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『女子留置所の中』【5706文字】 #エッセイ部門 企画参加作品

「わかっているわよね」
店を出た私に中年女性が声をかけた。
鋭い視線で、私の前に立った女に向かって私は頭を下げた。

引きずられるようにして店の事務所へと連れて行かれる。女は私を離さないとばかりに腕を強く握っていた。

事務所では店への弁解の余地無く警察官へと身柄を引き渡された。ヨロヨロとした足取りを両脇で警察官に支えられながらパトカーに乗り込む。
パトカーの後部座席は思った以上に狭い。ガタガタと身震いをする私を他所にパトカーは静かに警察署へ向かった。


警察署につくとすぐに取り調べ室へ押し込まれた。取り調べ室の扉は開いたままになっていた。事務用のグレーの机とパイプ椅子。

持っていた荷物は警察官が用意した籠の中にすべて入れた。そして女性警察官が2名で服の上から身体検査を始めた。

震えが止まらない。恐怖、緊張。それ以外に私はパニック障害の症状が出てきていた。処方された薬を飲ませて欲しいと頼んだが、却下された。何度も頼む私に男性警察官は強い口調で「犯罪者なんだよ」と言葉をぶつけた。

発作がでた。過呼吸で息が出来ない。目の前が回ってくる。膝を床に付き前かがみで混乱する。袋を持ってきた女性警察官に背中を擦られながら、呼吸を正常に戻していく。

涙と嗚咽でなかなか戻らない。

落ち着いた時には、顔は涙と鼻水、涎で汚れていた。


取り調べ室での調書を作成するのは初めてではない。私はうつ病とクレプトマニアだった。

前回の逮捕時に弁護士に言われた通り、今回私は長い調書作りを終えると『留置所』に送還される事になった。

『留置所』は初めての経験だった。手錠と腰縄をつけた私は、2名の警察官に同行され『女子留置所』へと身柄を引き渡された。

警察官から資料を受け取った看守は私の留置所番号を告げた。

『077』
これが私の名前になった。

留置所で手錠と腰縄は外された。
入所初日に行われる身体検査と持ち物検査を終えると薄っぺらい『留置所での生活』の規則を淡々と看守が読んだ。難しい漢字と聞いたこともない単語で溢れかえっていて、ほとんど理解できなかった。

私の頭の中には『逮捕された』『留置所に入れられた』そんな思いがグルグルと回っていた。


留置所内で使う私物の物品を購入したあと、2つかけられた鍵を開けた鉄格子の部屋へ私は入れられた。

汚いカーペットが敷いてある。トイレと洗面台、鏡。部屋にはそれしかなかった。

一人部屋に入れられた私は部屋の中央で膝を抱えて丸くなる。寒い。悲しい。苦しい。支給されたスエットのズボンに涙が染み込む。グレーのスエットはすぐに黒に変わる。
購入したミニハンカチを目に当てる。派手な生地の新品のハンカチは水分を吸収できずに手元を濡らした。


私は起訴され、自分の名前の後に『容疑者』とつけられる身分になった。それは警察でつけられた手錠より、腰縄よりも重く感じた。


留置所内では、自分の事は番号で呼ばれる。都内の留置所では1桁目が留置所番号なので、下2桁が自分の名前になる。私の場合『77』それが名前だ。

留置所から出るまで私は『77』と呼ばれ続けた。

ほとんど留置所の説明を受けずに収容されたので初日は部屋の中でどうしたらいいのか、何ができるのか何をしたらだめなのかも、わからなかった。

ただ泣いて、冷たくなった体を温める為に部屋の中をぐるぐると回った。看守に寒いと伝えても、「体を動かせばあたたかくなる」としか言われなかった。

ひたすら寒さで震える体を動かし部屋を回っていた。冷えでトイレに行きたくなった。しかしあるはずのモノがない。トイレットペーパーがないのだ。

私の収監された留置所にはトイレットペーパーが設置されていなかった。トイレットペーパーを丸め自殺した人がいたのだと、後から同室の人に聞いた。

看守を呼ぶ「すいません、すいません」と叫ぶが来てくれない。震えながら呼ぶと隣の部屋から「『担当さん』って言わないと気づかれないよ」と金髪の人が教えてくれた。

ありがとうございますとお礼を言って「担当さん」と叫んだ。何度目かに、看守がきてぶっきらぼうに「何?」と尋ねた。私はトイレに行きたいです。と伝えたが話が通じなかった。「自由に行っていい」と言われ「トイレットペーパーがないんです」と言ってやっと話が通じた。

