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人はみんなコドモの頃、歌も絵も詩も大好きだった。‐シド・バレットの画才について。

シド・バレットにとって、コドモの頃から、絵を描くことと詩を書くこと、音楽を奏で歌うことは共存していた。けっしてかれはアートスクールへ行って美術教育を受けた後ミュージシャンになったとか、ロックスターになったものの、しかしヤクザなミュージック・ビジネスに嫌気がさして絵を描くことに専念するようになったとか、そんなたんじゅんな因果関係ではない。



べつに驚くべきことではなくて、人は誰もコドモ時代にはそんなものではあって。でもね、ふつうそんなコドモ時代の才能を、十歳あたりで忘れ失ってしまうもの。しかし、シド・バレットにそんなことは起こらなかった。



どうしてかれにそれが起こらなかったか、それはぼくにはわからない。実はぼく自身は、〈シド・バレットが共感覚の持ち主だったこと〉と関連づけてこのことを理解している。けれども、共感覚の持ち主がみんなシド・バレット級の魅惑の才人であるわけでもない。けっきょくシド・バレットは世界で唯一かれだけであって、そんな個別的才能を一般化しようたって、うまくゆくわけがない。



ぼくはただシド・バレットの絵を見る。繊細な人だなぁ。さぞや生きにくかったろうなぁ、と心がひりひりする。めちゃめちゃ絵が巧いじゃん、とびっくりもする。なお、ここに引用した4点の絵画はぼくの(素性の怪しげな?)感受性に訴えかけるなにかがあったから選んだだけのことであって、別の人がかれの作品を選んだならば、まったく違った〈画家シド・バレット〉が現れるでしょう。やたらと違った違った画風が多いことに、ぼくはかれの自我の不安定にはらはらもする。いずれにせよ、ぼくにとってのシド・バレットはこの4点の絵のなかにいる。










シド・バレットははやばやとヤクザなミュージック・ビジネスの世界から引退してからは、故郷の田舎町に引きこもって絵を描くこととガーデニングに精を出して暮らした。かれは自分の描いた絵でカネを稼ぎたいとか、自分の作品を世に広めたり後世に残したりいなんてことはまったくおもわなかった。かれは自作の絵を破り捨てたり、描きあげた油彩作品の上に別の新しい絵を描いた。



それでもそれなりにはシド・バレットの絵は残っていて。いまでも(もったいなくもありがたくも)100ユーロていどで買うことができる。また、デイヴィッド・ボウイが生前のシド・バレットの絵画を収集していたという噂も聞く。



Syd Barrett (1946年1月6日 – 2006年7月7日没 享年60歳。)苗字が「銃弾」であるところの詩人、歌手、音楽家、そして画家。かれは初期ピンク・フロイドのバンドリーダーとして1967年から1969年までの2年足らず活動し、(ものすごい熱量を内蔵した)ファースト・アルバム”The Piper at the Gates of Dawn ”を残した。しかし、かれはLSD乱用によって奇行がめだつようになって、バンドメンバーはかれとともにバンド活動を続けることをあきらめ、結局かれは自分が作ったバンドから追い出された。その後かれは2枚のソロ・アルバムを発表し、事実上音楽界から引退し、ロンドンから立ち去り、故郷に帰って、引きこもって絵を描きつづけ、ガーデニングにいそしんだ。





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