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聴くのが恐ろしいが聴かずにはいられないシド・バレット率いる初期ピンク・フロイドの世界。

なぜ、聴くのが恐ろしいのか? それは聴いていると自分が向こう側の世界へ連れ去られてしまうような恐怖を感じるから。では、にもかかわらず、なぜ聴くのか? それは自分の感覚が解放されるよろこびがあるから。



それは、Syd Barrett (1946年1月6日 – 2006年7月7日没 享年60歳)がバンドリーダーを務めていた1967年から1969年までの2年足らずのピンク・フロイドであり、かれらのファースト・アルバム、ひいてはかれがピンク・フロイドを追い出され、1970年にリリースされた2枚のソロ・アルバムだけである。(その後、さらに数枚のアルバムが編集されリリースされたとはいえ。)


Arnold Layne は、ピンク・フロイドのデビュー・シングル。この歌の主人公は洗濯ものとして干してあるベイビー・ブルーのシースルー・ランジェリーを少し切り取って収集する趣味を持つ変態男。「どうしてきみにはアーノルド・レインが見えないの?」と、美青年のシド・バレットが歌う。美しい男性コーラスと、オルガンの神秘的な間奏をしたがえて。なんだなんだなんなんだ、(英国風味のユーモアを感じるとはいえ)この変態男讃歌は!?? もしかしてこの歌の主人公の名、Arnold Layne は、UKソウルのチャーミングな女性シンガーP.P.Arnold と、そして英国の精神科医R.D.Laing を合体させたものではないかしらん。(もっとも、Arnoldについてぼくに確信はないけれど。他方、R.D.レインは統合失調症の標準的薬物治療を批判し、統合失調症は理論であって事実ではない、それはむしろ壊れた社会に対する正当な反応なんだ、と主張した。他方、レインは個人が趣味的にたのしむマリファナについては合法化を主張した。レインはミシェル・フーコーの同時代人である。新左翼運動が隆盛した1960年代にはレインに影響されてたくさんの映画が作られた。もちろんシドはレインに関心を持ったでしょう。)仮にその説を採ると、もしかしてこの歌には精神分析のフロイド(=フロイト=Sigmund Freud)のフェティシムズ論のエコーが響いているかしらん? かれらのバンド名はPink Floyd、すなわち「ピンクのフロイド」(スペルこそ、かの精神分析医とは違うけれど)、この歌は、1967年のかれらのデビュー・シングルなのだ。


セカンド・シングルは "See Emily play"

神秘的なオルガンと、異界に誘うような奇妙なエレクトリック・ギターで彩られたサウンドにのって、こんな歌詞が歌われる。

「エミリーは挑戦する。でも、わかっちゃいないんだ。彼女はちょくちょく明日までのあいだ誰かの夢を借りる。いましかないんだ。別のやり方で試してみようよ。5月の、自由な遊び。」
「暗くなってエミリーは泣き叫ぶ。木立を見つめる、悲しみのまなざしで。いましかないんだ。別のやり方で試してみようよ。5月の、自由な遊び。」


この曲『Bike』の歌詞は(いっけん)かわいらしい。「自転車を持ってんだよ。きみも乗ってもいいよ。バスケットやベルもついてて、かっこいいんだぜ。きみにあげてもいいんだけど、借り物なんだ。」しかし、歌に絡む浮遊感あふれるサウンドや、ティンパニーの連打、そして歌が終わった後の、キラキラサウンド、ミュージックコンクレートのように押し寄せる音響、そして最後に響くガチョウたちの不吉な哭き声はなんだろう? 実はこの曲『バイク(自転車)』にはあきらかにLSD開発者Albert Hofman が、1943年4月19日LSDをキメて自転車に乗ったことについての目くばせがあります。その日、ホフマンは恐怖と不安の悪夢を経て、やがて恐怖はやわらぎ、万華鏡のような幻想のイメージに変っていった。なお、この日はサイケデリック革命記念日と呼ばれています。そして1960年代後半こそがサイケデリック革命の時代でした。たとえばこの時代のアメリカのロックバンド、ドアーズのそのバンド名は、オルダス・ハックスレーの『知覚の扉』(1954年刊)に由来しています。他にも当時のLSD礼讃派はティモシー・リアリー、ケン・キジーなどたくさん挙げることができる。




