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今日も少しわたしのこと-すずころ日和 休む-

今年の5月中ば、私は適応障害と診断された。

先生に「よく、頑張りましたね。休みましょう。休んでいいんですよ」といわれた。自分で、もう限界だ。と思って診察を受けたけれど、病名を聞いた時はショックだった。
「過労、とかじゃないんだな…」
よくネットで見聞きする「適応障害」。なんていうか、社会的にダメと言われた気分だった。


1 休職診断

もう無理。お願い、一週間でいい。休ませてほしい。

眠れない。通勤の行き帰り、車の中で涙が出てくる。顔がピクピクとひきつっているのがわかる。どうしてだろう。どうすればいいのだろう。ずっと頭の中でぐるぐるしている。下手をすると職場でも涙目になってきて、トイレに何度か駆け込んだ。

職場の上司から「ちょっと外で作業手伝って」と言われ、パソコンの手を止めて外に出た。なんで私なんだろう?と思いながら。
作業を手伝おうとしたら「大丈夫か?」一言、言われた。「顔が暗いよ」と。
また涙が溢れそうになる。正直に言った。「やっぱり、ちょっとしんどいですね」
仕事の分担も見直すから、一人で抱えずに、やっていこう。
そう言ってもらったが、その頃にはもうだいぶ無理だった。

半月後、主人に付き添ってもらい病院に行った。
とりあえず、一週間でいい。それだけ休めば、十分だ。今なら仕事に影響も少ないし、迷惑もあまりかけない。今だけ少し、休みたい。お願い。
明確に、そんなふうに思ったのは仕事をしていて初めてだった。

限界だ、と自分でも思ってた。

先生は一週間という私に、1ヶ月と言い「とりあえず、どれだけ譲っても二週間は必要です」と折り合いをつけて、診断書を書いてくれた。
その次の日は日曜日。職場は休みだったが、とりあえず締め切りが近いものをほぼ完成まで、と仕上げた。ここまでやればなんとか、なる。
上司に電話を入れた。「分かった。とりあえず、あとはやっておくから。大丈夫」
そう言ってもらった。翌日、診断書と二週間休むからと引き続きをする。

今は忙しくないから、大丈夫。家族があってこそだから。休んで元気になって。

そんな言葉をかけてくれた。
診断をもらう前は、「家庭もあるけれど仕事のこともあるから、今は大変だろうけれど、ずっとこのままは無理だよ」と言われていた。
仕事を辞めるべきか。頭を何度もかすめた。でも、そんな急に辞められない。迷惑をかけるし、何より「仕事を辞めたい」と思っての結論じゃない。きちんとした精神状態でないときの結論は、後悔するし、下手したら子どものせいにしてしまう。そんなのは嫌だ。
ずっと仕事をしながら心に留めておいた言葉がある。
1・困った時は「助けて」ということ。
2・仕事は「私でないとだめ」はない。私のもの、ではない。

無責任に聞こえるかもしれないけれど、私物化のように思わないことが仕事をする上で大事だと思っている。実際、仕事は「私」のものではなく、別の人がやっても大丈夫なものばかりなのだ。だからこそ、異動があっても次の人が分かるよう仕事をすること、客観性をもって取り組むことを一つの視点としてやっていた。

でも、こんな新年度スタートして、自分がこんなことになるなんて思ってもいなかった。

2 きっかけは少しのことから

それは少しの序章をもって、でも突然やってきた。
子どもが学校に行けなくなった。進級し新学期がはじまって一週間と少しの時。
彼女の限界は学校にいる時に起こった。
「迎えにきてください」
それから、彼女は学校に行けなくなった。
朝、いつも通り支度しても、ソファの上に丸くなる。動けなくなった。
お腹が痛い。感情も不安定になり、私から離れられなくなった。食欲もない。
トイレに行く時でさえ、一人になるのを怖がった。何かに怯え、震え、涙目だった。

普通でないことは、明らかだった。

一週間、私は傍に居た。緊急事態だと、優先すべきは子どもだと。
職場に事情と家庭状況を説明し、有給と看護を使わしてもらって傍にいた。
幸い職場の上司の方々は理解してくれた。
一週間経ち、旦那さんとも交代しながら、有給休暇を使いながら、時間外にも仕事をしに行く。子どもを一人にしないように。少しすると祖父母でも大丈夫な時も出てきてた。
学校とも相談しながら、お試し登校をしてみたり、カウンセラーとなら会ってみる、と言えた子どもと登校相談してみたり。子どもと歩いて、挨拶だけ登校したり。

一人で抱え込まないように。
職場の人にも、言われたし、自分でも気をつけようと心掛けた。

知り合いの保健師さんにもできるだけ相談し、アドバイスをしてもらった。かかりつけの小児科の先生も親身になって、相談に乗ってくれた。学校もまずはこちらが信頼しよう、と相談したし、担任の先生も忙しい中であろう親身になってくれた。
何よりも、子どもの話を聞いた。話をした。
学校には行きたい。でも、行けない。彼女の口からでる本音を、できる限り感じ取りたいと色々と話した。

3 時間差でやってきた

徐々に、子どもが登校できるようになってきた頃だった。
あと少しなのかな、というところだった。
きっと子どもの不登校に悩む方から見たら、不登校とは呼ばないよ、というくらいの期間なんだとは思う。
でも、私がダメになっていた。眠れない。涙が出る。顔が引きつる。

「子どもが学校に行けるようになってきた時に、なんで?」
そう言われたし、自分でもそう思った。でも。
身体と心が悲鳴を上げた。

一週間だけでいい。お願い。休ませてほしい。

仕事で人事を担当していていろんな人を見てきた旦那さんは、心の病で休むことに最初拒否反応をしめしていた。彼も交代で有給をとって、休みも仕事に出るなど工夫して子どもに寄り添ってくれていたのだ。でも私を見て、こう言ってくれた。
「あなたは「お母さん」は、子どもがべったりな分俺よりもしんどかったと思う」
そう言って、病院も付き添ってくれた。

「休職する」

パニック障害を起こしたときも、薬と状況分析で乗り切ってきた。仕事場の誰にも言わなかった。
仕事を休みたくない、そんな思いにびっくりしたし「薬でどうにかなるなら」
と、友人の看護師に相談し、高いハードルにみえた心療内科にも通った。
今まで、子どもが保育園時代は主人は3ヶ月休みなし、帰宅は日付超えて。というブラックな部署で、ずっとワンオペ育児だったけれど、それでもどうにかこうにか乗り越えてきた。

そんな自分が、休みたくて休みたくて、お願いだから。と病院に行ったことに
びっくりした。
限界、とはこうなるのか。

自分のことは、どうにかできる。病院に通ったとしても。
でも、コントロールできない、丸くなって小さくなっている子どもを前に、私はどうしようもなくなっていた。

4 今の私

休職して一週間後、やっとなんていうか休んでもよかったんだな。と思えてきた。
再受診して言われた「6月末まで、のばしましょう」に素直に同意することができた。
先生曰く、二週間の休職診断というのは通常出さないらしい。
「最初から2ヶ月、というとあなたは休まなかったでしょう」と言われ、ああその通りだな、と頷いた。まず二週間で休み、そこでワンクッション置くことで、そのまま休むことへ繋げることを提案すると、私が受け入れると思った。とのことだった。今思うと、先生に感謝しかない。

休職中、色々あった。
結論、今はまだ休んでいる。少しずつ復職も視野に入っている。
長くなってきたので、休職についてはまた今度。

読んでいただき、ありがとうございました。


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