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聞いてみて、書いて見つめて-すずころ日和 休職と復職-

ずっと、考えていたこと。

「仕事、復帰するのかな」

他人事のような表現。
わたしのこと。だけど直視したくなくて今までずるずる見ないふりしていた。

1 現在、休職中

以前少し書いたけれど、昨年の5月半ばから休職している。
診断名は適応障害。


自分では「もう大丈夫」と思った7月、9月の節目では主治医からストップがかかった。
「休めてないでしょう」(6月末)
「今、やっと回復期といって回復しだしたところです。ここで焦って復職すると、わたしの経験上2〜3ヶ月でつぶれます。あせらないで。大丈夫。絶対に回復しますから」(8月末)


自分では「日常生活が送れている自分が、大丈夫ではない」ことがわからなくて、主治医の言葉が素直に納得できないままだった。
ズル休みなんでは?とずっとある後ろめたさ。休んでいるのにつらいという矛盾。自分のチームに迷惑を掛けている申し訳なさ。


でも「今回休職とまでなった以上、専門医がいうことに今は素直に従おう」と家族とも話していたので、とりあえず休職延長に必要となる二通目の診断書をもらうために別の病院に行った。
「いや、働けますよ」「この状態では、病気の診断は出せません」
そう言われるかもしれない。そんな不安の中で受診した別の病院で、初めて会う先生は優しくわたしの話に耳を傾けてくれた。(細かい話は事前に看護師さんが聞き取り済み)


先生はゆっくりそしてとても優しく、ただはっきりとこう言った。
「うんうん。主治医の先生の言われているとおりだよ。今はね、働いちゃだめ


びっくりした。
そうなの?こうやって人と普通に会話できるよ。日常生活、というものは送れているよ。
「一生懸命、ぼくに伝わるように言葉を選んで話してくれたよね。大変で、つらかったね。あなたの真面目さがとても伝わってくるよ。今、働く?だめだよ。あのね、すごく固くなってるんだ。大丈夫、あなたは必ず元気になるから。だからね、今はねゆっくり休むことが必要なんだよ」


休むって、どう休むんですか?仕事をしないで家にいるのに休めてない?とずっと困惑していた思いを抱えているわたしに、先生はゆっくりやさしい口調のままでこう続けた。


「あなたが、好きなモノ。これをしていると落ち着くなというモノ。なにがあるかな?」
疑問で頭がいっぱいのわたしに、突如なげかけられた質問。


自分が好きなモノ?落ち着くモノ?コト?
「・・・・・わかりません」


そんなこと、ずっと考えたことなかった。わたしが好きなモノ…。
同時に答えられない自分がショックだった。

ただ、本当に何も思いつかなかった。


「ゆっくり、落ち着いて考えてみて。必ずあるから。そういうものを一つずつ思い出して、なんでもいいからね。そうやって、自分のことを考える時間なんてないくらい、ずっと家庭も仕事も頑張っていたんだね。すごい真面目さが伝わってくるよ」
「だからね、必ず元気にはなるからね。今は、そう好きだなと思うことや落ち着くな、と思うことをしてみる。それだけでいいよ。それをしているとね“休む”ということができるようになるから」


休職から約3ヶ月経って、ようやく私は自分が休んでもいいのだ、休む時なのだ。
とストンと納得できた。2人の医師に言われるなら、間違いないのだろう。
ズル休みじゃないんだ。
先生は笑って言った。
「大丈夫。うーんとね。話してたら分かるよ、あなたは休んで大丈夫。休んでくださいね」
変な言い方だけどそのの事実が私を安心させた。そうなのか、ああ、私は休んでいていいんだ、と。

大丈夫。先生がいってくれた大丈夫。

休んでいい、大丈夫。
ちゃんと元気になるから、大丈夫。


それからは、驚くほどよく寝た。
脳が疲れているらしく、日中に2〜3時間。そして夜も普通に寝られる。
いくらでも寝られることに驚いたし、主治医がずっと「休んでいない」とわたしに言っていた意味がやっとわかった。
休むのがよほど下手くそだったらしいわたしは、休職という貴重な期間にはいって3ヶ月してやっと「休む」ことができるようになった。

ワンコのお世話が癒しに


それからは、自分がまだ完全でないと認めることができた。
用事が覚えられなかったり、忘れたり。家計については11月くらいまでほったらかしだった。(以前は毎月、袋わけして月ごとに管理していた)
正直今も必要な生活費を、何度か旦那さんに言われてやっと下ろしに行っている。
そして分けることもせずに置いていて、必要なだけお財布に入れて…というどんぶりだ。
ちょっと何か行動すると脳が疲れるのか眠気に抗えず、1日何もできなかったり。
せっかく時間があるのだから、と買ったパソコンも3ヶ月放置したり。

