述、写真論、恋愛について論じ、哲学知の範囲を大きく広げた。




ジル・ドゥーズとフェリックス・ガタリは『アンチ・オイディプス』(1972)と『千のプラトー 資本主義と分裂病』(1980)でもって、(意外にも哲学史を前提しつつ)暴走する資本主義の病を明らかにし、同時に精神分析の限界を指摘し、読者に解放の道を示唆した。ただし、その書き方は難解で、読者が誰であろうが7回読んでも全貌を理解できないばかりか、7人の読者はみんな人それぞれ違った印象を述べるだろうし、そもそも要約すること自体がかれらの本を裏切るでしょう。(対照的に、既存の哲学はカント、ヘーゲル、はたまたサルトルであろうと、ていねいに読み込んでゆけば、おおよそ読者全員が共有できる正しい理解にゆきつくものだ。)しかし、その超絶難解にもかかわらず、ドゥルーズ&ガタリの書き方はいたるところで読者の心を騒がせ、魅了し、その書き方はまさにかれら自身が名づけたPop philosophie (ポップ哲学)の登場だった。いったいなにが書いてあるのか、読者は誰もところどころわかるところもあるとはいえ、しかし全貌の理解となると読者に厳しく限界を突きつける。それでいて(けっして全貌がわかりえないことまで含めて)こんなにも読者を惹きつけてやまない本は後にも先にも他にない。





ミシェル・セールは博覧強記を活かし、エッセイのかたちで人文知と科学知を繋げた。



ジャック・ラカンはあまりにもややこしい、読者を拒むかのような文体で、フロイトを復活させた。ぼくはもちろんのこと、ほぼ全員の読者が理解できるのはそれだけだ。なお、フィリップ・ソレルスはラカンの授業を熱心に受講した。




フランス領アルジェリア出身のユダヤ系フランス人ジャック・デリダは、わたしとは誰か、という疑問に生涯さいなまれながら、差延という概念を導入し、あらゆ語の同一律を否定してまわる。なるほど、デリダは「ユダヤ人」、「アルジェリア出身」、「フランス人」、「哲学者」と複数の帰属先を持ちながらも、しかし、どのカテゴリーに対してもけっして完全には属することができない。しかも、デリダのこのアイデンティティの不安に由来する自意識はあろうことかパロール(おしゃべり)の優位の主張、ひいては形而上学批判にまで行き着く。しかも、デリダは911を経た2003年の著書『Voyous: deux essais sur la raison(ならず者たちー理性についてのふたつのエッセイ)』のなかで、デモクラシーがデモクラシーによって自己免疫疾患に陥りかねない危うさを抱え込んでいることを指摘するに至る。なお、脱構築という(一世風靡した)概念はデリダによるもの。



以上のように、誰もが哲学とはなにか、あらためて問い、既存の知の枠組を破壊し、新たなそれを哲学者それぞれが創造せんと闘った。その戦闘性にはすさまじいものがあった。



しかも、1973年以降フランスでは、アカデミズムのなかで、映画学(Film Studies=études cinématographiques)が研究されるようになった。(なお、蓮實重彦さんによる映画批評および映画というメディアに対する原理的考察は、この流れと並行しています。)




なお、かれらの仕事が日本の1980年代の流行思想ニュー・アカデミズムのベースになった。当時若き浅田彰さんの『構造と力』(1983)は後年ドゥルーズが言うところのRhizome(リゾーム)の概念理解が粗いという批判にさらされつつも、それであってなお、あの時代の知のガイドブックとしてそれなりに機能したもの。あれから幾星霜ではある。



先週たまたま古本屋で(創造性に富んだ異端の編集者であり暴れん坊のエクリヴァン)フィリップ・ソレルス(1936-2023)の『女たち』と『本当の小説 回想録』を見つけ買い求めて読んでみたところ、あ、フランス人の書き手たちはみんなお友達で、みなさん自著を贈り合ったりして社交があったのね。前述のソレルスの2著は、性の乱脈自慢が嫌らしいものの、それであってなおフランス文壇の(いまは失われてしまった)ある時代を記述したものとも言える。




なお、ソレルスは雑誌 Tel Quel (1960‐1982 版元はガリマール)の編集委員のひとりで、サブ・タイトルは何度か変更の後に「文学/哲学/芸術/科学/政治」、各号の特集はアルトー、バタイユ、ポンジュ、ハイデガー、ヘルダーリン、ダンテ、パウンド、ボルヘス、バルト、クロソウスキー、リルケ、ミショー、サロート、ソシュール、フーコー、デリダ、ヤコブソン、ジョイス、サド、ジュネ、ニーダム、フィリップ・ロス、クリステヴァ・・・。フィリップ・ソレルスがいかに挑発的な編集者であったかよくわかる。なお、ソレルスの奥様はクリステヴァである。



あの時代の終わりは、ロラン・バルトが1980年3月末、ミッテラン大統領との会食の後、エコール通りの横断歩道でクルマにはねられ頭部に外傷を負ってピティエ=サルペトリエール病院で亡くなったことにはじまった。続いてフーコーが1984年5月末エイズで命を落とした。デュラスと並んで大酒飲みだったドゥルーズはその十年後1994年11月自宅のアパルトマンから投身自殺した。最後のひとつまえの著作は、長年の共著者、精神分析医のフェリックス・ガタリとの”Qu' est-ce que la philosophie? (哲学とは何か)”である。(財津理さんの訳で河出文庫で読むことができます。この作品は4年後に死を控えたドゥルーズ66歳による、自分の思考の軌跡についての解説であり、遺書と言ってもいいでしょう。なお、共著者のガタリはドゥルーズの死に2年先立つ1992年8月末亡くなっています。)デリダは2004年10月膵臓癌でこの世を後にした。そんななかフィリップ・ソレルスは生き残り、あの時代の証人となった。しかし、そのソレルスもまた2023年5月5日、86歳で死んでしまった。いまや残されたのはジュリア・クリステヴァ(b.1941-)ただひとりとなった。




それにしてもフランスのあの小難しい戦後文学、現代思想の全貌をおおよそ日本語訳で読めたということにも驚かされる。対照的に、いまフランスの存命中の書き手は誰だろう? スロベニア生まれながら、ジャック・ラカンの娘婿でもあるスラヴォイ・ジジェク(b.1949-)の他に誰がいるかしらん? 外国文学~哲学の翻訳が激減していることもあれば、またおそらくぼくがフランスアカデミズムの現在を知らないだけなのかもしれないけれど、いずれにせよ、フランスの時代思潮は大きく変わった。




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