看守はどこかからチリ紙(トイレ紙)6枚を持ってきて私に渡した。


トイレに行くのに、こんなに苦労するのかと冷たい便座に座り私は用を足しながらため息をついた。




持ち物すべてに自分の数字が書いてある。身につけるモノ、使用するモノ。番号がついていないモノはチリ紙とナプキンくらいだった。

1回に看守から受け取るチリ紙の数は平均7~8枚だった。看守のグループごとに枚数の差がかなりあった。

支給されたグレーのスウェット上下とTシャツそしてサンダル、購入したショーツとハンカチと靴下。それぞれ枚数が決まっていて、それ以上所有する事は許されなかった。

部屋にもっていけるものは、ハンカチとチリ紙、ナプキンとパンティーライナーだけだった。

その他の所持品は番号の書かれたロッカーにしまわれた。



お風呂は夏場は週3回、冬場は週2回15分間の時間制限があった。
グループごとに入浴するが、シャワーは古株の人が使う暗黙のルールがあった。
髪の短い人、新人は蛇口から風呂桶に湯を溜めて被っていた。

留置所では化粧はできない。化粧品を差し入れする事もできない。留置所でのスキンケアは保湿クリームとリップクリームのみ。しかも使用できる商品は留置所で購入または貸出してもらう物しか使用できなかった。

ハンカチに関しては特にルールが厳しかった。
・ポケットに入れてはダメ
・ハンカチ以外の使用方法はダメ
(アイマスク替わりなど)
・ハンカチを濡らしてはダメ
・常に広げて床に置く

監内は常に明るいので、ハンカチをアイマスクの様に使用すると怒られ、最悪没収される。暑いからといってハンカチを濡らして顔を拭くなども没収の対象になった。

洗濯は週1回ある。自分の番号の書かれた袋に入れて朝に看守に渡す。夜洗濯され、畳まれた服が戻ってくる。外出回数や体調、使用頻度を考えて洗濯に出す物を考えながら1週間過ごすのは、初めはかなり難しかった。

スエット、Tシャツ、靴下、ハンカチをどの様に使うと効率が良いか、先輩受刑者に聞いて慣れるしかなかった。

送検され、外出したスウェット姿で就寝しなければいけないのが、かなり精神的、衛生的にも辛かった。

留置所では、朝昼晩3食きちんと提供される。食事の時には、味噌汁、お茶、白湯を
飲める貴重な時間だった。温かい飲み物が飲めるのは、食事の時だけだった。

基本的に部屋で水を飲むのは設置されている洗面台から出る水。しかし蛇口がない。
最新トイレのような手をかざすと水が出るタイプ。コップはないので、手のひらですくって水分補給をするしかなかった


食事時間前になると看守がゴザを運んでくる。これがテーブル代わりとなる。3人で1つのゴザを使うので6人部屋だと2つ並べて使う。食事中の会話は禁止。壁を向いて食べるのみだった。常に看守が会話や不正がないか回ってチェックしていた。

留置所での『娯楽』と言えるのは
『読書』だった。

読書以外に何かないかと言われれば全室で行われている事がある。それが『髪の毛拾い』だった。固く玄関マットの様な分厚いカーペットには、無数の髪の毛が落ちている。

髪を切ることができない女子留置所では、髪を伸ばしていくしかない。ショートヘア、パーマヘア、ロングヘアー、茶髪、白髪様々な種類の毛が落ちている。


規則正しい留置所では夜9時が消灯時間だった。朝の6時までの就寝時間。

静かな夜が始まる。

敷布団、毛布2枚、枕、敷布団と枕のカバーが一人一人に貸し出される。敷布団は、シングルサイズより2周りくらい小さめで、せんべい布団と言うのがピッタリな表現の布団だった。座布団でも、ここまでペッタンコにならないだろうと思わせるような薄さだった。

鉄格子付近は、夜でも廊下の明かりでかなり寝づらかった。


留置所で「運動」と名付けられたスケジュールが朝にあった。入所したばかりで「運動」⁼「ラジオ体操」だと、勝手に勘違いしていた私は看守に「77は運動行く?」と聞かれた時に「行かなくて大丈夫です。」と答えた。


「運動」が、「運動場で身なりを整えられる時間」だと言う事を部屋が移ってから同室の人に教えてもらった。


早朝から留置所内では移送の準備がされる。
移送される人は、前日に看守から通達される。移送される時、腰縄と手錠はかなりキツめに着けられた。


移送当日は、その日に移送される人数により
多少集合時間が、早くなったり、遅くなったりする事があった。


移送される人達は留置所の出入り口に並べられ所持品と身体検査を終えてから腰縄と手錠を着けられた。

かなり入念にボディチェックをする。金属探知機を使い前面、裏面、手を広げて、全身看守に探知機を当てられる。

サンダルを上げて底、サンダルを脱いで靴下の裏面をみせて検査機を当てる。口を大きく開けて、舌の裏面もみせる。ネイルが剥がれていないか、ピアスが外れていないかをチェックする。この一連の流れは、移送される前後に行われた。

移送先は東京地方検察庁、または東京地方裁判所。バスに乗って地検に向かう。地検での取り調べは17:00で終了する。それまで自分の番を待ち、終われば時間まで待機している。