2 半年ぶりの職場

そんなこんなで現在も休職の身。

ただ日ぐすりとはよく言ったモノで11月の末に、急ぎの職場への提出物があった時のこと。人事担当者は「○日までにこちらに届けば」と配慮してくれたが、自然と「それならば、明日か明後日に持っていきます」と言葉が出た。
5月中ばからずっと後ろめたさもあって、ずっと避けていた職場のある場所。


緊張するかと思ったけれど、案外と大丈夫だった自分。
久しぶりに行った職場の建物前。随分と時間が経ったように感じていたけれど「あなたはずっと休んでいる。と思っているかもしれないけれど、まだ半年だから」と、人事担当者は入口すぐそばの小さい部屋を用意して迎えてくれた。


急にずっと日常だった仕事から随分離れていたと思っていたけれど、あ、今も違和感ないな。と思えた。


その一月後も、用事があって職場の駐車場まで行った。その時も大丈夫だった。

3 復職。その二文字を考える。

11月末に人事担当者と話してから、復帰が頭の中で現実的になってきた。

主治医はわたしは焦るから、と年度いっぱいの休職を勧めてはくれている。
しかし、4月には上の子が中学に入る。進学、進級、クラス替え…。春は何かと変わる。職場も異動やら就退職で人が入れ替わる。

そうなると、子どもが安定している今の時期がいいのではないのか。
人事もみんなが仕事に慣れている年度内ができればいいけれど、と言っていた。

ただどうしても、休職のきっかけとなった子どものことが気になってしまう。


どうしよう。


実際のわたしの容体はだいぶ安定していると思う。完治した、という状態でないが、働くこと自体にドクターストップをかける状態は脱しているのだろう。


セカンドオピニオンとなってくれた先生がかけてくれた言葉がある。
復帰を目的にしてはいけないよ。安全に戻る、ことが大事なんだよ。それができるときが、タイミングだよ」

安全に戻る、とは。

4 聞いてみて

不安が人一番強い自覚はある。不安症ではあるのかも、と思うことは認めている。
だから、迷っていたけれどもう思い切って、わたしの中で一番気になる子どもに直接気になっていたことを聞いてみた。


「あのね、お母さんが働くこと。仕事すること、復帰することをどう思う?」

上の子が学校から帰ってきた一人の時に、声をかけた。

え、なんで?
と不思議そうにいった後に、少し考えてこう言った。
「うーん、前に戻る?ってだけなのかな」


拍子抜けだった。そうなのか。
えっ、そうなの??

「そりゃ帰って家に居てくれたらいいな、とは思うけど。おやつ食べられるし」

なんだそれは。
どうやら私がいたら、卵焼きやお菓子作りを自分ができる、という意味らしい。

「前はお母さんが家にいるお友達が羨ましかったけど。まあ、でも今は帰ったらすずがいてくれるから、さみしくないよ」

そうなのか。

じゃあ、お母さんが仕事していたらいいところはある?

「ん〜、自由に過ごせるとこ」
てへっ、と笑いながらいう彼女。
「お母さんが仕事してたら、かっこいいとか。なんかないの?」
「え〜、ん〜。ないかな。仕事できるようになって、良かったね。くらい?」


そうですか。そのなのですか???

あんなに、べったりと、いや今も隙あらばベタベタとひっついてくる長女。わたしと一緒でないと布団に行かない彼女。

でも、そうなのか。そっかあ。


下の子が帰ってきたときにも同じことを聞いてみた。
「えー、さみしくないよ。がんばってね」


おおう??

あっでも。
そう言って二人とも同意見だったのは「夜にいないのは嫌だな」だった。

子どももワンコも育つ

5 勇気をもって、書いてみて

その翌日。
わたしは病院の混み合った待合室の中で、ノートを広げた。
お世話になっている心療内科。予約制だがいつも以上に多い。受付で「1時間以上は…」と説明している。

今までずっと考えるのを避けていたこと。仕事をどうするのか。
わたしは、どうしたいのか。

喫茶店や一人で落ち着いてた空間ではいつもノートを広げては、閉じていた。
混雑した待合室は、気持ちを見つめるのに不似合いなのだろうけれど、
わたしの中のタイミングがやっと来た。待つなら好都合。
待つ間、ずっと怖かった仕事について、とりあえず書き出そう。
きっと何か見えるから。

