見出し画像

公園でかっこいいアメリカン音楽を聴く、75歳男性。

5月のある昼下がり、ぼくは近所のスーパーマーケットでレヴァーを買って、ぼくの大好きなふわふわな髪の優しい笑顔の女性のレジに並び、彼女に愛想を振り撒いた。つづいてぼくは近所のドン・キホーテでChilanoの赤ワインを買いつつ、レジの女性(かつてあざやかだった紫色のショートヘアがシャンプーするたびにどんどん脱色してしまうことを嘆くそんな)彼女に、いまの脱色されつつある髪の色も悪くないよ、服は黒でまとめたらいい、パールのネックレスもつけたならベスト、などと勝手なアドヴァイスをした。



部屋への帰り道、ぼくが公園を通りかかると、緑のなか酒焼けしたおじさんが木作りの机に向かい、スーパーマーケットで買ったとおぼしき、トンカツそのほかのお弁当を召しあがっていた。ちいさなラジオからはかっこいいアメリカン・ミュージックが流れている。ぼくは訊ねた、なにを聴いてらっしゃるんですか?



かれは答えた、「あ、これ? インターFM897で、月曜から金曜まで11時から午後1時までやっていてね、ロバート・スミスさんっていうむかしは「百万人の英会話」をやってらした先生がDJなんだよ。」ちいさなラジオは、ちいさいながらもステレオで、Audio Comm なるブランドが記されている。



ぼくはかれに興味を持って、ぼくもかれのテーブルの椅子に座った。ぼくは言った、「音楽、お好きなんですね。」かれは言った、「若い頃から音楽は好きでね、ビートルズが好きで、バンドもやってたんだよ。おれはモズライトのリッケンバッカー・モデルのギターを弾いて、ヴォーカルとギターを担当していた。当時おれはタイガーズもベンチャーズも嫌いだった。好きなのはザ・スパイダースだった。」



ぼくは言った、「なるほどね、スパイダースはフロントが堺正明さんと井上順さんだし、かまやつひろしさんがまたあの時代のかっこいい音楽を見つけてくるのが巧かった。しかもギターは井上堯之さん。」



かれはつづけた、「それでいてね、おれはカーペンターズも好きだったんだよ。おれね、カーペンターズのカレンの英語を聴いてはじめて、アメリカの英語もかっこいいものだな、っておもった。」


ぼくは言った、「なるほどね、カレンはもともとドラマーなのに、おにいさんのプロデュースによって、カレンの声の美質を見出され、バックコーラスもまた何日もかけてカレンにやらせたでしょ。けっきょくカレンは拒食症になって死んじゃった。カーペンターズの音楽はいまだ美しいけれど、でも、哀しみもまたありますよね。」



かれは言った、「そうなんだよな~。おれね、この歳になって、ローリングストーンズも聴くようになったんだよ。ほら、ドラムスのチャーリー・ワッツが死んじゃっただろ? いまのストーンズのドラムスはスティーヴ・ジョーダン、ベースは黒人のダリル・ジョーンズだよ。ダリルはね、マイルス・デイヴィスのバンドに参加していた時期もある。」



ぼくは訊いた、「ジャズもお好きなんですね?」かれは答えた、「おれの好きなのは、ナベサダ(渡辺貞夫)、ヒノテル(日野照正)、あとはコルトレーンくらい。ただしジャズ喫茶に通ったからなんでも聴いただけどね。」



お歳を伺うと、75歳だそうな。1949年生まれである。村上春樹さんと同学年である。かれは言った、「戦後世代だからね。おれは長野生まれなんだけど、小学校1年生で蒲田に引っ越してさ。あの頃の東京は、掘っ立て小屋のバラックばっかりだったよ。1960年代になったってさ、みんなして夜に白黒テレビのあるラーメン屋に行って、みんなしてテレビ見て、力道山に夢中になった世代だよ。ラーメンの値段だって30円かそこらだよ。プロレス中継がはじまってから下手な注文でもしようものなら、店主に嫌がられたもの。店主だって力道山の活躍を見たいんだから。」



ぼくは訊ねた、「成人におなりになった頃は、学生運動の時代ですよね。」
かれは答えた、「そう。おれは国学院の経済学部を選んだ。学生運動から勧誘されたことは多かった。あの時代はただ街を歩いてるだけで、警察官が鞄の中を見せろとか、職務質問されたりとか、いろいろやかましい時代だったよ。」



かれはつづけた、「もっとも、おれは1970年に商社みたいなとこに就職して、
鉄鉱石やら機械類やらを輸出して、ディズニー・キャラクターを輸入したりする仕事に携わった。あの頃は会社の経費で贅沢三昧したものだよ。まずはお客さんと一杯飲み屋でいっぱいやってヤキトリでもつまむ。次は赤坂や六本木のクラブ、最後は12時過ぎて、キャンディーズみたいな女の子が歌って踊っている店へ行く。一晩で何十万円もときには百万円も使っていたもの。あの頃はぜんふ経費で落せたんだよ。」



おもわずぼくは遠くを見つめた。ここに日本の戦後史がある。なお、かれは言った、「おれね、こう見えても、朝から4時間スポーツジムで体鍛えてんの。その後で、こうして公園でラジオ聴きながらジム・ビーム飲んでるんだからね。」かれは酒焼けした笑顔で答えた。味のあるいい笑顔だ。小野さんという方だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?