待機室は、固い木製の長イスが置かれている。かなり固く、長時間座っているのが辛かった。トイレも同室にあったが、低い敷居で区切られてるだけだった。

取調べの為に自分の番号が呼ばれるのをずっと待っていた。午前なのか、午後なのかは
教えてもらえなかった。ずっと木製のイスに座っているのは精神的にも肉体的にもかなりきつかった。

地検で勾留の判決を受けた。その為、翌日地裁に行くことになった。万引きの場合、すぐに保釈される事が多いが前科とクレプトマニアの私は地裁の判決も勾留だった。

そして「精神鑑定」を受けるように地検の担当に言われた。本格的なものではなく私の受けるものは「簡易鑑定」だった。

留置所にいる間、地検での取り調べと刑事の取り調べが続いた。保釈申請はなかなか受理されなかった。


その間、部屋の移動や事故などがあった。1人部屋から2人部屋そして6人部屋。頻繁に移動があった。

入所時に言われた「名前、罪状」は同室の人に言わない。というルールは簡単に破られた。大部屋に移された時に、笑顔の美少女が私に「私39♥詐欺でパクられちゃって、こっちの55は振り込み詐欺」と自己紹介されてしまった。必然と「窃盗」だと告白しないといけない雰囲気だった。




振り込み詐欺で勾留されている55は、かなり長い期間留置所にいた。留置所のルール、看守グループの特徴などを教わった。

基本的に会話は禁止されている。しかし大声でなければ看守によって許される場合がある。その時に55は振り込み詐欺の末端で、これから上層部が捕まると言った。だから捕まるなら自分から自首した事も教えてくれた。

「これから詐欺グループは捕まる」
彼女が言ったように、保釈後のニュースで上層部が捕まっていくのを見て私は背筋に汗をかいた。
まだ彼女は勾留されているだろう。もしかしたら、最終裁判が終わり刑務所にいるのかもしれない。


やっと保釈申請が通り裁判まで自宅で過ごせる事になった。裁判までの期間は弁護士との打ち合わせを繰り返した。


そして裁判へ……。


裁判当日。
スーツにリクルートバック。
有罪ならば、すぐに収監される。退所が、どの季節でもスーツならば目立たないだろう。

財布とは別に10万円が入った銀行の封筒。お薬手帳とアレルギー検査表、スマホと充電バッテリー。裁判の台本を確認する。

最小の荷物でいい。今後の事は裁判の後に考えよう。今は、台本通りに女優を演じれるかどうか高鳴る心臓の鼓動を抑えるため、処方された安定剤を口に含み水で流し込む。


大丈夫。だいじょうぶ。ダイジョウブ。


開廷時間はもうすぐ。
開け離れた扉の先を通るとテレビドラマで見た法廷よりこじんまりとした風景が広がっていた。


留置所に入って辛かった事は、本来処方されていた薬を担当医に減らされてしまい、頓服薬も飲めなくなってしまった事、トイレに行くのに気を使う事だった。
逆に良かった事は、自分自身の事だけを考えられた事と、DVの夫と子育てから開放された事だった。

失ったモノ: 信用
得たモノ: 新しい自分


私は留置所に入った事で、自分の生き方、考え方が変わりました。もしこれから犯罪に関わる人は『絶対捕まる』って思って下さい。
出来たら踏みとどまって下さい。犯罪は嘘と一緒です。一度行えば、どんどんとおおきくなっていきます。軽い気持ちで犯罪に関わらないでください。もし、お金や心身に心配があるのなら相談して下さい。


もし犯罪犯してしまった人、警察が本気で動けばすぐに後日逮捕されます。しかも早朝に来ます。もちろん早朝じゃない事もあるけど。

心配な人は、心の準備しといて下さい。そして相談できる弁護士を見つけておいてください。
下っ端だから捕まらない。そんな訳ありません。芋づる式で、仲間も捕まります。だから、きちんと連絡のとれる人を、自分の事を助けてくれる人を見つけておいてください。

あと、運良く捕まらなかった方。もうやめましょう。次は『ごめんなさい』その次は『罰金』でするなんて甘い考え方をしていてはダメです。今辞めれば、留置所行きを逃れられる可能性だって、未来だってあるんです。

『罰金刑』は前科者です。履歴書に書かなきゃいけなくなるんです。

ちょっと悪ぶってた昭和、平成前半じゃない時代なんです。もう、冗談では済まされない、逃げられない時代になりました。


ここまで読んでくれた方は、きっと大丈夫な人だと私はそう願っています。


今私は自分の体験をnoteに書くことで反省と後悔、そして幸せな時間を得ました。
noteで『女子留置所の中』を連載し自分の犯した過ちと向き合い、先に進めるように努力しています。


【5706文字】


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【目次】女子留置所の中【説明】4|スズムラ

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