そしてきわめつきに聴くのが恐ろしい不気味な曲でありながら、つい聴いてしまうのが、この曲、”Interstellar Overdrive”。これは、1967年の(すさまじく大量なエネルギーが内臓されている)デビュー・アルバム ”The Piper at the Gates of Dawn ”に収められた。当時はサイケデリック・ロックの時代であり、当時ピンク・フロイドのリーダーだったシド・バレットは、ジミ・ヘンドリックス、そしてザ・ビートルズと並んで、この潮流をリードしていた。



サイケデリックサウンドの流行にはLSDが当時、アメリカにおいて州によって違いがあるものの合法の州も多く、また違法の州であっても罰則規定はおおらかなものだった。しかもLSDが大量にばらまかれた時代背景がある。いつの時代にも闇があるもの。一説には当時激烈をきわめていたヴェトナム反戦運動に対して、若者たちをクスリ漬けにしてラリパッパのすることで反戦運動を骨抜きにしてしまう、そんな闇の政府の陰謀があったのではないかと邪推されています。



いずれにせよ、1960年代後半という狂った時代、多くの若者たちは髪を伸ばし、頭に花を飾り、ビーズのネックレスで首まわりを飾り、マリファナを吹かし、LSDをキメて、LOVE & PEACEの夢を
見た。そして詩人、画家、ミュージシャンの美青年シド・バレットは、そんな夢の世界へ若者たちを誘うパイドパイパーだった。当時のシド・バレットは優雅な微笑が似合って、人生の一瞬一瞬をほんとうに楽しそうに生きていて、みんなを幸福にした。しかし、やがてかれはポップ・スターであることをナンセンスとおもうようになる。みんなが好きになりそうな曲(スーパーマーケットで見かけた女の子を題材に)"Apples & Oranges"なんて曲を作ってはみたものの、しかし、そんなことに命を賭けるのはばかばかしい、とシドはおもっただろう。ましてやテレビの音楽番組に出演して、頭の固いインタヴューに答える社交など。なお、この時期、シドの奇行が目立つようになる。LSDもまたやりすぎると人格が壊れてゆく。





結果、ピンク・フロイドの他のメンバーたちはシドとバンドを続けることを断念し、シドは自分が作ったバンド、ピンク・フロイドから追い出されるハメになる。しかも、シドはLSDに復讐され、地獄をさまよい続けるようになる。もしかしたらその後30年間にわたって? 



いいえ、もしかしたらそういうシド伝説は、シド脱退後のピンク・フロイドの”Shine On You Crazy Diamond”(デイヴ・ギルモア、ロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライトが作った)の影響によるもので、実際は世捨て人になってからのシドは絵を描き、ガーデニングにいそしみ、近所の人との社交もまたあったという家族の証言もまたあるのだけれど。いずれにせよ、真相は闇のなかです。そもそもその人が不幸だったか幸福だったかなんて、他人があずかりしれるものではありません。シド・バレットは家族に見守られ旅立った。ただし、かれが故郷へ帰り隠遁生活をはじめて以来、ピンク・フロイドのメンバーは誰ひとりかれに会おうともせず、またかれの葬儀にもかれらは誰ひとり参列しなかった。



ざんねんながら1990年以降に生まれた世代にはシド・バレットの名前さえ知らないミュージシャン~音楽ファンも多そうだ。たとえば岡村詩野さんはその理由を、シドの音楽がクラブ・ミュージックとまったくリンクできないからと分析する。(『レコード・コレクターズ』2006年10月号)。ぼくはなるほどと納得しつつ、それでもたとえば、もしもJ-POPのSaucy Dog(サウシー・ドッグ)のメンバーがシドの音楽を聴いてなかったならば、聴いて欲しいなぁ、とおもう。



ただいま映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気 Have You Got It Yet? The Story of Syd Barrett and Pink Floyd』(2023年)が上映中です。シド・バレットの数奇な生涯を、映画の共同制作者、ヒプノシスのデザイナーStorm Thorgersonによる、デイヴ・ギルモアや、かつてのシドのガールフレンドたち、シドのアートスクール時代の先生、シドの家族など関係者インタヴューを中心に、残された映像、そして新たに撮影されたいかにもヒプノシスらしい創造性に富んだ映像を組み合わせて構成されています。



「銃弾」の苗字を持つ、かつて美青年だった歌手、詩人、音楽家、画家、シド・バレット。長いあいだぼくにとってかれは、ときどきふらっと現れて、謎の言葉をなにか囁き、そしていつのまにか去ってゆく。





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