女の子は小学5年生で、パンツに宿る魔法の力を知る。
なぜ、男どもはパンチラにときめくのだろう? パンチラを英訳すれば showing underwear になるのだけれど、しかしこれは誤訳であって。なぜなら女子のパンツは見せるものではなく、おもいがけず不意に(恩寵のように!)見えてしまったときにこそ、男どもの動悸は高まるもの。upskirt にはいくらかそのニュアンスがあるかしらん。(余談ながら、すでにパンチラはPanchira として英語に入っています。)
京大人文系の井上章一先生は『パンツが見えるー羞恥心の現代史』(朝日選書 2001年)なる一著でそれについて考察なさったもの。本書には〈中国人男はパンチラに興奮などしない。中国女たちは平気でパンツを見せながら自転車に乗っている。〉という興味深い考察も含まれています。
また、女性のパンチラにときめくのはアメリカ男とて同じで、それが証拠にマリリン・モンローの『7年目の浮気』を観たアメリカ男たちはいったいパンチラ・シーン以外のなにを覚えているでしょう???
また、女の子がファミレスや居酒屋などでバイドをはじめると、ほんの数週間でスカート丈を短くして穿くようになるもの。バイト歴が長くなるにしたがってスカート丈はますます短くなるもの。これがいわゆるガールズ・ルールというもので、ここには需要と供給の法則が働いています。
あれはもう20年くらいむかしのこと。当時AKB48のメンバーだった秋元才加さんはテレビのバラエティ番組でこんなエピソードを語ってらしたもの。「あたし中学生のとき、大人の女になろうって決めたんです。当時のあたしにとって大人の女って、パンチラだったんです。そこであたしはなにげなくパンチラしやすいスカートの穿き方をするようにしました。そしたらいつのまにか男の子たちはあたしを パンツ ってあだ名で呼ぶようになっちゃったんです。」
ぼくは衝撃を受けた。まさかアイドルがそんなふうに自分の過去を語るなんておもいもよらなかったから。ぼくは感心したものだ、彼女の知性は本物だ!
考えてみれば、小学生の女の子だって、『おぱんちゅウサギ』を口ずさんでいたりするもの。なるほど、女の子は思春期でパンツに宿る魔力を知る。
余談ながら映画『ピクニック at ハンギングロック』のなかで霊山で行方不明になった女の子たちを命懸けで探す過程で、探索者の青年マイケルは傷だらけになった掌のなかに彼女たちが脱ぎ捨てていったペティコートの切れ端を握りしめていたもの。これもまたパンチラのヴァリエーション(フェティシズム)と言えましょう。パンチラの魔力。それは人類の英知ではいまだ解き明かせない謎である。
なお、イラストは虫リップさんからお借りしました。
なお、例によってやたらとくわしいUK Wikipediaの Panchira 解説。なお、文中には永井豪先生の名作『ハレンチ学園』への言及もあります。
なお、このCMは1969年のもので、小川ローザさんの純白パンティの表面積が大きいことも風俗史考古学的に重要と言えましょう。