膝の上で書いたもの。
裏には今できること、できないことを。

6 見つめて、その先にみえたもの

わたしは復帰する。しよう。

痛い思いはするだろう。嫌な思いも。身体もきついだろう。
今までと違う態度の人もきっといるだろう。

でも。
「休職して復帰する」を経験しよう

いままでの人生、思い出したくないことも経験した。いじめられたり惨めになったりもしてきた。いじめられる経験は味わう必要なんてまるでない、と断言できるけど。
それでも、その過程で光も見出してきて、努力もした。
そして、そうしたすべての上に、今がある。
休職したくなかったけれど、した。ならば、もう受け止めるしかないのだから。

悪いことをしていないと思っていても、後ろめたい気持ちはどうしようもなくて、マスクと帽子で武装して歩くのはもうやめたい。

今できることとできないこと、も書いてみた。


できないことで気になることがこちら。
1・学校の書類等の書類の確認がおざなりになっていること。
2・家計がどんぶりなままなこと
3・眠くてしかたないときがあること

とりあえず、2、3はどうにかなるさ。でいいとして、1についてはふと気づいた。これは任せよう、と。

そして帰宅してから、旦那さんに「主はこれからあなたがしてね」と言ってみた。

「おれがするなら、書類は食卓にまとめて置いておいてくれてないとみないよ」
「お弁当がいる日とか、伝え忘れたら子どもがお弁当なくなるけどいいの?」


主はあなただといっただろうが!!(心の声)
その言葉はグッと飲みこんで、続けた。

書類をあなたが見るためにまとめるなら、わたしが見ているのと変わらない。
そもそもそれができないし負担だから言っているんです。
お弁当がなくていいの?と脅すけど、そもそもそれが間違ってない?
お弁当はわたしが作るモノではないんだよ。あなたが作ってもいいんだよ。
作りたくないなら、わたしが作るように伝えるくらいできるでしょうが!!

はい、ワカリマシタ書類ミマス。ゴメンナサイ。オ弁当、ツクリタクナイデス。

と納得してくれました。



そう、完璧でなくてもいい。
ずっと、フルタイムの共働き。

どうしても帰りが遅くて大黒柱である彼が仕事することを優先してきた。これはお互いに、きっと無意識に。家のことは、帰りが早いわたしがする。子どものことも。残業しないよう、子どもの行事は休めるように休日出勤をしたり工夫して。

積もり積もった見えにくい、見えない家事や育児。わたし自身も責任は増えていく仕事と肩書き。
きっかけは別にあったけれど、今思うのはこのバランスがすでに取れなくなっていたのだろうな。だから、ちょっとつついたら一気に崩れてしまった。

立ち止まった今、気づいて見直す機会ととらえよう。
旦那さんは書類の提案でもあの反応だったので、わたしが仕事に復帰したら「元気になった」と全く以前と同じ生活に戻れると思っているだろうから、じわじわと彼のできるとこは比重を増やしていこう。
もしくは。子どもも成長してきたし、削れるところや手を抜けるところはもっと甘くしていこう。
もともと自分に甘い、とわたしは思っていたのだけれど、頑張っていたようだ。

シラナカッタ。キヅカナカッタ。

少しずつ、ゆっくり育つ。
もう冬越えしたチューリップ🌷


復職の具体的なことは、これから。
それでも、雲が少し晴れたから。


復職、経験してきます。
そのことはまた書けるようになったら、かな。


長文、お付き合いいただき感謝です。
今辛い方や、そうだった方。誰かの役に立てばいいな。

わたしの思い、聞いてくれてありがとうございました。

皐月


〜少しだけ「ちょっとしんどい…」が続いている方へ〜
心療内科はどこも驚くくらい混んでいて初診は2月待つことも多いようです。
待合室で初診を断っている場面を電話や窓口でとてもよく見ます。
本当に、沢山見かけるのです。今辛い真っ最中の人が受診できない矛盾。

だから、もう無理!!となる前に、どうか勇気をもって受診予約をしてください。
大丈夫。「普通にどこにでもいる人」が待合室にたくさんいます。
受診したらすぐに病気、心病んだ人認定されるわけではないです。
ほんとうに病まないために漢方などを処方してくれたりするところもあります。
大丈夫。本当に辛くなった時のために、いざという時に行ける場所をつくるだけ、の気持ちで。

ハードルが高いことは重々承知です。誰にも言わなくていいですから。
行ってみて、病気じゃないならそれでOK!



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